「それからは、オリジナルであるお前の気配を探知して、ここまで来たんだ。」


俺の身体の基は、お前の細胞だからだろうな、
所内に居る時もずっと、お前が何処に居るかは、何となく感じてた。


そう言って言葉を切った彼は、
静かに深呼吸をして、真っ直ぐに私を見る。

また少し震え出した手が、
硬くシーツを握り締めたのが視界の端に見えた。



「これが、昨夜起こったことの全てだ。」



かたん、と鳴った窓の音がやけに響いたけれど、
嵐は大分弱くなったようだった。

長い長いその話に、
そして余りに大き過ぎる話だ。
私は、思わずとも噛んでいた唇を開いた。
少し血が滲んでしまったかもしれない。



「…水面下でそのような研究が行われていたとは、」



ただ呟いたつもりだった私の声は、怒りで微かに震えていた。

サイドテーブルに置いてあった紅茶が、
恐らく完全に冷え切ってしまったそれが、
湖面を揺らしてこの歪んだ顔を映している事にすら、怒りを覚える。



「ブラックテックは、悲劇しかもたらさなかったというのに、また同じ過ちを繰り返すつもりなのか…!」



私の吐き出した言葉に、
彼が震える瞼をきつく閉じるのが見えた。


「これで、分かっただろ…、」


溜め息と共に落とされたその音は、やはり震えている。
私は思わずとも、口を噤んだ。
微かに舌先に触れた鉄の味が痛い。



「全てのデータが破壊された今、恐らく奴等は血眼になって俺を探している。
俺の髪一本、血液一滴からでも、奴らはデータを復旧させるだろう。」



ここまでの道程は、嵐のお陰で足はついていないはずだ…、と、
小さく続けた言葉は、彼自身必死にそうだと信じたい事で、
彼はここにいながらも、未だ彼等から逃げているのだと気付いた。



だけど、それは自分を保身する為の
恐怖では無い。



「俺が生きている限り、また同じことが繰り返される。」




それは、




「俺と、同じ奴が生まれる…」




自分と同じ存在が、再び自分と同じ想いを抱いてしまうかもしれない、という、恐怖。
そうさせたくないという、彼の“希望”。




「だから、」




彼は震える瞼をこじ開けて、
その美しい蒼い眼を、
うっすらと滲ませてさえいる、その眼で、

私を見る。






 こ れ が 本 当 に “ 人 形 ” だ と い う の か ?










「俺を殺してくれ、カイ。」










真っ直ぐに向けられたその言葉に、喉が痛んだ。


「…だからといって!」


思わず叫んだ私は、必死に首を振る。
こんなことが赦される筈が無いのだ!


