「ざーーーあーーー。」



間延びしたその声に、まるで合わせるかのように響く雨音に、
げんなりしながらそちらを見やれば、

部屋の窓辺に置いた椅子から、
膝立ちになって窓枠にのしかかった彼の、ぱたぱたと動く足が覗く。


俺は、その窓枠の鍵がしっかりと掛かっている事を確認すると、
再び視線を手元の新聞へと戻した。

悪天候が続く中、
それでも世間は騒がしく、
新聞に踊る文字達は尽きる事などまるで無い。


「あーめー、やーまーなーいーぃー。」


少し不機嫌な、けれど間延びしたままの其の音に答えたのは、
俺ではなく、
温かな茶の湯気と共に部屋へと入り込んだ、
其れと(そして不名誉ながら、俺とも、)全く同じ音だった。


「仕方あるまいよ、小鳥君。今週末までは大体このような天候らしいからね。」


優雅な、(といっても胡散臭い、)足取りにも関わらず響くスリッパのたてる足音に、
俺は視界の端を通り過ぎた蒼い塊に、
思わず共眉を寄せていたが、
それに気付くほど、奴は繊細では無い。


「ほら、外がいくら灰色の雲に覆われようとも、そのように顔を曇らせてはいけないよ。
案ずる事は無い。この僕がその顔に美しい虹をかけて」

「…何しに来た。」

「愚問だともね!!このような悪天候に見舞われ、
災難にも暇を持て余しているであろう、赤君と小鳥君…キミ達の為に、この僕が!!
ティーパーティーを催し存分に語らおうという、素晴らしい配慮じゃないか!!」

「…帰れ。」

「はははははは!遠慮する事は無いよ!僕は全く持って迷惑など被っていないのだからね!!」

「…俺たちが迷惑だ。」

「はははははは!相も変わらず、赤君はシャイだなあ。」

「………。」

「あお、あほー。」


高笑いの木霊すこの景色に慣れてしまって、
溜め息すら出てこないというのに、

奴は、さっさとソファに陣取ると、
三人分のカップをセットして、繊細なアンティークの皿に、
それぞれ綺麗に切り分けられた羊羹を乗せていく。

茶の匂いを感じてか、
はたまた茶菓子の存在に気付いたのか。

窓枠にへばりついていたそれも、
ぱたぱたと早足で、俺の隣の席に、きちんと座った。


「いただきます。」


両手を合わせて挨拶をするやいなや、
楊枝で羊羹を嬉しそうにつつく彼に、
俺はとりあえず、再びぱたぱたと揺れ始めたその足を止めさせる。


「おいし。」

「それは良かった。君の口に合う事が出来て羊羹もさぞ喜ばしい事だろうとも!うむ、まさにこれを本望と」

「楊枝を噛むな。皿も持ちなさい。」

「はーい。」

「こうして小鳥君は元より赤君にまで笑顔という名の青空を差し込ませたこの奇跡を何と喩えよう!この僕が起こしたこの奇跡」

「茶が冷める。さっさと食べろ。」


永遠に続くかとも思える奴の台詞を遮ると、
奴は、少し驚いたようにこちらを見詰めて、
いつものように、薄く笑った。
(とても不快だ。)


「気遣いは無用だよ、赤君。」


、君と僕の仲じゃないか、と笑い続ける奴に、
どんな仲だ、と胸中で呟いてみたが、当然ながら微塵も気付きもせず、
奴は、上品なティーカップに注がれた熱い緑茶を一口すする。


