「成実ぇえええええ!!!!!!!!」

がっちゃーん、と高く響いたその音に、今日は何を割ったかな、と思いながらも手は休めない。

いくら慣れてしまったその光景でも、
溜息だけは自然と零れてしまったけれど、それは致し方ない。

そして、いつものようにどたどたと近付いてくる、足音。
(ほんの少し腹の辺りが、ちくりと痛んだ。)(後で薬湯を頼もう。)


「こじゅうろう、匿ってーv」


こんな時ばかり気配を消して、するりと部屋に滑り込んだ成実は、
こちらにそう言って、締まりの無い顔で笑った後、
…あ!と小さく声をあげて、勝手に人の部屋の襖をあけると、押入れに潜り込んだ。

それを追うように聞こえてきたのは、先程とさほど変わらぬ、やはりどたばたと大きく響く足音がひとつ。


「小十郎!成実を出せ!!あの野郎、今日こそ血祭りに…、」

「政宗様、そのような寝着のまま走り回られては、風邪をお召しになりますよ。」


しかし彼は、
羽子板でもやって負けを越したかのような墨だらけの顔も気にせず、
唾を散らしながら怒鳴った。


「Shut up!!! 写経なんざやってる場合じゃねぇぞ、小十郎。…あいつは何処だ?」

「…政宗様。朝餉の前です。そろそろ姉上が呼びに参られるか、と…。」


突然出された自身の乳母の名に、彼は暫し沈黙すると、
大きく舌打ちをして、素早く立ち上がる。

「…喜多が来る前に済ます。…っあの野郎…今日は綱元ん所だったか…!」


そして今度は、ほんの少しだけ控えめな足音を立てながら、
(それもいつまでもつか分かったものでは無かったが。)
彼は、綱元殿の部屋へと向かっていってしまった。



その音が完全に遠のいてしまえば、
するすると控えめに開くのは、確かめる事も無い、押入れの襖。

「……………。」

向こうが何か言うよりも早く、無言で睨みつければ、
政宗様と幾つも離れていないその青年は、
まだ幼さの残る双眸を泳がせて、唇をへの字に曲げる。

「ちっげーの、だってまさむねがさぁー。」

「五月蝿ぇ、さっさと出ていけ。」

「こじゅうろう、ひでぇ!」

おにー、だのなんだのと尚も騒ぎ立てる彼に拳骨で答えれば、
うるさかった口は、なんとか閉じた。

しかし、走り回ったせいで乱れた、長い前髪から覗く、
まるで反省の色の見えない不満そうなその目に、
俺は諦めの意を込めて溜息を吐くと、さっさと机に向き直る。

「その長い前髪をどうにかしろ。」

「えー、切るのめんどくせーじゃん。」

…そんな事を言っていて、戦場で隙のひとつにでもなったらどうするつもりだ、と、
こちらをひょこひょこと覗き込んできていたそれを、きつく睨んだ。

戦場で、視界が少しでも悪くなる、という事が、どんなに分の悪い事か。

それは、
俺達が一番よく分かっていて、

誰よりも、
あの方自身よりも、
解っていなければならない、事、で。


「…わざと、右側に流して視界を悪くしたからといって、政宗様は、」

「ちげーよ。」


ぴしゃりと止めた音は、強いもの。だけれども、


「そんなんじゃねぇんだ、そんなんじゃ…、」


ずるずると消えていく音は、ひしゃげて潰れた。
彼の顔は見えない。
ただ視界の端で、俯いたその顔を、色素の薄い髪が簾のように隠す。

僅かに震えたその気配の色は、
幼い頃から変わらない、(そしてその事があの方にとって、俺達にとって、どれだけの救いであるか)、それに相違なく、

彼の想いは、今も迷い無くただ、あの方に向いているのだと分かって、
俺は、彼に気付かれないように、
本当にこっそりと、静かに息を吐き出した。












「殿。お早う御座います。」

「Gooooood MORNING...」

地の底から這い上がるような俺の声音に、
綱元は何事も無かった顔でするりと礼をし、

「しげ…、」

「成実ならば、今朝は一度も姿を見かけておりません。」

こちらが言うよりも早く、何もかもお見通しだったらしい言葉を紡いだ彼に、
思わず俺も言葉を飲み込んだのだが。

「推測するに…、」

すぅ、と気配を探るように目が細められ、
(しかしそれは、そのような事をするまでも無いとでもいうような顔だったが、)
鋭いその目が、再び伏せられた。


「景綱のところではないかと。」

「小・十・郎ォーーーーッ!!!!!!」


Fuckーーーー!!!!!!!!と叫びながら、
元凶の成実は勿論のこと、主を騙した右目に、一体どのように落とし前をつけさせてやろうかと、
俺が楽しい計画を脳内で巡らせていると、
ふうと、涼しい音が、耳に触れた。


「若。」


いつでも静かで乱れのないその音は、ぐらぐらと煮立っていた俺の脳をぴたりと鎮火させて。


「悪い夢でも、ご覧になりましたか?」


低く、強く柔らかいその音は、静かな朝にあろうと、戦場にあろうと、変わらないものの一つで、
俺はそのことに酷く安堵を覚えながら、少し笑う。


「もう、若、ではないだろ。」

「そうですね、」


やはり頷いた彼は、暫くその口を結んで閉じた。
また何かの気配を探っているのかとも思い、俺自身も気を張り巡らせてみたけれど、
ざわざわと起き出した皆の空気が聞こえ、遠くから朝餉の香りが鼻を掠めただけだった。

