それは、洗濯物を取り入れていた時だった。
視界の端でひらひらと動く何かに目を向けると、
隣の部屋のバルコニーで、
ひらひらと靡くカーテンの端が飛び込んできて。
窓が、開いている。
その答えに行き着くと同時に、
貳号=二郎兄さんが、
風邪をひくから窓を閉めて寝ろ、と、昨夜起こされて怒られたのを思い出した。
隣の寝室はここの家主の、オリジナルのものだ。
いや、それは違う。
思わず洗濯バサミを取る手をとめて、データを整理する。
オリジナルの名前は、カイ=キスク。
彼はオリジナルではなく、カイなのだと、
壱号=はじめ兄さんは言った。
その時俺に触れた、やわらかい色が、あたたかかった、ので。
壱号≠はじめ兄さん。
貳号≠二郎兄さん。
オリジナル≠カイ。
そう呼ぶ方が、いいこと、なんだと、わかった。
ふわふわと風に遊ばれるカーテンの端を見ながら、
そんなように思って、
そのふわふわに誘われるように、
眠気の波がふわふわと音を立て始めて、
俺は素直にそれに身を任せそうになったのだけれど、
「カイが、風邪ひく…、」
呟いて、俺は我に返った。
その拍子に落としてしまった洗濯ばさみを拾いあげて、
最後に掛かっていたタオルを取り入れて、そして、
風邪:風邪(かぜ)は、鼻腔や咽頭など上気道のウイルス感染のため咳
嗽、咽頭痛、鼻汁、鼻閉など局部症状(カタル症状)、および発熱、倦
怠感、頭痛など全身症状の出現した状態である。また、消化管のウイル
ス感染によって嘔吐、下痢、腹痛などの腹部症状と(以下略)
=カイが苦しい、痛い、
=兄さんたちも、苦しい、痛い、
「いやだ。」
俺ははっきりと呟いて、
部屋に戻り、ベッドの上に洗濯物を放ると、
バルコニーへの鍵をきちんと閉め、
カイへの部屋へと走った。
Project of black android.
The first story =the first black.
Black lunarEclipse.
after story.
〜邂逅V〜
ガタン、
「…あ?」
予期せぬその音と感触に、思わずともに声をあげる。
俺は大分暗くなった視界の中で、
自分の左手、見慣れた窓枠に掛けられた手を見た。
別に、
窓枠では無く壁を掴んでいたとか、
これが別の窓であるとか、
そういった間違いを犯していた訳では無かった。
ゆっくりと視線はそのままに、
もう一度、その左手に力を加えてみる。
ガタン、
其れは、
先ほどと全く同じように動いただけだった。
いつもならば、其れは抵抗無く上へとスライドし、
カーテンを吐き出してくるのだが、
今は、ガタン、という硬い音を寄越すだけで、何かに押さえ込まれたように、微動だにしない。
勿論、カーテンが半分ほど引かれた向こう側に、
人影があり、それが妨害しているというわけでも無く…、
(一階のリビング辺りに明かりが見えたから、大方住人達はそこに集まっているのだろう、)
とどのつまり、これは、
窓の鍵が、閉まっている、という、事。
推測T:雨が心配だったので、閉めた。
→考察:今日の天気は快晴であり、雨の心配などいらない実に爽やかな天候であった。
⇒結論:因って、誤答。
推測U:戸締りをした時に、うっかり閉めてしまった。
→考察:無用心で無くなった事は喜ばしいが、
今まで何度言っても頑なにそれを拒んだ彼が、
今更“うっかり”それをするだろうか。
⇒結論:可能性は否定出来なくもないが、今までの経験からいって誤答。
推測V:わざと閉めた。
→考察:実に確実性の高い仮説だが、今回は身に覚えが無い。
⇒結論:覚えは無いが、他に立てられる仮説が無い。
(その上、やはり可能性的には一番高い。)(一体どれがバレたのか…、)
そんな憶測が頭を飛び交う中、
ふと、現れたその気配に、弾かれたように振り向く。
裏庭の芝生の上から、
二階のバルコニーに居るこちらを見上げていたのは、一人の青年だった。
暗色の上下で合わせたラフな服装(いつか見た事のある服が、
持ち主では無いその青年に、
だがサイズはぴたりと一致していた。)と、
木々の影が交じり合い、
その青年の黒髪が溶け込んで、夜風にさらさらと揺れる。
それらに埋もれた、一対の紅玉が、こちらを静かに見上げて、いて。
「何を、してるんだ、?」
ゆっくりと吐き出された、けして大きくは無い声は、
ここの家主の寝起きの声と、全くの同質の其れ。
一人目には、外見すらも似せられた其れに、純粋に驚かされた。
二人目は、外観も、性格すらも大きく違い、良くも悪くも驚いた。
だが、まさか、
三人目、だとでもいうのか?