「それに、青空、は大切なものなのだよ。一面の真っ青な空がね。」

「…でも、あめ。」


ふーふーとカップを冷ましながら呟かれた彼の言葉に、
、そうだね、とやはり優雅に頷いて。



「知っているかい、赤君。小鳥君。」



いつもの台詞が、雨音と溶け込んで、静かに消える。




「死んだ視神経は、眼球内を彷徨い、我々の視界をひらひらと泳ぐ。」




奴の蒼い目が金の睫毛の隙間から揺らいで、
俺は、霞んでも尚、鮮やかなその色が嫌で、カップを口元に運んだ。

香ばしい香りと、甘やかな苦味がほどよく広がり、喉を侵す感触が、
鼓膜に緩く、だが常に触れて離れない雨音と何処か似ているように感じる意識。



「僕は、あの雲ひとつ無い、美しい青空を、二度と見られなくなる事を、酷く恐怖している。酷く、ね。」



そして、
、かちん、と小さく響いたのは、
俺の隣の、アンティークの美しい皿から。



「にじ。」



僅かな餡の跡を残した皿には、楊枝だけが取り残されて、
ことん、とテーブルに戻される。


「あめがあがると、にじ、がみえるって、かい、がゆった。」


ゆるりと首を揺らす彼は、雛のような淡い前髪を共に揺らして、
拙い言葉を続けた。


「あおいそらをさして、そうゆうの。ほら、みてください、きれいですよ、て。…でも、」


そう言って前髪から覗いた、
鮮やかな若葉色の眼が、
俺達へ、向けられて。



「そこには、あおいそらしかないの。にじなんか、ないの。」



にじは、なないろなの。

、でも、みえない、の。


小さく失望に満ちたその声は、俺達を刺して、
ああ、そしてきっと、彼、はもっと大きな衝撃を受けてしまったに違い無いのだ。


「、小鳥君、…僕等の、眼は、」


空中の水滴と光の屈折と分光に因って生じる、自然現象。
しかしそれは余りにも繊細で。

人の手で造られただけの、眼、という形をしただけの、この玩具では、知覚など出来る筈も、無く、

けれど。



「俺の眼は、俺達の中で、一番“良い”もの、だ。」



蒼の眼の続けようとした言葉を遮って、
俺は、さくり、と羊羹を切った。


「だが、俺も、見た事が無い。」


ぱたぱたと、
大きく若葉色が瞬いて。

俺はただ、其れに気付かない振りをして、羊羹を口元へ運ぶ。



「カイは、俺達よりも、眼が、良いんだろう。」



甘い、
甘い甘い甘い餡の味に因る侵攻とまで喩えられるほどの侵食。

だが、
隣からの、ゆっくりと頷かれた笑顔に、
俺は、やはり気付かない振りをして、
緑茶で餡を喉の奥へと押しやった。
(そしてこの激しい攻防戦を全て解ったような顔で、薄く笑う向かいの男。)(やはり不快だ。)



「君には、眼を。僕には、耳を。」



唄うように並べられる言葉に、俺は奴を思わず共睨んだ。



「…、小鳥君には、何をプレゼントしてくれたんだろうね。彼等は。」



珍しく、皮肉気に歪ませた顔で、だがやはり笑いながら言った奴に、
俺はただ、
小首を傾げて見返してくる、若葉色の目から、
逃げるようにカップを傾ける。



「こいつは、俺達の誰よりも、永く、いきるんだろう。」



老いとは、精神と共に齎され、
それは身体の老化と比例しているものである。
しかし、我々のように理論上ならば半永久的に動くというモノならば、
それは僅かなりとも、精神と共に朽ちていくのだろう。

ならば、
精神が一番若いこの彼は、一番、永く、動き続けなければならない。


「…ああ、それは、残酷な事だよ、余りにも、余りにも、」


、相も、変わらずに、

そう小さく言って、笑おうとした奴の唇が、
上手くいつもの形を象れないのを、俺の視力が捉えてしまう。
、ああ、ほんとうに、ひどい、ことだ。



「、まるで、あの男、のようじゃないか。」



雨音が曇らせる窓からその向こうへと行く事は許されず、
奴の視線は、テーブルへと戻りながら、
ぱたぱたと言葉を吐く。



、彼、と共に在れない、炎を散らす、あの男の、ようだね。



雨音はただ強く、
俺達に訪れた沈黙さえも埋めて包んで離さない。

そしてそれはまるで、彼等、の背中を例えばただ眺めているだけで椅子から立ち上がれもしない俺達の動き得ない距離のよう。



「、あいつらに、救いは…、」



ぴたり、と。
奴の唇に当てられた人差し指が、俺の言葉を、留める。



「残酷な、ことだ、余りにも。」



そう呟いた奴の声すらも掻き消して雨音は止まる事無く。
太陽はその片鱗すら見せず灰色の霞が支配する世界は暗く。
道は泥濘み、先は見えず、確かな足跡すらも消して押し流す。

けれど、


「、かい、は、しあわせ、だよ、」


ぽとりと、
我々の間に落とされたその声に振り向けば、
幼い光を宿した若葉色の眼が、
俺達を射抜いて。


「、いっぱいいっぱいしあわせ、じゃない、とおもうけど、でも、」


ふうと、揺らされた睫毛は、
少し言葉を捜すように、伏せられて。




「それは、ふこう、じゃ、ない。」




そう、告げた音は、雨音に似ていた。
そうして、
くるくると、俺達を、見る。



「だって、にじ、も、みえるの。」



奴が、薄く嗤った。

俺は、僅かに息を吐く。

彼はただ、小首を傾げて。




「…ああ、そうだな。」




昨日も雨で、今日も、明日も、その後も。
雨のち雨のち、雨、だったとして。

だが、


其れが永遠に続く事など有りはしない。


全てにおいて、終わりが、あるのだ。
だが、それをどんな形で迎えるのかは分からない、ただそれだけのこと。

そして、

それを決めるのは、例えば俺達の手足であり、眼であり、耳であり、精神という思考で、ある。



がたがたと席を立つ音が、珍しくも二つ重なる。


「やあやあ、赤君、外は雨脚がまだまだ強い様子に相違無いが、君は何処へ行こうというのかい?」

「…そう言いながら、上着を羽織ってるお前はなんだ。」

「でかける?でかける??」


ぱ、と顔を輝かせた彼に、
俺は、短く頷いて。


「良い茶菓子が、入ったからな。」

「おすそわけー。」

「はははは難しい言葉を知っているね小鳥君!しかし一点あえて補足させて貰うならば、その良い茶菓子とはこの僕が!」

「…俺に寄越したのだから、俺の物だろう。」

「ははははははは赤君は面白い論理を唱えるのだね!確かにそういった考え方の視点というものも」

「…靴じゃないだろう。長靴を出してきなさい。」

「はーい。」

「はははははははなんて僕が思考の渦に身を任せている間に君たちは玄関にまで足を進めていたとは侮れないね。
おおっと待ってくれ給え僕もこのブーツを履くのには」

「行くぞ。」

「はーい。」











視界を侵す灰色のカーテンは上がる事無く俺達を覆い隠し続けているけれど俺達


ただ、相も変わらずに。






おそらくとも、かれらの、  あい  も、かわらず に。
















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55、雨のち雨のち雨
カラーズの話をちゃんと書こうとしてたきがしたんだけど、何時の間にかそるかいになってたというみすてりー。
何がしたかったのかどんどんわかんなくなってった私は、
要するに阿呆な青がかきたかっただけなんじゃないかとおもいますごめんなさい迷走してますうおおおお。


〜06,02,22