、キス、というものが、嫌い、だった。
苦い舌が這い回るのが嫌だから。
唾液が口から零れてしまって身体に垂れるのが気持ち悪いから。
いつ息をして良いのかわからないから。
ヘッドギアにぶつかると結構痛いから。
私が、まるで彼の物になってしまったかのような、錯覚、を覚えてしまうから。
彼が、まるで私を、あいしている、かのような、
酷い酷い酷い、勘違い、をしてしまう、から。
「坊や。」
奴の低い声がそう呼んで、
私は今日も腕を引かれる。
額に触れる冷たい温度に、思わず私が眉を寄せると、
奴はそれを宥めるように、
閉じてしまった私の瞼に、やんわりとその唇を押し当てた。
ひどい、熱、だ。
蕩かされた神経は熱に浮かされ、けして正常には機能しない。
奴に掴まれた腕から、触れられた瞼から身体中を蝕んで止まないこの、熱、は、
恐ろしいほどの病に違いないのだ。
(私は狂ってしまっている!)
その長い髪がするりと零れて、
少し尖った見慣れた耳が覗く。
至近距離で私を射すこの男の、め、は、
私のめを映し込んでも、尚、あかい。
その大きな左手が、いつものように私の頬を這って来て、
だけど私は、
私の口を抉じ開ける親指に、軽く噛み付いた。
ほんの少し寄せられたその眉に気付かない振りをして、
私は、彼の左手に両手を添えると、
未だ口内に刺さった親指に、ゆっくりと舌を這わせる。
私の手の中に掴まれたその左手は頬から外れ、
私は、そのまま親指から手の甲へと流れると、
そこでほんの少し歯を立てて、彼を見上げた。
舌に触れるのは彼の皮膚の感触と、
嗅ぎ慣れてしまった戦場の臭いと、
覚えてしまった、血の、あじ、と。
この左手が剣を握りギアを斬りそして私の頬を撫でる。
私は、すべてを洗うかのように、しかしそれは余りにも不可能な事だと解っているけれど今の私の神経は正常では無く私は名も知らぬ病に掛かって気が狂っているので、
彼のその指たちに、舌を這わせていった。
唾液が指に絡まる音に、隠れるように視線をあげれば、
ほんの少し、驚いたような彼の視線と、ぶつかって。
微かにその犬歯を見せて笑った彼に、
私は、熱に浮かされた頭のまま、ただひたすらに、彼の名前、を呼んで、いた。
〜05,09,22
*親愛なる、歓月様へ、捧ぐ。
四百四病の外=恋患い