思わず溜め息にも似た音を吐き出すと、
黒髪の青年がゆっくりと首を傾げる。
そして、再びその唇が開かれた。
「こっち。其処は違う。」
「…あ?」
訳がわからずに聞き返すと、
彼は、少し考えるような素振りを見せてから、
、ざ、と草を蹴って、
軽々とこちらの居たバルコニーの縁に、着地する。
「其処は、窓だから、違う。こっち、」
言いながら、ぐいぐいとこちらの腕を引いて、
あっという間にバルコニーから飛び降りてしまった。
声のトーンとは裏腹に、こちらの腕を引くその大きな力に従って、
俺の脚までも、芝生の上に着地する。
そのまま振り向きもせず、
こちらの腕を掴んだまま裏庭を横切っていく彼に、
俺は、混乱した頭のまま、さすがに声をかけた。
「おい、てめぇ、何処に…、」
「カイが、」
はっきりとそう言って、
ゆっくりとこちらを振り向いた紅玉が、
淡い上弦の月を反射して、煌いている。
“彼”と、全く正反対のその色に、
だが、其れはやはり何処か“彼”を思い出させる色で。
「カイが、誰か、待ってるんだ。」
そう言った彼は、
ふうとその視線を庭先へ漂わせて、
再び、俺の眼を真っ直ぐに見る。
其処に映るのは、
「俺の、め、を見て、いつも、少しさびしい顔を、する。」
其処に映るのは、
俺の目の(自分のこれは、こいつよりも、もっと暗く、汚い色だ、と思ったけれど、)赤、で。
(確かに、この家にいる連中の中では、最も俺に近い色では、あるのだろう、)
(だが、それが一体如何したって?)
だが彼は、
それ以上何も言わず、
俺の腕を更に強く引いて、
余り見慣れない、この家の正面、へと回りこんだ。
その時の反応は、実に三者三様であった。
リビングから消えた俺を探していてくれたのか、
少し慌てた顔をしたはじめ兄さんは、
俺の隣の人物を見た途端笑い始め、
二郎兄さんは俺を素早く引き寄せて、
初対面の弟にまで手を出そうなんて最低この×××野郎!!とか、
よくわからない事(途中からはじめ兄さんに耳を塞がれたから、
よく聞きとれなかった)を言ってとにかく怒り出して。
玄関のドアを開けた当のカイは、ぽかんと口を開けてしばらく動かなかった。
その間、笑い続けてる兄さんと、怒鳴り続けてる兄さんの声を聞き流しながら、
俺の連れて来た、その人、は険しい顔でカイを見つめ返していた。
「、ソル?」
確かめるように呟いたカイの言葉に、
その人は、面倒臭そうな溜息で応える。
俺は、なんとかカイにこの人を連れてきたことを伝えようとして、
必死に言葉を探した。
「玄関、」
唐突に口を開いた俺に、
全員のばらばらだった視線が集まって。
俺はゆるりと裏庭の方を指した。
「玄関、間違えてた、」
「違ぇよ。」
間髪いれず切り返した彼に、
だがやはりはじめ兄さんは笑い出してしまい、
今度は二郎兄さんまでが吹き出して肩を震わせている。
そしてカイは、俺に向き直り、
震えていたかと思ったら、突然ぱっと俺に飛び付いた。
「よくやってくれました…!!」
その歓声に、
ついに二郎兄さんまでもが大笑いし始め、
、ただ彼だけが、実に五月蝿そうに顔をしかめている。
俺はただ、
ゆっくりと、首を傾げた。
その人の名前は、ソル、といった。
台所の鍋をかき回すはじめ兄さんは、
その隣で皿を並べる俺に、
…面白ぇ奴だよ、と言って笑う。
俺の隣でシンクに少しまな板をはみ出させながら、
とんとんと綺麗に玉葱を切っている二郎兄さんは、
…何で僕があいつの飯まで、と呟いた。
そうして一遍に、俺に向かって、
両脇から流され始めた膨大なデータを整理すると、
ソル=バッドガイ、は、
時々この家にやってきて、
カイの寝室の窓から、
無断で押し入って来る悪党なので、
一緒にご飯を食べて、
こき使って良くて、
カイに触らせちゃいけなくて、
煙草を吸っていたらベランダに移動させて、
紅茶じゃなくて、コーヒーを出してあげる方が良いことで、
雑食で人もアンドロイドも食べるから近づいちゃいけない。
悪い人だけど、悪くない人、である、らしい…。
