「わ、あ!」
驚いたその声と、どさ、と聞こえた音に目を向けると、
二郎兄さんが、俺のベッド脇に尻餅をついたところで。
「…なに、してるんだ?」
「何じゃないよ!!!」
叫んだその声が、耳に響く。
俺は、何度か瞬きしながら、
兄さんが起き上がって、こちらに掴みかかるのを見ていた。
「うなされてるから、どうしたのかと思ったら、いきなり跳ね起きるから!!」
びっくりするじゃないの!
怒っている、二郎兄さんの言葉に、
(だが、それは、俺を心配してくれている意味なのは、しってる。)
ようやく、今自分が、眠っていたのだと思い出して、
そうして、だれかの、夢を、見ていたことを、思い出して。
「夢を、見て、たんだ、」
「なんの?」
「…だれか、の。」
なにそれ、
そう言って少し笑った兄さんの声と、
ゆめの、最後に響いた、
鈍い、音、
皮膚筋肉骨内臓全てを壊す嫌な嫌な嫌な音、
が、蘇って。
俺が無意識に掴んだ、兄さんのシャツに、
紫の瞳が、
ああ、誰かの夢の中に出てきた、
あの目と一緒の色だ。
俺を覗き込んで、どうしたの、と言ってくれる。
必死に思い出す夢は、
恐ろしい程に鮮明で、
だけど全てが朧げだった。
ゆめで、あればいい。
俺が目を開けたときに、涙も流せずに泣いていた、彼、が、
未だ、その想いに身を裂かれていた、なんて。
そしてまた俺の声は届かずに、
もしかしたら、
もう、二度と、届かないかもしれない、なんて。
「こわい、夢、だった、?」
静かに聞いてくれた兄さんの声が、ふわふわと響く。
動かない俺の視界の端で、
兄さんが少し微笑ったのが見えた。
「大丈夫、」
その柔らかい音と一緒に、俺の頭を引き寄せて、
そうして兄さんは、俺の髪をそっと梳く。
耳朶に触れる小さな音は、
ざわざわと蠢いていた震えを、ゆっくりと溶かし込んで、いって。
「ただの、ゆめ、なんだから。」
その言葉に、
俺は、いつもの眠気の波音がやってきたのを聞きながら、
ただ、そうだと、いいと、
それだけを、
祈った。
心臓の音が五月蝿い。
どさり、と床に転がった暗殺者の死体を目の当たりにしながら、
私はただ息をするのも忘れて、
新たに現れた、もう一人の人間を見ていた。
闇の中でぼんやりと浮かび上がったのは、
冷たい月光を返す、褐色の肌と、月光色の、長い髪。
そして、それに描かれた、目、のような紋様。
一瞬、
人間で無いのかと思いさえしたそれは、だが、
その髪の合間から覗いた、青い目が私を捉えたことによって否定される。
だが、
ひゅ、と風を切って一閃された何かが、
ビリヤードのキューであったことに気付いて、
そしてそれが、
今まさに床に転がった死体を作り上げたものだとわかって、
私は更に、訳の解らない思いで、その男を見つめる。
「貴方が、アンドロイド研究の責任者か。」
静かに流れ出たその音が、
意外にも穏やかなものであった事に驚いて、
そしてそれが私へと向けられているものだと気付いて、
私は、警戒を解かないまま、その男を睨み据えた。
「亡くすには惜しい才能だ。貴方をスカウトしたい。」
「なん、だと、?」
その唇が動いたのは確認出来なかったが、
だが確かに目の前の男から聞こえた事に、
思わずとも、私は聞き返してしまっていた。
この男は、何を言っている、?
「貴方の師も、高名な学者だった。」
ぎくりと動いてしまった私を見透かすように、
男はゆっくりと続ける。
「 “ ギア ” の研究をしていた、と。」
「違う。」
言って男を睨み付けると、その髪の隙間から私を見下ろす探るような青。
私は、
その男が張り詰めたままの殺気に、動けずに、
だが、声だけならば、何度か喉に突っ掛かりながらも出てきた。
「先生は、ただ、ギアに賛成の意を唱えていた。先生の師が、ギアの製作に関わっていたとは聞いたが…。
だが、私も、…もう一人の弟子だった男も、ギアなどどうだって良かった。」
私達は、ただ純粋に先生を尊敬していたんだ、
そう言って首を振ると、
男は、少し頷いたようだった。
先生は、生物学の領域において随一の知識を持った人間だった。
そして、
先生がいない今は、
その知識は、私と彼に受け継がれたのみ、で。
「けれど、先生はもういない。“背徳の炎”に殺されてしまったから。」
先生自身が、最も畏怖していた“それ”に手をかけられたとは、
なんとも皮肉めいていたが、
だからこそ、
私も、彼さえも、あの恐ろしい“炎”を警戒していた。
だから、
私達も、先生に関してそれ以上の情報は何も無い、
そう言葉を続けたが、
今度は、男が首を振った。
「私が求めているのは、貴方の師でもギアでもない。貴方のその知識だ。」
男の、私とは違う、月を照り返す強い銀の髪が流れて、
その目のような紋様を、さらさらと揺らす。
「組織に入る気は無いか?貴方の知識を、今一度、世に表したいと。」
「組、織、?」
私のやや瞠目しての問いに、だが男は沈黙で返答した。
足先にじわりと触れて来た液体に気付いて、弾かれるように脚を引き揚げれば、
私に差し向けられた暗殺者の死体から、
じわじわと広がっていく黒い染み。
一瞬にして脳裏に蘇ったのは貳号機の実験場と、
白いそこが鮮赤に染まったその景色だ。
「、暗、殺、組織、か…?」
そう零した私の枯れた喉に、ぴたりとキューがあてられる。
だがそれは私への殺意ではなく、
ただ早く答えろと催促しているようだったけれど。
「ここにいても、再び来る刺客に殺されるだけだ。」
そしてその時は、私のような者もいない。
そう言って、
ゆっくりとキューを外した男の声が、
ぐるぐると脳内を巡る。
、生きる、か、死ぬ、か、
…否、違う。
一筋、背中を汗が伝っていくのが、わかった。
死んで、地獄に落ちるのか。
生きて、此の世の地獄を生きるのか。
だが、
こんな時にさえ蘇る、あの鮮烈な、紫。
私は、
ゆっくりと、立ち上がった。
更に拡がっていた黒い染みに、
両足をつけて、
私は、床を踏みしめる。
この手も、
この足も、
この髪も、
色の無かった全ては、
もうその面影すら無く、
塗り重ねた罪によって、真っ黒く汚されて。
何処まででも、堕ちていこう。
生なる、
地獄への、その路を。
close.
〜05,08,13
51,安易な死