「赤君、知っているかい?」





昼時の小さな蕎麦屋。
騒がしい店内でも、この男の声は小さな息継ぎの音までも耳につく。

例え俺が、今のように運ばれてきた蕎麦をすすっていたとしても、
この男はお構いなしにべらべらと一人語りを始めてしまう。
文字通り、日常茶飯事の事だ。



「花は自らが美しいということを知らないんだそうだ。」



かつおだしの効いたつゆに、こしのある蕎麦がよく合う。
薬味の葱を少し足しながら、茶を頼んだ店員も態度がよかった。
この男は、何故かこういう穴場をよく知っている。
一体いつ頼んだメニューを味わっているというのか。
(開きっぱなしのあの口で)
全くの謎だが…。



「つまり、今あの花瓶に活けられた花々は、
何故自分たちが摘まれ切られ瓶に入れられているかを
理解出来ていないという事になる。
なんと嘆かわしい!そうは思わないかい?!」



いい加減、この大仰な身振り手振りには慣れてきたが、
箸を振るのはやめてほしい。

彼は大きな溜息を吐くと、
何故か俺と同じペースで減っていた蕎麦を優雅につゆにつけた。
毎度ながら薬味に箸はつけてない。
(葱くらい入れろ)





「彼、も、同じなのかもしれないと思ったんだよ。」





この男が、
少し目を伏せながら、彼、と呼ぶ人物を、
俺は一人しか知らない。




「何よりも疾く、何よりも強く。戦場に咲き誇る一輪の花さ。」




言って、蕎麦をすす、と啜る。
長い金の睫毛が、奴の鮮やかな青い服に影を落としたのが見えた。
奴のお喋りは続く。



「余りに美しいその姿に誰かが、天使のようだ、と言っていたよ。
勿論“エンジェル”の方じゃない。“神の使い”の意味さ。」



そう言って、奴は顎に手をやると、
眉根を寄せながら続ける。



「しかしだね。僕は、その意見には賛成しかねるよ。」



美しいというのは勿論賛成さ。
そう補足したこの男は、くすくすと薄く笑った。

相変わらず嫌な笑い方だった。




「、彼、は、人間だよ。誰よりも人間らしい、人間さ。」




置いてあった蕎麦湯を注ぐ。
ほんのりと香ばしい湯気が香って、
奴の姿が一瞬その鮮やかな青と金とに霞んで見えた。

その青い塊が、くすくす、と、揺れる。





「あいつ、は人間だ。俺達と違って、赤い血が通った、な。」





俺の言った言葉に驚いたのか、
俺が口を開いた事に驚いたのか、

どちらかは分からなかったけれど、
とにかく奴はその服と同じ蒼を大きく見開いた。


そうして、その嫌な笑い方で一頻り、笑う。



「そう、其の通りだよ。民衆共ではお話にならない。そうだろう?」



民草は見ているようで見ていない見えないのだから仕方無いけれどね。
そう一息に言って、このお喋り男は最後の一口の麺を、口にする。

俺も、温くなってしまった蕎麦湯を飲み干した。




「僕はね、赤君。
何故僕達のような“造花”が必要なのか、
その理由が欲しかった。」




ざわざわと騒がしい店内のノイズが目に痛い。
向かいに座るこの男の、鮮やかな蒼い眼が、
微かに,
歪んでいた。


目が、
痛んだ。




「誰をも魅了させる、彼、のあの背中は美しいよ。…だが、重い。」


あのままでは圧し折れてしまうよ。
そう微かに唇を動かして、男はこちらへ向き直る。

口元には、いつもの薄い笑みが張り付いていた。





「僕はあの、花、を守ろう。
そして、彼、は民草を守る。
世界はこうして上手くいくのだよ!」




大きく腕を広げ、天井を仰ぎ、高笑いなんてしてみせる。




この男は、
単純だ。




恐らく頭を割ってみれば、
自分と、彼、とそして少しだけ俺達が入っているだけで、
他には何も出てこないんだろう。





だが、

俺、自身も、大して変わりは、無い、ので。





「お前だけでは役不足だ。」



彼が、
こちらを見て、くすくすと肩を揺らした。



「赤君、今日は随分とお喋りじゃないか。」



蕎麦湯を傾けながら軽口を叩く奴を睨みつけると、
ひらりと瞳を伏せてかわされる。
笑いを堪えるように、男の肩がまだ揺れているのが見えた。



「君の口はいつも通りさ。そうじゃなくて、」



その指が、
こちらの左胸を、指す。



「君の、心音がね。」



よく聴こえるよ。
そう言いながら、音楽に耳を傾ける様に目を閉じるので、
俺は、思わず身を引いていた。
(全くの、無駄な抵抗だ。)


奴が、ゆっくりと瞼を開けながら、

微かに緩めた、
その蒼い眼と朱い口端が、



 嫌じゃない なんて 嫌だ 。






「身体は正直だと偉人はよく言ったものだよ。」


高笑い交じりにそう言った
コイツの言葉の使い方は間違っていて、

そんな男とこうして貴重なランチタイムを
いつも浪費している俺も間違っていて、

そもそも俺達自身の存在が間違っていて、

美味い蕎麦屋も、
この街も、
そして、

“世界の希望”であるあの、彼、も。








全てが間違いながらこの世界は転がっている。








青と黄色の目に痛いコントラストを描いたその腕が、
ひらりと店内に伸びる。


「御婦人、御愛想を頼むよ。」


はいよ、と威勢の良い返事を返した店員に、
金を払って暖簾を潜る。


ひんやりとした空気と、真上より少しだけ傾いた太陽が、
少し目に沁みた。

きらきらと水面の反射が見えて、
そういえばここの店はよく通る橋の側にあったんだ、と思い出した。

ゆったりと、
橋の上を流れていく人の流れが見える。




「赤君、君はこれから仕事だったね。」




足を橋の方へと進めながら視線で肯くと、
この男はいつもの嫌な笑いを浮かべて満足そうに頷いた。




「それじゃあ僕は美味しい茶菓子でも買って、
彼、の御宅へ遊びに行くとでもしよう。」




思わずとも、
俺の足は止まっていた。



だが勿論、奴の口は止まらない。

べらべらとよく動きながら優雅な足取りで俺を追い越し、
いつの間にか橋の方へと差し掛かっている。



「僕?僕は非番さ。ちょっと困っていた人がいたから代わってあげたんだよ。
そうしたらどうだい、彼と非番が重なってるじゃないか!ああ、なんと素晴ら
しい偶然だろう!まさか彼の非番なんかをチェックして無理矢理交代させ
たとかそんな非紳士的な事などこの僕がする筈ないじゃないか。そうとも。
これはもう運命と呼ぶしかない!そうだろう?おや、何を睨んでいるんだい
、赤君。心拍数と何だか血流っぽい音まで上がってきているようだけれど
病院へ行くかい?それよりも白玉君に診て貰った方が良いかもしれない。
大丈夫、その間僕は彼と素晴らしい時間を、て、赤君、こちらは橋の縁
だよ。はははそんなに押したら川に落ちてしま」









ど、っぱーーーん。










優雅なパリの昼下がり。


盛大な一本の水柱が、
この街に、ささやかな花を、添えた。



















27,間違った定義。

〜05,01,19



文字通り不言実行の男、赤。
有言実行(に失敗する)男、青。
カラーズはみんなカイが大好きだといい。

パリに蕎麦屋があんのかとか言わないで下さい。
きっとあるよ。パリだもの。




<<閉>>