「何故あなたが死ななければならない!!」


何故、何故、何故、
何故世界は不条理であるのか何故真に救いを求めるものが報われないのか何故・・!
私の目の前にいる、彼、は、



「あなただって…っ!」


「…お前に分かるか。」



静かに、
震えるそれを隠しもしないで放たれた言葉に、
私は喉を詰まらせた。


彼の指は、
きつくシーツを握り締めて、真っ白になっていて。




「お前にわかるか、自分というものを持てず…、他人の影武者として生かされてきた奴の気分が。」




噛んでしまった唇は、
やはり嫌な味がして。

彼は、それに気付いたのかもしれない。
その蒼い目が、ぱたりとシーツの上に、転がる。





「俺は、生まれてこなければ良かったんだ。」





ぽつり、と、落とされた、その言葉を、脳内でしっかりと考えるよりも早く、





私の右手は
彼の頬を、はたいていた。





、ぱん!、と高い音を響かせた自分の頬に驚いたのか、
彼が大きく目を見開いて、

信じられないものを見るかのように、私へと視線を向ける。



「…痛いですか?」



そう静かに問えば、
彼は、赤くなった頬に自身の手をあてて、
訳がわからない、といった目で、私を睨んだ。



「…そりゃ、そうだろ。」

「当たり前です。」



そう返された私の言葉に、彼の眉根は更に寄せられた。
けれど、
私は、真っ直ぐに彼を見る。




「貴方は、生きているんですから。」




何か言い返そうとしていた彼が、そのまま固まった。

私は、

微かに笑ったように、思う。





「…昔、私に対して、同じように叱ってくれた人がいました。」





ゆるゆると動かされた彼の視線が、先を促してくれた。

無意識にシャツ越しに触れた自分のロザリオが揺れて、
その向こうから、私の心音が、ことんことん、と伝わる。


心臓がたてる微かなこの音を聞いて、安心するようになったのは、多分、あの頃、から。


そして思い出すのは、ひとりの男。



「人類の希望として、偶像としての生き方しか出来なかった私に、自分というものを教えてくれた人が…。」



言いながら、シーツに転がる冷えてしまった彼の手をとって、
私は、しっかりと握った。


そうして、
微かに揺れている蒼い光を、真っ直ぐに見る。



私は、小さく、笑った。






「私も、貴方も、生きているんです。」



そして、あのあたたかい心音をもった、炎を纏う、あの男、も。



手の中にいた彼の指が、
ゆっくりと、私の手を握り返してくれる。


私は、空いていた腕を伸ばして、
やはり冷たかった彼の背中をしっかりと抱いた。


頬に触れた自分と同じ金の髪から、
雨と微かな血の臭いが鼻をついて、
泣きたいような想いで私は腕に力を込める。



「…そんなに簡単に、自分を、見捨てたりしないで下さい。」



掠れた声で囁いたその言葉に、
彼の手が、
私の背中でシャツを掴んで、


そして、私の肩に埋められた彼の頭が、微かに震えた、から。


私は、彼の髪をそっと梳いてから、
ゆっくりと腕を解いた。






いつの間にか窓から射していた光に、嵐が去っていった事に気付く。

彼もそれがわかったのか、
少し眩しそうに、その目を細めていた。




いつか、この綺麗な蒼い瞳が、思い切り笑ってくれれば、いいと、願います。




「少し…、考える時間があってもいいでしょう。」



静かにそう言った私の言葉に、
彼は小さく、ああ、と、頷いてくれた。





































「駄目です!全てやられています!」
「こちらも…、マザー修復不可能!そっちは?!」
「予備の保存データも全て消失!」


悲鳴にも似た状況報告が、全館放送で飛び交っている。

そして私の目の前には、
暫く使われていなかった来客室の、落ち着いたソファ、デスク、絨毯。


そして、その上に転がる、死体がひとつ。


「くそっ!この男…、余計な事を!」


思わず舌打ち交じりに呟く助手の言葉も、尤もだったが、
私は、未だ昨夜と同じままに保たれていた部屋に足を踏み出した。


壁にまで飛んだ血飛沫と、床に拡がった血痕、
デスクに置かれた二つのティーカップ、
ソファが絨毯からずれた跡、

そして、


投げ捨てられた、あの子、の、衣服。



「あの子に目を付けていたことは知っていましたが、もう少し注意を向けるべきでしたね。」



思わずとも零れた溜め息を押し込めるように、眼鏡のブリッジを押し上げて、
床に散った赤黒いそれの前にしゃがみ込む。


指で少し掬ったそれは、
乾き具合と変色の度合いからみても、
彼、がこの死体を創ってからデータを破壊し、逃走したとみるのが妥当だろう。


だが、
擦り合わせた指に触れた、
血とは別のタンパク質のそれ、が、
点々と落ちていたことに気付いてしまって。





「可哀想なことをしてくれたものだ。」




死体を突き刺した私の冷やかな視線に、
脇に居た助手が、僅かに後退さったのが見えた。


「…博、士?」


如何かしたのか、と、問う視線に、
私は短く、いえ、と答えて立ち上がる。


「資本元としては頼りにしていましたけど、何かと人の足元を見てくるので厄介な方でしたしね。」


血溜まりを踏みながらシートを掛けられた男へと歩み寄る。



「正直、死んで頂けて清々しました。」

「博士…!」



慌てて小声で窘めてくる助手に、失敬、と返して、ブリッジを押し上げる。
この使い込んだ眼鏡もネジが緩んできたのかすぐに擦れてしまう。
私の頭も似たようなものなのだお似合いというやつだろう。



そして、周りが何やら声をあげたが、構わず私は死体を覆っていたシートをめくり上げた。

男、だったものに刻まれた傷は予想通りたった一つで、
そしてそれが致命傷になったわけだが…。

男にしてみれば、悲鳴をあげる間も無かっただろう。

それほどに鮮やかな一撃だった。
例えそれが、力の入れすぎで血脈を断ってしまっていたとしても。

こんな男でも一瞬で苦しむ時間すら与えずに眠らせてやるなんて、
本当にあの子は出来た、息子、だ。


けれど、



ここで終わらせる訳にはいかないのだ。



私は、血塗れの死体に手を伸ばした。
そうして、

予想通り、彼、の血液死体の性器に付着していたのを確認する。






「まぁ、こんな方でも最後の最後に役に立って下さいましたしね…。」












呟いた私は、

全てを隠すようにシートを閉じた。


















to be continued...











17.オルグリェシダ
誇りをもって。