「いやぁああああああああッ!!!」


甲高い悲鳴が響き渡ったのは、
ちょうど私が読み掛けの本を読破した時だった。
リビングから聞こえてきたその声は、
おそらくとも二郎兄さんのそれに間違いなく。

ただならぬその声に、
私は閉じたばかりの本を放り出して、部屋を飛び出した。


「どうしました、兄さん…!!」


階段にたどり着く前に、
二階からリビングへ身を乗り出して叫ぶと、
そこにはいつもと変わらない景色が広がっていた。

ソファから上半身を落として、息をしてるんだかわからない様子の、
(けれど確実に寝ている)三郎兄さんと、
二人分のティーセット。
火の無い暖炉に、シックな食器棚。

ただ、その何等変わらない景色の中で、
二郎兄さんだけが、部屋の真ん中で立ちつくしていた。

恐怖に震える紫の瞳の、
その先を素早く横切ったのは、小さな黒い…


「ゴキブ…、」

「皆まで言うなぁあああ!!!」


やはり悲鳴じみた声で振り向いた兄さんの顔は、可哀相なくらい青く、
カサカサと微かに聞こえたその音に、
面白いほど反応している。

安堵と呆れの溜息をひとつ落として、
だがこのままにもしておけないだろう。
私はゆっくりと階段を降り始めた。

半泣きで縋り付いてくる兄さんをとりあえず除けて、
私は、何か叩けそうな物は無いかと視線を巡らせる。

そして、
テーブルに放り出してあった新聞(今朝の朝刊だったが、)を丸めると、
標的が逃げないようにと気配を消しながらゆっくりとそちらへと近付き、
狙いを定めて振り下ろし…、



ぶーん。

「わぁっ!!」

「きゃーーーーーーーーッ!!!!」



こちらの顔面に向かって飛んできたそれに、
思わずとも飛び退ると、
二郎兄さんが、耳を劈く様な悲鳴をあげた。
(どうやらそっちへ行ってしまったらしい。)


「ヨンの馬鹿ッ!!何で仕留めないのさっ!!!」

「だ、だ、って!…飛ぶとは思わなかったんです…!」


思い切り遠回りをして、
こちらに掴み掛かる(…というより、しがみ付いてきた)兄さんに、
けれど私も、床に着地した其れを睨んだまま、声を荒げる。

この黒い塊が、
顔面に向かって飛び込んできた恐怖を思い出して、
思わずとも震えが込み上げた。

目にした事が無かった訳では無いし、
戦った事が無かった訳でも無い。
しかし、飛ばれた事など、一度も無かったのだ!
(相手が動くよりも早く、
博士特製の対G専用殺虫スプレーが火を噴いた為。)

震える二郎兄さんは勿論、
動く気配の無い三郎兄さんまでも、戦力外。


…わ、私が何とかしなければ…!


密かな決意を胸に、
私は新聞紙を丸め直し、何とか立ち上がった。



「どしたー?なんかあったのかー?」

「「…兄さんッ!!!」」



唐突に、
暢気な声で、風呂場のドアから顔を覗かせたのは、
風呂掃除を終えたらしい、はじめ兄さんだった。


「兄さん助けて!Gが…ッ!!!」


二郎兄さんの悲鳴に、
はじめ兄さんの視線が、ソファ脇に居た黒い敵を捉え、そして…、



ぱたん。

「って、ちょっとぉおおおッ!!!」

「はじめ兄さんの裏切り者ーー!!」



滑らかに閉められた、裏切りの扉に駆け寄る事も出来ない。
(その間には、敵が鎮座している!)
私達の非難の声に、
だが兄さんは扉をちょこっと開けて、
隙間からその蒼い目を覗かせた。


「が、がんばれーお前達ーー。」

「兄さん、虫大丈夫でしょ!?やっつけてよ!!」

「カブトムシもクワガタも好きだけど、それは駄目だ!」

「何そのガキの言い訳ッ!!信じらんないっ!!!」


恐怖より怒りの方が勝り始めたのか、
亜麻色の髪を振り乱して叫んだ二郎兄さんが、

、もういい、と呟いて、

ゆうらりと立ち上がる。

ぱちぱちと逆立つ前髪から覗くのは、
涙に潤み、鮮赤に染まった紫眼。


「どいつもこいつも、ほんとに邪魔だよね…害虫って奴はさァ…、」


高まる殺気と共に、彼の手中に現れた封雷剣に、
私は思わず、兄さんを羽交い絞めて何とか抑える。


「に、兄さん!家の中で神器の使用は…!!カイに怒られます!」

「ごめんカイ…!!でも、許して…ッ!!!!!」(チャージ)


その赤い刀身が一際輝き、
一陣の迅雷を纏い、その黒い敵へと振り下ろされそうになった、

瞬間。



、ひゅ、と風を切って振り下ろされたのは、
“Toilet”の文字が書かれた一足の、スリッパ。

ぺしん、という音と共に、
だが、確実にその標的を仕留めた、
トイレ用スリッパを握り締めていたのは・・・、



寝乱れた緑の黒髪がゆらりと揺れて、
中から現れたのは、
其れに染まった兄さんの紫眼よりも、

尚、あかく、

私達三人を、ぐるりと突き刺して。





「うるさい。」





底冷えするような音で、
吐き出されたそれは、

まさに、
此処の家主が、来訪する、ある男へと時折向けられるそれに、

当然ながら、酷似していた。。。








73.迷惑な話さ。

…はじめて書いた、くろい子たちのメモ。
リサイクルするもんじゃねぇなと思いつつ、貧乏性。。。