とん、とん、とん、
適当に材料を切り終わると、
伸びて来た腕が攫ってくれて、鍋へ。
そしてまた僕が材料を切る。
ただそれだけの作業だというのに、時間の感覚が掴めない。
そう広くはないキッチンで、
彼と並んで、夕飯の準備なんかしている、この僕と、
僕が包丁を動かす度に、胸元で揺れる、銀のロザリオに、
何と無くむず痒い想いすらしながら、
少しだけ隣を垣間見る。
香ばしい音をたてながら鍋を揺らす彼の表情は、
いつものように真剣そのもので、
(そしてそれが何だか可笑しくて、)
僕は口元が緩むのを堪えるので必死だった。
そうして、最後の人参を切り終わって、
ふと気付く。
僕と、兄さん、そしてカイ。
三人分にしては、それの量が多いということ、に。
Project of black android.
The second story = X black.
Black widowCurse.
after story.
〜邂逅U〜
アラートが頭に響き渡ったのは、
それに気付いた瞬間だった。
脳髄を締め上げるような感覚に、
息が出来ない。
がちゃん、と何処か遠くで聞こえた音は、
自分の手元から放れた包丁が、シンクに落ちてしまった音で、
カイが弾かれたようにこっちを見た。
大丈夫ですか、
切羽詰ったような顔でそんな事を言ってくれたんだと思う。
けれど、この忌々しい危険信号、
そしてその元凶である、あいつ、の気配!のせいで、
その声すら聞こえない。(勿体無い、)
カイの心配そうな碧がこちらを覗き込んでいたから、
大丈夫だ、と答えようと顔を上げて、
目に入ったのは、
僕の指に走った一筋の、赤い線。
それが、
先程落とした包丁で切ったんだろう、なんて、
思考回路がそんな予測を弾き出す、それよりも早く。
僕のその手に、カイの手が添えられて、
赤い線の描かれた僕の指先が、
カイの口の中に、消える。
指の腹に這わされた舌の感触と、
口腔内の熱過ぎるその温度に、眩暈が、する。
いっそこの傷が蕩けて、
このまま、くっついて離れなくなってしまえば、いいのに。
外気に再び晒された僕の指が、
糸を引いて外されていくのを、
僕はとても惜しい気分で見ていた。
彼は、そんな僕の想いに気付く筈もなく、
無常にも糸を切ってしまったけれど。
きちんと消毒を、
そう言った彼に有り難う、と告げようとして、
漸く思い出す。
今一瞬忘れてしまっていたが、ガンガンと頭を揺らす、
このアラートの気配が、すぐ後ろに、いたこと、を。
、奴、を振り返ったのは、僕もカイも同時だったように思う。
「、ソル、」
来ていたのか。
そう言ったカイの声が聞こえたけれど、
奴の視線は僕に注がれていた。
「坊や。」
どうしてコイツが此処にいる。
その赤銅の目は、僕を刺しながらそう語っていたけれど、
僕は強くなるアラートに頭を抑えながら、睨み返した。
そして、説明しようとしたのか、
そちらへ足を進めたカイの腕を、
奴が、掴もうと、して。
僕の身体は反射的に動いていた。
「カイに触らないで!!」
カイを背に隠すようにして間に割って入った僕に、
奴は、驚いたように軽く目を見開いて。
だが、それはすぐに険相なそれに変わる。
「…おい、」
「此処はカイの家なんだけど。勝手に上がり込んじゃって、あんた一体何様のつもりな訳?」
段々と険悪になっていく奴の空気に、
だがその目が、僕の後ろ、カイへと送られて、
背中からは、カイの困った空気が伝わってきて、
何かその二人の視線での会話が酷くムカついて、
僕は思わずカイを振り返った。
「こいつがカイの知り合いなのはわかった。けど、」
カイの目が困った色でゆれる。
それは、困ってるけど楽しそうな色が混じってて、
なんだかとにかくこいつが来た事がうれしいみたいで、
なんでそんな顔してるの!