しかし、その空気を俺が読んだ事すら分かったような眼で、
彼は、改めて俺へと向き直る。


「私も、皆も、貴方だからついてきているのです、殿。けれど、それは“殿”としてはもちろん、“若”だからこそ。」

「…?どちらも俺だ。何も変わらない。」


珍しくよく喋ると思ったが、訳の分からない言葉遊びをする彼に首を傾げれば、
彼は、ほんの僅かに目を見開いて、破顔した。


「ええ、その通りです、その通りですね、若。」


何年ぶりか、否、生まれて初めてかもしれない、彼の大きな笑顔に、
俺は正直、ぽかんと呆けたようにそれを見つめてしまって。

父を亡くした今も尚、“若”と呼び続けるその音が、
子供扱いとは違う、馬鹿にされているとも全く違う、
純粋な、好意と敬意と、愛情、なのだ、と、気付いてしまって。

俺は、俺という存在がこの世に生まれた瞬間から、ずっと在り続けてくれていた、
このやさしい眼に微笑まれているのが何となく気恥ずかしくて、
頭をがりがりと掻きながら、舌打ちをして、踵を返す。


「ちっ、成実を捜す!…ついて来い!!」

「御意。」


返事を待たずに歩き始めた視界の端で、彼が一礼したのがちらりと見えた。
俺は、彼がするするとついてくる足音が聞こえないほどに、足音を立てながら先を急いでいく。

どかどか、と身体を揺らすそれが、
足音なのか、心音なのか、わからないほどに。






















少しの間、その呼吸に合わせてゆらゆらとしていたそれは、
彼がかきあげた指に絡まって、後ろへと流れた。

「ほんのちょっと、はんでぃ、が無いと、おれ強すぎて困るじゃん?」

そう言って、髪をかきあげながら、けらけらと笑う彼は、
そのままごろりと畳に転がった。
視界から彼が掻き消えてしまっても、
俺の手は休むことなく、半紙の上に筆を滑らせていたのだが。


つ、と後ろに引かれる袖。
それに溜息で答えれば、どすっという音と共に背中に圧し掛かる体重がひとつあって。

見事、半紙の上につらつらと並んだ文字は、
押し付けてしまった筆と飛び散った墨で潰された。


「…こじゅうろう、こじゅうろう、ちげーんだ、おれはさ、おれは、」


こちらの肩口に押し付けられた頭が、ゆるゆると揺れる。

ぐしゃりと毛先の歪んだ筆を硯に戻しても、
じわじわと半紙を侵食する墨は、止まらない。
白い半紙も、文字だったものも、戻らない。
あの方の右目も俺達が斬り進んできた事実も歩いてきた道も何もかも全ては、もどらない。

彼が口を開いて息を吸ったらしい動きに合わせて、
さらりと、俺の肩を栗色の髪が流れる音がする。

声は、掠れていた。



「まさむねと、おんなじもの、見てぇだけだよ。」



いつの間にか抜かされていた、背。
どんどん前を見て、どんどん上へゆく、背。
それがどんなに迷っているか、どんなに重いのか、どんなに辛いのか、それも垣間見せてくれる、背。
それでも。


バタバタと少し遠くで聞こえる足音に成実は、ぱ、と顔を上げると、
襖を開け放ち、廊下へと飛び出す。

探した姿は、ちょうど中庭を挟んだ向こう側の通路で、
静電気をバチバチ飛ばしながら、ギョロギョロと辺りを見回していたようで。



「まさむねぇーーーー!!!」



大きく呼んだ声に瞬時に反応し、
標的を捉えた隻眼が、ギラリと殺気に満ち満ちて光る。

しかし成実は、
こちらに向かって、廊下を猛然と走り始めた彼に、腕を大きく振りながら、
大きく息を吸って、そして、


「だーーーいすきだぁーーぞぉーーーー!!!」


、がたーーーーんっ!
政宗様が勢いよく廊下に突っ込んだ音に、殿ーーーッ!?だの筆頭ーーっ!!だのと悲鳴が聞こえて、
その後ろからゆっくりと歩いてきていた綱元殿が、歩調を変えずに彼の元に跪き、助け起こしているのが見え。

しかし当の原因の成実は、
たまらないといった様子で、暫くの間、畳に転がってげらげらと笑っていた。


「ぶひゃはははまさむね顔赤っけーのかっこわりぃーひひひははは!!!」

「KILL !!!!!!!!」

「堪えなさいませ政宗様。」

「…ってめぇ小十郎!!さっきこの首差し出さなかったてめぇも同罪だ!!!」

「…鬼庭殿。」

「俺は知らん。」

「ぎゃっはははは!!!まさむねーおでこに、木目の跡ついてやんの、だっせーーぇーーー!!!」」

「……もういい。お前等全員…この独眼竜がくらって…」




「皆様。」



ぴたり、と。
空気が凍てついた、音がした。

涼やかに、あくまでも涼やかに聞こえたその声は、
しずしずと冷えた廊下を滑りながら、固まりきった我々へと確かな気配をもって近付いてくる。


「朝から、随分と賑やかでございますね。」


甘く朗らかな声は、しかし刃よりも鋭く煌きながら、凍りついた俺たちの背中にぴたりと突きつけられ、
さっきまで廊下を覗き込んでいた皆の気配も、それに合わせてするすると遠のいていくのが解った。

そうして、誰もが言葉を失った中、
成実の、…じーざす、という言葉が、ぽたりと冷え切った廊下に染みた…。





「…御覚悟は、宜しいですね?」





…姉上の笑顔は、今日も美しい。







ああ、まるで、血を見るような喧嘩もある










〜07,12,13
衝動にまかせて初めて書いた、ばさら文だった記憶。
日付をみたら、綺麗に一年放り出してあったので、さるべーじ。
いろいろぐだぐだ過ぎるけど、とりあえず伊達軍に愛をこめて。。。