ジャポーネには、梅雨という季節があり、
その季節にだけ美しく咲く紫陽花という花があるそうだ。

「私のお葬式は、藤色の紫陽花でいっぱいにしてね。」

本当にきれいなのよ、
と、母が笑顔でいったので、
他の季節では花が集められないと思った俺は、

「じゃあ今、死ねば。」

と、答えたら、
彼女は、はやとくんがいじめる、と泣き喚いた。









「獄寺君、すきなの?」


その声に弾かれたように振り返れば、
湿度に潤った彼の栗色の眼が瞬きもせずにそこにあって、
俺は無意識に、はいすきです、と答えそうになったんだけれど、
それよりも早く彼の困ったように結ばれた唇が開いた。

「あじさい。ずっと見てたから。」

言いながら彼が指差した先には、
確かに先程まで俺がぼんやりと眺めていた紫陽花が、
鮮やかに雨粒で飾られている。

彼はすぐに指を引っ込めて傘を持ち直すと、違うの、と瞬いて聞いた。
甘やかな栗色が雨の皮膜を引いて霞む。


「あ、いえ、…母親が、すきだと、言っていたので、」

「お母さん?」

「はい、もうずっと向こうに…、」


俺の、向こう、という言葉に、彼が小さく、イタリア、と呟いたのが聞こえた。

ビニール傘をバタバタと叩く雨が、俺の頭を取り囲んでの凄まじい警告。
自分が駆け付ける前に始まってしまった前線での一斉射撃に焦るように、
じんわりと傘の柄を握る掌が滑る。


「、あ、の、いえ、その…、」


口をつくのは無意味な音粒。
俺の心臓から溢れた雨がバタバタと俺を叩いて出た音。

彼の傘が瞬くようにぱたんと傾いて、
その皮膜に霞んだ甘い水溜まりを隠した。
唯一こちらから見えていた唇は、いつものように困ったように結ばれてしまう。


焦る俺。
頭上では紛争が激化。
思い出す女の泣き声。(わざとらしい子供のよう)
彼が握る子供らしい傘。
、俺の傘、ランボが壊しちゃったんだよ、と言って、
少し恥ずかしそうに、柄の太い鮮やかな黄色い傘を開いた、彼。(白いうなじ。)
しゃくりあげる白い肩。それを抱き寄せた大きな手。
、ドクター、と女が呼んで、
男はそれに答えながら、彼女の涙を撫でた。
自然な動き。自然な光景。
全てが完全で全てが不自然なその男。

「おかあさん泣かしちゃ駄目だろ、ハヤト。」

その低い声といつも緩んだように見せ掛けた鋭い眼さえあれば、
世界は俺のものになると確信していた、幼い俺。

美しいといわれた紫陽花。
美しいと笑う女。
美しく眠る女。

美しく眠るように横たわる、女。

敷き詰められたのは、紅い薔薇。

男がいつも女に送っていた花。
彼女が素敵ねと笑うのをいつも見たかった男。
彼からの贈り物だからこそ喜んだ女。
気付かないで最期まで贈り続けた、男。


「泣かないのか、ハヤト。」


低く響くはずの男のしゃがれた声。
いつも清潔に整えられていた口元には不精髭が見える。

どんな時も崩れなかったその眼が、陰り濁った色を湛えて俺を見下ろしていて、
俺は男の初めて見せたその姿に僅かに驚いたのを覚えている。

ただ、完璧に着飾ったいつもの声よりも、心地よいと思ったとも。

美しい女を縁取る美しい紅い薔薇。
敷き詰めたのはこの男。
死んだのは幼い俺の憧れという淡い花。

そしてもしかしたらこの時、
男の花も死んでいたのかもしれないと気付いたのは、最近の事だったか。


「獄寺君。」


彼の声に弾かれる。
抗争は遠のき、
雨に煙るアスファルトのグレーの中で、鮮やかな黄色の傘が揺れた。
潤った、栗色の湖面は、どこまで深い、のか。


「あじさいって、土の養分によって、花の色が決まるんだって。」


この前テレビで見てさ、
彼がそう言いながら、視線で花弁を撫でていく。
水色、青、赤、紅、青紫、紫、それから、淡い、藤色。
それはあの女からうまれた俺の色。
彼女にまた姉にあの男という様々な土によって俺は染められ、
そしてまた、目の前に在る彼に因っても。