そういえば、ちゃんと聞こうと思ってたんだけどさ、
そう言って奴を指す。
「こいつって、カイの、何?!」
ぱたん、と、
カイの両目が大きなまばたきを、ひとつ。
そうして彼は、僕の勢いにやや気圧されながら、
なんとか口を開いた。
「いえ、…“何”と、言われましても…、」
もごもごと言葉にならない声が消えていく。
それにすら苛々した僕は、更に言葉を続けた。
「因りによってこんなのと…!一体どういう関係なの?!」
ぴりぴりと背後の方の殺気が膨れ上がっているのなんて、気にしない。
だけどその殺気の方向は、
勿論僕へのものであり、
だけどそれは、視線を泳がせているカイへも向けられていたように思う。
そして更にはそうしてしまう、奴、自身へ、も。
僕はカイの両肩を掴んで、どうなの、と、視線で更に問う。
ぐるぐると言葉を捜すカイは、
だが、漸く、その唇を開いた。
「はははははははははははッ!!!!」
ソファに身を捩って笑い転げる彼は、
目に涙さえ浮かべながら、腹痛ぇ、と笑い続ける。
思わずともその声に憮然としながら、僕は口を開いた。
「…兄さん、笑い過ぎ。」
「悪ぃ、っぷ、くくく…、」
また暫し肩を震わせ始めた彼は、
何とかその発作を落ち着かせると、
少し冷めた紅茶を口に運びながら口を開いた。
「いや、しかしだなぁ、」
笑いは飲み込んだけれど、
未だ面白がるその視線を二階へと向けて、続ける。
「 “友達です” と、きたもんだ。」
先程カイが言ったその台詞に、
向かいに座って紅茶を啜っていたカイが、真っ赤になってむせた。
そんな彼に、
やはり兄はケラケラと笑って、
ソファに寄りかかりながら二階を仰ぎ見た。
「だからソルも拗ねて、部屋引っ込んでんのか。」
ベランダで洗濯物を取り込んできたらしい兄が戻ってきた時には、
もう既に奴は、キッチンから与えられた客室へと姿を消した後で。
僕とカイが二人、無言でリビングに居た事に疑問を感じたのか、
それとも僕の波動を何か感じたのか、
どうかしたのか、と、
心配そうに聞いてきた兄に事の顛末を話した、訳だが…。
兄が、
するりと言葉を流す。
「カイ、悪いんだけどよ、ソル呼んで来てくれないか。」
「兄さん?!」
非難めいた声をあげた僕に、
だけど兄さんは軽く笑って言うのだ。
「夕飯、食べようぜ。」
お前も腹が減ってるから苛々してんだろ、
そんな風に諭されたら、
僕は何も言えないじゃないか・・・!
わかりました、とカイが席をたって、
その顔がほっとしているのがすぐ分かって、
やっぱり何か喉の奥がぐるぐるとしたけれど、
僕は彼が階段をあがっていくのを見ているしかない。
兄さんが、同じようにカイを見送りながら口を開く。
「“頭痛”は大丈夫なのか?」
「落ち着いたよ。多分僕が、“背徳の炎”を危険じゃない、って判断したからじゃない?」
ほ、と安堵の息の音が聞こえたけれど、僕は二階を見たままだった。
彼の姿はもう見えない。
「カイは、さ、」
「知ってるよ。」
ぱたりと垂らされた兄の言葉を、
遮る。
「知ってるよ、兄さん。」
隣で、静かに見開かれた蒼が、僕を映していた。
僕は、息を吸う。
ロザリオが音をたてたのが聞こえた。
「見れば、わかるもの。」
思い出すのは、
あのきれいな碧が、赤銅の其れを映した瞬間の、その色。
僕の言葉も、ぱたり と、垂れて。
兄さんがぎゅうと眉根を寄せて、
僕の頭を片腕で引き寄せる。
「俺とお前は、おんなじだから、お前が今、何を考えてるのか、わかるよ。」
こつりとぶつかった頭から、
静かに響いてくるのは、
切ない、あお。
「僕も、わかるよ、兄さん。」
揺れる心音に触れようと手を伸ばせば、
それを阻むように、銀のロザリオが冷たい温度を伝えてくる。
ひんやりとした温度を感じるその指先を見れば、
先程彼の舌に消された、
真っ赤な線が、
再び浮き出て、いて。
垂れ落ちそうになった赤い雫を、思わず舐め止めて我に帰る。
脳裏にやきついて離れてくれない、彼の、碧。
そしてこの傷から消えてくれない、彼の、温度。
いっそ、せかいのすべてが溶けてまざりあってしまえばいい。
僕も、
彼も、
兄さんも、
あいつも、
そして僕のこの想いも、
カイが、あいつ、へ抱いている、その想い、も、
だけど。
僕も、
彼も、
兄さんも、
あいつも、
生まれてきて、しまったのだ、から。
僕は、大きく息を吸う。
兄さんが、隣で緩く笑ってくれたのがわかった。
「カイ、早く!ご飯冷めちゃうよ!!」
張り上げた声に、
遠くから、返事が返ってくる。
大分慌てていたその声に、少し笑いさえ零して、
僕は、キッチンへと足を進めた。
しゃらしゃらと胸元で弾むロザリオが光る。
僕という存在が本物で、
カイが僕に与えた笑顔も熱も本物で、
僕が彼に抱いてしまった想いも本物であるなら、
そして彼があいつへ抱いている想いも本物であるなら。
僕は、祈ろう。
僕の想いが、逝く日、まで。
09,一卵性双生児
〜05,05,21