「ほれ。」
そう言って、
兄から渡されたのは一枚の紙切れ。
「…何コレ。」
「買い物リスト。」
至極当然と言った顔で言われた言葉を、
頭が必死に理解しようと働いている間に、
彼は、よろしく、と言って続ける。
「働かざる者食うべからずってな。」
「…は?」
思わず聞き返して、メモを見る。
牛肉、玉葱、じゃがいも、人参、ネギ、福神漬け、…以下省略。
こちらを見ていた兄、そしてメモを、何度も見比べると、
彼は胸を張って、口を開いた。
「今夜は、カレーだ。」
「そんな事聞いてないし!!!」
悲鳴じみたかもわからない僕の言葉に、
だけどこの男が気にする筈も無く(なんてこと…!)、
財布まで差し出しながら、更に言うのだ。
「お前まだ店覚えて無いよな?カイも出かけるっつーから案内してもらえ。な。」
「ちょ、ちょっと!兄さん!」
「…あ、二郎!八百屋は橋の方の店まで頼むな。あっち今日安売りしてるはずだからよ。」
もう何を言っても無駄なのだ、
そう悟って、
出された財布を引っ掴みながら、半ば叫ぶ。
「はいはいはい!わかったよ!っていうか、二郎って呼ばないでって何度も、」
「はいは一回。」
「………はい。」
どうして僕がこんなことを…!!
苛々と進む足音は自然と高く、紙袋を抱えたまま早足になっていく。
天気は良い。
気温も適度だ。
まさに散歩日和というやつである。
だが、どうして。
まさに昨日。
殺し合いを仕掛けたばかりのこの僕に、
どうしてあいつは平然とおつかいなんかを頼むんだ!
しかも、
「、わ、!」
やや後ろで聞こえた声と共に、
ばらばらと何かがばら撒かれた音が聞こえる。
げんなりと振り向けば、
そこには、
僕の足元にまで転がってきた林檎を、
慌てて掻き集めようとしている、
オリジナルの姿。
その両腕には、
既に溢れる程に詰まった紙袋が、
二つも抱えられていたことに気づいて、
そんなんじゃ落とした林檎なんか拾えないじゃないか!
舌打ちをしながら、
足元の林檎を拾い上げる。
「何やってんのさ!」
言いながら彼の方へと歩み寄れば、
彼は、一袋を片腕に持ち替えて林檎を集めていた。
「あ、二郎さん、すみま…、」
「二郎って呼ばないで、よ!」
言って、その一袋を奪い取る。
彼が驚いた顔でこちらを見るが、
僕は、もっていた林檎を彼の空いた手に押し付けた。
「なんで荷物、こんなに増えてるわけ?」
最後に寄った店は、八百屋だったが、
お互いに一袋程度で、こんなに目一杯入ってなんか無かった。
そして、彼がどこかに、ましてや果物屋なんかに寄っていたのも、
僕は見ていない!
「いつも寄っているお店の方々が、おまけだ、と。」
真っ赤な林檎を袋に詰め終えた彼は、
そう言ってゆるりと笑んだ。
確かに、露天商の人間と時折何かしゃべってるのは、見ていた。
けれど、
そんなことでこんなに荷物抱えて、
こいつはなんて、馬鹿なんだろう。
「“従兄弟”が引越して来たと言ったら、挨拶代わりに、と。」
兄さんは、街の人間にこいつの“兄”だと思われているらしいと言っていた。
つまり、“従兄弟”と、いうのは…、僕の、こと。
歓迎されているんです、“従兄弟”さん、
彼は歩き出しながらそう言って、
僕を見ると、笑った。
こいつは、なんて、ばか、なんだろう。
そして、こんな顔してくれたって、返す言葉さえ解らない僕は、本当に馬鹿だ。
最後に、行きたいお店があるんです。
そう言った彼に、適当に頷いて。
僕等は、少し重い紙袋を抱えて、
並んで歩き始めた。
ちり、ん、とベルを鳴らして扉をくぐった其処は、
小さなアンティークショップで。
思いの外、木の床を鳴らす自分のブーツに、
思わず足をとめて、ぐるりと店内を見回す。
焦げ茶の木の床に、
同じ色の棚が壁をぐるりと囲んでいて、
店の中央のスペースには、
年代を感じさせる、ソファや机がワンセット置いてあった。
かちん、かちん、と一々響く秒針は、やたらとでかい柱時計からで、
(豪奢な装飾は無いけれど、バカ高いんだろう)
思わずその綺麗な振り子を見つめていた僕は、
なんだか目が回りそうになって店内へ足を踏み出した。
オリジナルはといえば、通い慣れた店なのか、さっさと店の奥へと歩いていってしまって、
店主と話し始めてしまったから、
僕はなんとなく品物を眺めることにした。
窓際の棚に並んでいたのは、アクセサリー類で、
落ち着いた銀の装飾のそれ等に、
少し目を奪われる。
そんな中でも、目に、ついたそれは、
きれいな、赤い石の光る、ロザリオ。
十字に模られた細い銀が絡み合うそれは、
まるで蜘蛛の糸か何かのようで、
それに囚われた、紅い石は、酷く美しく見えた。
まるで異国の昔話のようじゃない。
神が垂らしてくれた蜘蛛の糸。
だけどそれを手繰り寄せた罪人は、
自分だけが助かろうと他の罪人たちを蹴落とした。