「きれい、だよね。」


彼が、困ったようなその口元を笑顔にしようとして、少し失敗した。
俺は思わず足を踏み出していたけれど、無駄な音さえ吐き出せずに沈んだ。

それを見て、
彼の皮膜が破れて消える。

唐突に彼はその右腕を下げて、
こちらを見もしない亜麻色の目に灰色の雲を映した。


そして俺が呆然とその栗色を追い掛けている間に、
彼はばさりと黄色い大輪を萎ませて、
パラパラと雨粒を被りながら、そのまま傘を丁寧に畳んで、パチンとボタンを合わせた。


「じ、十代目、?!」


慌てて俺が自分の傘を差し出して彼に降り注ぐ雨粒を遮る。
幸い彼の上着に染みが出来るほどでもなく、軽く手で払うだけで事無きを得た。


「獄寺君。」


予想外の至近距離から放たれたその音に、俺が反射的に退くよりもはやく、
先程まで幼い傘の柄を掴んでいて、紫陽花を指したあの指が、俺の腕を捕まえる。


「言ってね。すきだとか、きらいだとか。」


、ちゃんと、いってね、
彼の小さな唇がそう象る軌跡を追う俺は。
脳裏にこびりついて降り続くのは、
紫陽花、笑う女、嫌いな男、不自然な景色、だけれど。

 ああ おれは 紫陽花で埋めてやりたかったんだ。

他愛も無い、しかし最期となってしまった彼女の願いを、
叶えてやりたかったんだ。
あの男にも、彼女は紫陽花がすきなんだと教えてやりたくて、
そして、彼女がお前から貰う紅い薔薇を、
いつも一番上等な花瓶にいれていたことも、
それを切ない目で見つめて、指で花弁を撫でていたことも、
お前が今も俺の目の奥に彼女の面影を探している事も、
おれはすべてを知っていたんだ!

そんな事も知らない男にすべてを知ってる俺は勝ったつもりになってそんな下らない理由で彼女の最期の我が儘すら叶えてやれなかった俺は愚かで小さくて幼くて要するに馬鹿だったんだ、そしてつまり俺は、



「後悔、してる、の、?」



かれの声はもはや囁きに近く、
その恐ろしい甘さに溶かされているのを感じた俺は、呼吸という行為すら忘れていた。


「いわなきゃ、誰もわからないよ、」


俺があの女を愛していたことも、
俺があの男に憧れていたことも、
あの女のやわらかな笑顔がすきだったことも、
あの男の大きくて温かい掌がすきだったことも、


「君があじさいをすきなことも。」


彼が、そう言って、少し困ったように笑うその顔に、
こんなにも救われ、
こんなにも焦がれている事も。




「帰ろっか。」
「…はい。」




短く答えて歩き出す。
小さな傘に、俺と彼。
道には紫陽花。
煙る街並みブルーグレー。
彼の右側で、右手で傘を差す俺に、(ごご誤解です十代目俺は別に手を繋ごうとかそん/へー違うんだー/違いますただ流れ的に/じゃあやめよ/…え、/エンド/レス/)、彼はしばらく笑った後、その右手で俺の左手を捕まえた。



その酷く柔らかな温度は、
母親が美しいと笑った、甘やかな花弁の色、に違い無く。
(拝啓母上様、いつかの俺のさいごも、
この色で埋め尽くして欲しいと、ねがいますほどに、あじさいは、
むかしも、いまも、)



「、きれい、ですね、」



そう呟いた俺に、
左側にいた彼が何よりも鮮やかに笑うので、
左胸にある心臓が殊更うるさく俺を笑った。






       
( 、 あ あ 、 俺 を 照 ら す 、  あ な た と い う ひ か り    、 よ ! )











07,05,09/あなたというひかり。
しゃまるにゆめをみすぎています。。。
そして毎度のことですが、ごくでら母云々とか捏造どころか衝動ですすんません。
リハビリに、アジサイと5927を妄想しただけ…だったんだけど、な…。現代物は楽しいな…。