(データが非常に混乱を来している。)
(整理に時間がかかるかもしれない。)
だけど、
二人が、
この、二体、が、
くるくると表情を変えて、笑いながら、怒りながら、
俺に話しかける、その色、は、
とても、あたたかい、それであったから。
昨日、俺達が、あんな場所に居て、剣を交えていたなんて、本当に、夢のようで。
俺は、両脇の二人の袖を、少しだけ掴んだ。
「ごめん、兄さん。」
二人が、その手を止めて、
(多分、びっくりした顔で、)俺を見ている。
俺は、視線を落としたまま、ぽとぽとと言葉を落とした。
「傷付けて、ごめん。」
他にどういえばいいのかもわからなくて、
俺はただそう言って、
だけど兄さんたちの手は止まったまま、
ああ、
驚いた、というか、戸惑った、ような、
二人の悲しんでる色が、俺に触れている。
「カイにも、剣を、向けた。」
そう続けた俺に、
だけど二郎兄さんが、俺を抱きしめてくれて。
(馬鹿っ、と小さく吐き出された音が俺の耳に触れた。)
(玉葱のにおいが、ほんの少し目の奥をついて、痛い。)
兄さんの体温は俺とおんなじ、36,2°のはずなのに、
だけどずっとあったかい気がして。
そして、
はじめ兄さんが、俺の頭にその掌を乗せてくれる。
だけど、俺は、
本当は、
こんなあったかいところに居て良い訳が、無いと、思うんだ。
だけど、本当の本当は、
俺は此処に、痛い程に、居たい、ので、
必死に赦されようとしていたのかもしれない。
(データが混乱を来たしている、非常に、混乱している、)
「、ごめん、ごめんなさい、」
俺の声は混乱したまま無意味な音を吐き出し続けて、
だけどそれなのに、
俺を抱きしめる兄さんの腕の力は更に強くなり、
俺の頭に触れたその掌が、
やさしく俺の髪を梳いてくれる。
「、良いんだ。」
もう、いいんだ、
そう言ったはじめ兄さんの目は、
とてもきれいで、
「辛い想いをさせて、すまなかった。」
黒髪から覗く、
あの切ない色をした、紫のそれのようだと思った。
「…それよりも、」
そうして、はじめ兄さんが、
ぐしゃぐしゃと俺の頭を掻き回す。
「カイに謝って来いよ。」
その言葉に、は、として、俺は頷いたんだけれど、
兄さんは苦笑して、違うよ、と手を振った。
俺に回した腕を緩めた二郎兄さんが、
口を開く。
「お前でしょ、あの窓の鍵締めたの。」
そう言った兄さんの声は、
少し、否とても面白くなさそうではあったけれど、
はじめ兄さんが笑いながら、言葉を継ぐ。
「あれはなぁ、締めちゃ駄目なんだ。」
だから、ソルにも謝んな、
その言葉に、俺はしっかりと頷いて。
「でも、玄関はこっちだ。」
そう言った俺に、
やはり二人は、吹き出して笑った。
そして、言ってきなよ、と背中を押してくれた二郎兄さんに頷いて、
俺がリビングへ行こうとすると、
はじめ兄さんが、少し慌てて俺を引き止める。
「お前、ソル来たのわかるんだろ?」
「わかる。」
脳内で響く“危険”の文字。
だけど家に近付いてくるそれに、殺伐とした色は微塵も見えず、
その代わりに俺の鼻先をかすめていく、あたたかい、その色。
だから俺は、それが誰なのか確かめるために、裏庭に出た。
だけど、
はじめ兄さんたちは、軽く視線を交わして、
言葉を続ける。
「じゃあ、今度から、それもカイに知らせんなよ。」
「どうして?」
ここから覗くリビングに見えるカイは、
いつもと変わらない顔だったけれど、
こんなにうれしい思いが、俺にも聞こえるのに・・・!
だけど、
やっぱり二人は視線を交わして、
はじめ兄さんが笑いながら、
二郎兄さんは不機嫌そうに、
口を開く。
「「そのうち、わかるよ。」」
俺は、ただ、
ゆっくりと首を傾げた。
「兄さん、なんであいつ思考力遅いんだろ。」
「遅い訳でも無いだろ。俺達周りの感情波を受け易いから、多分…、」
「それに容量食われて、重くなってるってこと?」
「多分な。それとも単に…、“性格”なんじゃねぇの?」
〜05,07,01
66.微罪についての懺悔。