「あの男に助けられる事になるなんて、すっごく不本意なんだけど。」
何やらぶつぶつと唇を尖らせる弟に、
俺は軽く笑いながらその肩を叩く。
「まぁいいじゃねぇか、結果オーライってやつで。それに…、」
思い出すあの紫は、
やっぱり、いつもと変わらないそれで、
そしてやはりそれは、俺を、俺達を物としか見ていない、
あの眼とは、違った、それなんだ。
それに、
ああ、そうだ。
俺は、…多分、嬉しかったんだ。
何もかも確かめられないまま、
中途半端に別れることになってしまった、あの人に、
どんな形であれ、会う事が出来て。
「…それに?」
続きを促した弟に、なんでもない、と告げて、
お互いに足元を見る。
其処には、
床に倒れ伏したままの、“俺達の、弟”。
「ほら、しっかりしなよ!」
「さっきまでは普通にしてたのにな…、一体どうしたんだ?」
だいぶぐったりとした様子の彼だったが、
なんとか弟がその上半身を起こすことに成功する。
そして、
いつもなら悪態のひとつでもつくはずの彼が、
息を飲んだ音が聞こえて、
俺はそちらを見た。
「…、兄さん、こいつ…!!」
「どうした!?」
慌てて駆け寄った俺に、
弟は震える指で、力無く腕をだらりと垂らした彼を、指す。そして、
「…こいつ、寝てる…ッ!!」
信じらんないッ!!と続けられたその叫びに、
俺は駆け寄ったその勢いのまま、
ごん、と大きく床に頭をぶつけた。
「なんだよ、そんな事か…、」
「なんだよじゃないよ兄さん!こんな事があったってのに!!もうっ!」
がくがくとその肩を揺さぶりながらの彼のお小言は、
しばらく続きそうで、ある・・・。
所内の研究員たちを連行することには、
それほどの時間を要さなかった。
何件か手間取ったという報告を受けたが、
大方の人間が、諦めている様子で。
白銀の髪の男も例外ではなく、
ただ静かに部下達の言葉に従って、
ゆっくりと床から立ち上がった。
「次に会うのは法廷ですね。」
連行されていく彼に、そう言えば、
彼は、驚いたように、軽くその翠を見開いて、そして、
苦笑したように、その色が、僅かに細められて、
それは、諦めの色でもあったし、
何か悟ったような、だが何処か安堵したような、
色々な感情がない交ぜになった、翠、は、
すぐに、白銀の影に溶けて、隠れて、見えなくなってしまう。
そして、彼は、
何も言葉を発することなく、静かに行ってしまった。
いったい彼は、なにを言いたかったのだろう、か。
「カイ、」
呼ばれたその声に、我に返る。
軽く叩かれた背中に、慌てて振り向けば、
其処には、
いつものようにその明るい蒼で私を覗き込む、はじめさん、と、
眠ってしまったらしい三人目を叩き起こそうと躍起になっている、二郎さん、と、
寝息すら聞こえてくる、新しい…同居人。(、三郎、さん、…になるのだろうか、)
はじめさんが、その二人の様子に笑いながら、私を見る。
「帰ろうぜ。」
そう言って、手を差し伸べてくれる、
あたたかな、この空間を、
私は何よりも、誇り、に、思うのです。
「はい。」
ゆるりと笑ってそう答えながら、今夜の献立を考えてみる。
三人目の食欲が未だ未知数ではあったが、
四人分の食事となると、分量も大きく変わってくるのだ。
…どうせなら今夜は、“五人分”になったり、しないのだろう、か。
そんな事を考えたときほど、
あの男は、姿を見せる事を、しないのだけれど…。
真っ直ぐに伸びた狭い通路は、
僅かな光源が所々にあるにも関わらず、
その先は闇の塊があるだけで、まったく見えなかった。
ただ、今この空間に在るのは、
私の足音と、
そして、
“パンドラの匣”と呼ばれていたらしい、あの部屋から持ち出した、
(とは言っても、これは私のものなのだから、変な言い方かもしれない)
すべての始まりである、一枚のディスク。
彼はこれを、マザーデータのコピーと思っていたようだが…、それは違う。
我々の中心だった、
そして、壱号によって尽く破壊された、
あれ、こそが、“コピー”だったのだから。
私は、
マザーディスクを静かに握り締めながら、
行く先に拡がった、大きな闇へと、眼を向ける。
「残るのは、希望か、…絶望か。」
to be continued...
〜05,06,12