神は、
嘆き悲しんで、その糸を、切って。
お話は確か、其処でおわり。
けれど、
その糸が千切れて、
それに絡まりながら、再び地獄の地に墜ちる、罪人。
そんな、姿。
馬鹿みたいに惨めな所が、何だか僕にお似合いなんじゃないかと思ったんだけど。
ふと、カウンターへと目を向ける。
そいつは、
未だ店主と何やら食器棚を見ながら話し込んでいて。
今僕に背を向けているから、あいつ、のロザリオは見えないけれど、
あいつ、なら、
このロザリオでさえも、きれいに、
その純粋な、銀と繊細な装飾と赤い石の、美しさを引き出すのだろうな、と。
「何か良いものがありましたか?」
言ってこちらを覗き込んできた彼の視線が、
そのロザリオに留まったから、
僕はそれに手を伸ばして、そいつの胸元に掲げてみせた。
「あんたなら、似合うんだろうな、って。」
思った通り、
それは、
一枚の絵のようにそこにぴたりと納まった。
白いシンプルな上着に、繊細な銀の鎖と、赤い石がよく映える。
甘い金の髪から覗く一対の翡翠と、時折金にも煌めく紅は実に対照的で。
彼は、
僕の言った言葉に驚いたのか、しばらく固まっていたんだけど。
掲げたクロスを手に取ってしげしげと見つめる。
その緩やかなカーブを描く碧に映りこんだ赤は、
互いの金を交えながらきらきらと輝った。
「…、きれい、ですね。」
そう言って緩められた、
そして何処か遠くを見ているような、誰かを思い出しているような、
そのレンズが、口端が、声が、
空気までもが、
やわらかく、僕に触れる。
「でも、」
彼が掌のロザリオを僕に差し出して、
ゆるりと笑む。
「貴方の方が、似合いますよ。」
そう言って、照れたように笑ったその笑顔が、
意外にも近かったことに気付いてしまったんだけど、
僕は、一歩も動けなかった。
しゃら、と音を立てて僕の手の中に戻されたロザリオと一緒に、
僕に触れた、
彼の少し荒れたきれいな指が、
僕の神経中枢に入り込む。
伏せられた瞼に落ちた長い透けるような睫毛の影も、
少し色の薄い唇も、
全てがこのロザリオの銀のように、
僕の中に入り込み絵を描きながら、僕を絡めとり包み込んで。
やめろ、来るな、僕に触るな。
思い出す紫、僕の髪をかきまぜるその温度、
やめて、そんな温度、僕には必要無いんだから。
大丈夫かと真剣に問う蒼、
信じるな、“希望”など、在る訳が無い、のに。
僕が家に来た事を町の連中に祝われて、
嬉しそうに、緩む、
きれいな碧。
やめてよ、気が、おかしくなる・・・!
「そうだ、これ、選んでください。」
言いながら彼が僕の腕を引いて、
先程、店員と見ていた食器棚へと歩き出す。
「、選ぶって、一体なに、を…、」
食器棚に並んでいたのは、きれいな、ティーカップ。
呆然とする僕を見て、
彼が、笑った。
「あなたのカップを。」
容赦無く、
僕の闇を塗り替えていく、きれいなその色は、
きっときっと有害に違いない。
それとも、
僕の全てが作り物なのであるから、
これこそが天然色素なのかもしれない。
棚に並ぶ、きれいなティーカップ達は、
様々な色で僕を見ていて、
そんな僕を、彼は見ている。
僕は、手の中のロザリオを握りなおして、
赤の縁取りが美しい白いカップを指差した。
彼が了解したように頷いて、店員を呼ぶ。
「すみません、これを、」
「、ねえ、」
振り向いた彼に、おずおずと掌を差し出した。
手の中のロザリオは、
僕の温度を飲み込んで、
そして僕の指も銀の匂いを取り込んで。
「お金、貸してよ。」
すぐ、返すから。
そう呟いて、彼を覗き見る。
どうやってお金を返すかなんて、後で考えようと思って、
大体どうしてこんな図々しい事強請ってしまったのか解らなくて、
でも、離したくなかったんだもの!
だけど、彼は、
入居祝いですから、
そう笑んで。
僕へのプレゼントだと、言って、くれた。
有り難う御座いました、という声と共に、ドアをくぐると、
彼は、
こっそりと僕に、
この店はとっておきなのだ、と、
教えてくれた。
僕も、落ち着いた空気(ああいうのは嫌いじゃない)
を思い出しながら口を開く。
「良い店、だね。」
「気に入って頂けて、嬉しいです。」
家へと歩き出しながら彼はそう言って、
ふと、思い当たったように僕を見る。
「そういえば、人に教えるのは初めてでした。」
ああ、ホラ、また。
その、言葉が、温度が、声が、
色が、
僕を塗り替える。
どうぞ、と言って、
彼の手から渡されたロザリオは、
やんわりと彼の温度を吸い取って、いて。
僕は、
その紅い石に、軽く口付けた。
「ありがと、カイ。」
僕 の “ 希 望 ” は 、 此 処 に 在 る 。
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