こん、こん、こん、

軽いノックを三回たてる。

一般的には二回の方が行っている人間は多いと思うが、
“三”というのは、聖数であり、
三位一体にも繋がる聖なる数と言われ以下省略。


要するに験担ぎのようなものである、が、



「どうぞ。」



中からの声に従って、静かにドアを開けると、
それほど高くは無い書類の山に、
だが埋まってしまいそうな、一人の少年の姿。



「今日はアップルティーですか?」



顔を上げながら言ったその瞳は、
歳相応の嬉しそうに輝いたそれで、

だが彼も、
(恐らく、気配、足音、そういったものもあるのだろうが、)
三回のそのノックでその人間が私だと判断している、ようなので。

私は、片手に乗った盆を彼に見せながら、ゆるりと告げた。


「丁度食堂でクッキーを焼いていたので、それも頂いて来ました。」


ぱ、と明るくなったその顔に、込み上げる笑いを飲み込んで。
(彼はそのような微笑ましいという笑いさえも、子供扱いと解釈するようだ。子供らしい事だ。


休憩にしませんか。


そう声をかければ、
カイ様は、忙しなく動かしていたペンも早々に放り投げて、
私がカップをセットするよりも早く、
来客用のソファに腰を下ろしていた。



















「先日、新人の一人と手合わせをしたんです。」



ティーカップに薄く残った紅茶を見ながら、
カイ様は静かに切り出して、

15歳の、少年です、

と、私の目を盗み見るようにして補足したので、
私は、知っている、という意を込めて、一つ頷く。



「私は彼を“物理攻撃”班へ移動させようかと、思います。」



するりと流れ出た言葉は、確かに鋭利な刃物であった。
しかし、
その言葉を突き刺した彼の表情は声は、実に穏やかなもので、
だが私は、彼の手にしたティーカップの湖面が震えてしまっている事を知っているので、

やはり私は、ゆっくりと頷く。


「彼には素質があります。飲み込みも早い。第三大隊の隊長は、教えるのが上手いから…、」


するすると流れ出ていたその音は、ぷつん、と途切れ、
視線は私と合わせないように、明後日の方へと向いたまま、
少年の口は、ゆっくりと閉じてしまった。


私は、再び頷いて、
そんな彼に気付いていない振りをしながら、席を立つ。



「直ちに手配しましょう。」

「ベルナルド…っ!」



言った私に、
少年は、弾かれたようにこちらへと顔を上げた。


がちゃん、と音を立てたカップからは、
紅茶が少し、ソーサーへと零れてしまって。

だが彼はそれにすら気付かないほど、
瞠目したまま、私を見ている。



「私は、わたしは、…あの少年に、剣を持たせろ、と、言いました、」

「はい。」



ただハッキリと頷く私に、
彼は、大きく首を振ると、
荒々しく机にソーサーを置いた。




「私はっ、あんな少年にさえ、死地へ赴けと言っているのです…ッ!!」




半ば叫ぶようにそう言った彼は、
射すような碧で私を睨み、
大きく肩を揺らして、息を吸っている。

私の喉元に刃を押し付けてさえいるようなその殺気にも似た空気に、
だが、

私は、ゆっくりと頷くだけだ。



「貴方も、少年ですよ。」



廊下の真ん中で膝を震わせながら、必死に怒りを堪えていた少年と、
今、目の前で、人を駒だと言い切れない事に怒りを覚えている少年と。


余りに違い過ぎるのかもしれない。
そして、
限りなく同質であるに違いないのだ。


けれど、
少年は、ゆるりと首を振る。



「わたしは、そうであっては、ならない、よ、」



、ぷつり、ぷつり、と、音は途切れた。

零れた紅茶の赤が、冷めることなく、ただ、温度だけを無くしていく。

私は、視界に写るそれを冷静に認めながら、
静かに溜め息を吐いたようだった。


小さかったその音を耳敏く拾ってしまって、
僅かにぎくりと身体を竦ませる少年へ、私は向き直る。



「残念ながら、私は貴方の言葉を、否定する事はありません。」



、今までも、これからも。
そう続ける私の言葉に、
瞠目した少年が、じわじわと私へと視線を戻した。

だが、私はその弱弱しい視線を撥ね退けるように、
席を立ち、言い放つ。


「貴方は私に、叱り付けて欲しいのかもしれない。けれど、私は貴方の親には、為り得ない。」


凍りついたように固まった、
少年らしいその碧が、
小刻みに震えだし、変色し、その色に絶望を混ぜ合わせ。


私はただ、それを真っ直ぐに見詰めながら、
彼の居るソファの脇へ足を進めると、
少年の目線の高さに合うよう、
静かに、跪いた。



「だから私は、貴方の腕と為るのだと。」



大きく。
瞬きをしながら、私へと視線を向ける少年は、
とても、ちいさな存在だ。
しかし私は、
、そう誓ったのです、と、そう言って、
頭を垂れる。



「老い先など長くも無いこの命を、貴方に戦場で拾われたあの日から。」



言って、ゆっくりと顔を上げると、
跪いた膝が、
、正確には、義足の膝の部分が、
ぎしりと、音を立てて軋んだのだけれど。


私は、
いつもの美しい碧でこちらを見下ろしてくれている少年を、
やはり真っ直ぐに見詰めて、
口を開く。



「貴方が私を、救ってしまったのですよ。」



その言葉に、ちいさな少年は、

顔を緩ませて、
笑ってくれた。




















「それでは、こちらのサイン済みの書類は頂いていきます。…それから、」

言いながら、
持ち込んでいた書類をぱらぱらと捲り始めると、
机に戻った少年は、苦笑交じりにこちらへと顔を上げる。


「今日は、これ以上の追加書類は認めませんよ、ベルナルド。」

「残念ながら、一枚だけ、追加です。」


げ、と小さく呻いた少年に、
だが私は、先程、目の前の少年と同じ歳頃の少年から伝達を受けた、
小さな封書を差し出した。


彼は、自分の両脇に積み重なった紙切れとは違う、
封書であることに目を瞬かせると、

私が封を切ったそれを開いて、
(失礼、と小さく断りをいれることも忘れない、)
中の文書に目を通す。



「新入り、ですか?」



この時期に、と続けられた言葉に頷いて、
先程確認してきた情報を、口にした。


「異例な事ではありますが、団長からの推薦という事で…、」


、恐らく、
と続ける必要もなく、
少年は、私の言葉の先が解ったのか、

静かに、文書を封に戻し、そして、




「この男は、強い。」




やはり静かに告げられた言葉に頷けば、
少年の、鮮やかに燃え上がる碧にぶつかる。


「手合わせが、楽しみだな。」


楽しそうに、
挑戦的に笑うその表情は、
少年らしいそれだとも思ったのだけれど。






「それでは、その前にこちらの仕事を全て終わらせて頂きたいのですが。」

「…わかっている。」

「ちなみに、こちらの一山の期限は、本日の夕方です。」

「………わ、わかってる。」












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2,貴方が私を救ってくれた
〜05,12,25,