頬に染みる、金木犀色の光が、いたい。
視界を埋める書棚を淡く照らしたその中で、
埃達がきらきらと舞い上がっていくのを、
私は相も変わらず美しいと思いながら、
けれど、
それが私を突き動かす衝撃によって、
一々そのステップを変えていくことに、
私は酷く邪魔な存在であるとも認めている。
「、ひ、…ぁあ、あッ、」
喉から断片的に溢れる音を必死に抑えながら、
私はただ、目の前の書棚の縁と縁に爪を立てて、
ぎいぎいと木の悲鳴を聞いていた。
こんな愚かしい私を見ている書物たちの目が恐ろしくて、
私は其れ等の題名すらから目を背けていたので、
目に入ってくるのは、
一様にくすんだ、けれど色取り取りの背表紙達と、
本棚の焦げ茶色の縁、
そしてそれに必死に縋り付く自分の腕だけだ。
それなのに、
耳に入ってくる音たちは余りにも多く、そして大きく、
私の聴覚から脳神経まで、全てを侵蝕し、掻き回して止まない。
それは、
私の必死に酸素を求めて動く息の音や、
ぎいぎいと悲鳴をあげる書棚、
揺すられる服の衣擦れ、
私の全身の骨の軋み、
嫌でも耳につく粘着質な水音、
そして、
ほんの少しだけ乱れて、私の耳の後ろに、髪に触れる、
、奴、の、呼吸。
「…余裕じゃねぇか、なぁ、坊や。」
耳に齧り付かれながら落とされたその音を、
こんな時でも普段と殆ど変わらない、などと私が知覚するよりも早く、
私の腰を掴んでいたその大きな片手が、
前へと回り、
空気にばかり触れながら涙を垂れ流していたそれを一瞬で握り込む。
「やぁああッ、…ソ、ル…っ!」
思いの外強い力で包まれたそれに、
私が悲鳴をあげて背後を睨み付けると、
耳に舌を這わせたその口は、楽しそうに笑いを溢した。
この男と、このような行為に及ぶことは、初めてでは無い。
けれど、
何度繰り返しても、慣れる事は無かった。
ただ、
舌が煙草の苦味と精液の味に触れ、
肌が粟立つ感触と奴の掌の温度を知り、
内臓を抉られる感触と沸点を覚え、
そうして、
恐ろしい事に、
恐ろしい事に、
私は、
其れに関しての、痛みと快感、と、いたみ、を、忘れる事が出来ない、で、いる。
なんと、おそろしい、こと、か。
今、
私が蕩かされた神経全てで、彼、を感じているこの瞬間、
何処かの前線でギアに身体を貫かれた誰かが、死、を感じている。
私が浅ましい声をあげながら彼を求め、彼が笑った瞬間には、
何処かの戦場で仲間達の血の臭いを浴びながら、誰かが死を覚悟して笑っているんだ。
私は、今、こうしている時でさえ、
3日前に死亡が確認された友人の事を想わなければならない。
そして、一ヶ月前に怪我をし、植物人間になり、退団した仲間を想い、
一年前に私を庇って死んだ、先輩の事を想い、
十年前にギアに殺された、家族の事を想わなければならない。
そうして今、彼等のお陰で生を取り留めている、
自身を含めた仲間達や、町の人達の為に、
ギアを斬り、屠り、滅ぼさなくてはならないのだ。
ただ、其れだけを考えていなければいけない。
そ、れ、なの、に、
「最中に余所見とは…、本当に、余裕だな。」
くっ、くっ、と喉の奥で笑うようないつものその音が、
思いの外、近くて、
私は耳に触れたその息に、息をすることも忘れてしまったんだけれど、
沸騰するような熱を更に煽るように扱き上げるその指と、
更に私の奥を穿つ速度を速められ、
私は気が狂いそうな思いで、
衝撃で力の緩んでしまった腕のせいで、
額を棚に押し付けるようにして、ただ耐える。
「、あ、ッあ、や、ぁ、そ…こ、やだぁああ、!」
一度開いてしまった口からは引っ切り無しに声が零れ、
ともそれば一瞬で意識が持っていかれそうな所ばかり攻め立てる彼は、
その手で私の髪を梳いていて。
そのゆるい温度と私の中を掻き回す温度が同じものであるなどと誰が信じる。
そうして、
肩越しに見上げた彼の、
私の髪に口付けたその、め、が、
私を、刺す。
「ん、ぁあ―――…ッ!!」
はしたなく達してしまった私に、
だが彼は何も言わず、その熱を私から引き抜いた。
「あ、…ぅ、」
からっぽになってしまった私の中は余韻にひくつき、震え、
じんじんと痺れるように痛痒い感触に、
私は堪えるように、更に棚に爪を立てる。
「…ソ、ル、?」
どうして抜いてしまったのか
どうして入れてくれないのか
強請る為か問う為か自分でもよくわからない私が振り返ると、
彼は向かい合わせるように私の肩を引いた。
私の両手の爪が、本棚に食い込んでいるのに気付いて、
ほんの少し笑ったように思う。
そして、私の肩を引いた手はそのまま私の腕を走り、
少し白くなってさえいた、行き場の無かった私の両手を、
ゆっくりと引き上げた。
私の両手を包んでしまう大きなその掌が、
うっすらと汗ばんでいる事がわかってしまって、
そんな些細な事でさえ、私の全身はびくりと筋肉を強張らせ、
そして勿論その私の浅ましい行動が伝わってしまった事もわかってしまって、
私はただ、彼の肩から滑り落ちてきた彼の長い髪が、
金木犀色の光に透かされているのを見つめている振りをした。
ただひたすらに、懺悔への衝動に駆られている。
だけれども私の両足は明日にでも戦場を駆けているかもしれないこの足は、
一歩たりとも、この場を動こうとはしてくれないのだ。
「掴まれ。」
突然耳に入ったその言葉を理解するよりも早く、
私は、痛いほど感じていた重力を失った。
「、ぅ、わっ?!」
私は思わず声をあげながら、
ぐらりと揺れる視界と崩れた体勢に、
両手に触れたそれにしがみついてしまって、
それが彼の首だったことに気付いて、
慌てて顔をあげると、
私を抱きかかえた彼の、きれい、な、め、が、
目と鼻の先から、こちらを突き刺して、いて。
ああ、
いつも、いつもいつもいつも、この、め、ばかりを追い掛けてしまっている、私、を、
御赦し下さい、
いつかのひと、たち。
あなたたちのために剣をにぎるときめたはずなのですそれなのに、
喉が、いたい。
「 “そっち” じゃねぇだろ 、」
静かに。
そうして真っ直ぐに私を見据えて焼き尽くすその音は、
「 “こっち” だ 。」
ただ、真っ直ぐに私を突き刺して。
その炎が確かに何処かを指し示してくれているのは感じているのに、
ほんの少し躊躇いの揺らぎを見せるそれに、
私はそれが“何処”なのかを悟ることが出来ない、
でいることを彼が悟ってくれたのが解ってしまって、
それは酷く酷く哀しいことであるような気がした。
その唇が薄く開いて、
、わたしの、名、を、 呼ぶ 。
「 カ イ 。」
彼の炎が、私を焼いた。
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〜05,09,28
47,アイデンティティ