「愛姫様、お逃げ下さい!…敵襲が…!!」
遠くから聞こえた侍女のその声が悲鳴に変わり、
奥へと向かっていた私は足を早める。
「来るな!この城は我々が占拠した!武器を置き降伏せよ!」
次にそう響いたのは、震える男の声と侍女たちの悲鳴だった。
廊下の角へ滑り込めば、奥への襖が蹴倒されたのか、
破られているのが視界に飛び込み、歯噛みする。
その向こうには、何人かの侍女たちの、震える背中が見えて。
「…この姫の命がどうなっても良いのか!武器を置け!!」
叫んでいるのは、今回の襲撃の首謀者の一人らしき男だった。
そして、その腕の中で刃を突きつけられていたのは、
この米沢城城主、伊達政宗様の御正室…。
「愛姫様を、御放しなさい。貴様のような者が、触れて良い方ではありません。」
言った私に、震えていた侍女達が弾かれたようにこちらを振り向いて、
口々に、喜多様!、と泣きそうな顔で私を呼ぶ。
それを、落ち着きなさい、と手で制しながら男を見やれば、
男は、私の名を何やら確かめるように呟いたようだったが、
次々に駆け込んできた近衛兵たちに、来るな!と叫ぶと、刃を更に姫の喉元に押し付けた。
男が喚く。黙れ動くなこの姫の命がどうなっても良いのか。
姫は何も言わない。何事も無かった顔をしてこの状況を眺めている恐怖や驚異や興味
すら無い表情で唯、これをみている。(中々肝の据わった娘だ)(そして実に上出来だ)
姫は、その美しさを櫻に例えられ、
“奥州の櫻は一年中咲いている”、と謳われているらしい。
その噂を耳にして、
綱元は僅かに視線を逸らし、景綱は小さく言った。
、…それを聞くのは、何年振りか、と。
当時を知らない、けれどそれを身を以って体感している、
成実と政宗様は、揃って珍しく閉口していたように思う。
しかし、ひとつ訂正するならば。
、一年中 さいている、ではなくて、 一年中 ちらない 、と、評されていたのだが、
…そのような些事はどうでもよい。
其れ等全ては、世間の戯言に過ぎないのだから。
ふうと、美しい庭が目に入る。
この奥を包むように伸ばされた枝からは、このような醜い騒ぎなど知らぬという顔で、
きらきらと花弁が躍っている。
どのように月日が経とうとも、この儚い景色は変わる事は無いのだろう。
我等の想いが、
彼の根となり土となり幹となり枝となり葉となり花となり実となるように。
この身が、果敢無くなるまで、変わる事は無いのだろう。
嗚呼、その為ならば、いくらでも謳われてみせましょう。
愛姫様は、その美しさを。
そうして、わたし、は…―――。
「奥州の “ さくら ” は、少しは名が通っていると聞き及びましたが…まだまだだったようですね。」
「…あ?」
訳が分からないという顔をする男に、うふふと笑う。
久しぶりだ、久しぶりの感覚だ、
背筋を撫でた感覚の名を私は知っている。悦び。
相手は、先日我々に潰された、けして小さくは無い一族の氏を名乗った。
城主、武に長けた武将達、その全てが城を空けた、僅かな隙をつき、
更にその中で、迷わず城主の正室を人質にとるという計画性。
見事我々を手玉にとり、出し抜いた事には、素直に賛辞を送っても良い。
しかし、その男は、
姫を案じて身動きがとれず、それで余計に殺気立った近衛兵たちや、
段々と集まってくる人の気配に、目に見えて焦っているようだ。
少し、残念に思った。
私は腕を動かさずに、両の手を袂に引き戻し、
暫く実戦で触れる事の無かったそれを、手の中に滑り込ませながら思っていた。
、つまらない事よ、と。しかし、何とも久しぶりなのだ。同時に、充分であろうとも思う。
私の唇は弧を描いたまま、音を紡いだ。
「久方ぶりに、“ 咲く羅 ”、を咲かせてみましょうか。」
するりと上げた掌に馴染むのは、木の細い柄の感触。
右手に二本、左手にも二本。扇を開くように、懐刀が開かれ、羽根となる。
一瞬でいい。瞬きの間で全ては終えよう。
男が呆然と四本の短刀を目で追っている間に、姫の唇が僅かに動いて、きれい、と言った。
私は、微笑う。
「ご覧じろうませ。」
奥州の、 “ さくら ” は 、 血 と 羅 しか ない 。
二輪の櫻。
愛姫。
奥州の櫻。
喜多。
奥州の咲く羅。
〜07,02,20