カツ、カツン。
見事、彼の真後ろの窓に命中した小石が、窓ガラスを鳴らし、
書類から顔を上げただけの彼が、思惑通りに振り返る。
最後に会った一ヶ月前より、
ほんの少し痩せたような気がしたけれど、気のせいかもしれない。
兎に角も、顔色は良かった。
俺は、たかがそんな小さい事にホッとしながら、
大きく腕を振ってみせる。
二階の窓越しに俺の姿を見留めた彼は、
書類を放り出して席を立ち、窓際へと歩み寄り、そして…、
何の躊躇いも無く、カーテンを閉めた。
「おいコラ、きょうや!!人が挨拶してんのにカーテン閉めるなんて…!」
「やり直し。」
「…は?」
応接室まで駆け込むや否や、尚も言い募ろうとする俺を遮って、
彼が、聞こえなかったの?と淡々と繰り返す。
「ノックが無い。やり直し。」
そのぴしゃりとした物言いに、
俺は、…大・人・な・俺・は!、部屋を出てドアを閉めると、丁寧にコンコンとノックをした。
「…しつれいします…。」
釈然としないままそう言って、ガラガラとドアを開ければ、
今度は合格らしく、彼は俺が勝手に空いているソファに腰掛けても、
書類から顔を上げることはなかった。
「…しかし“失礼します”なんて久し振りに言ったぞ。」
、当たり前かー、なんて言いながら、俺が思わず苦笑すれば、
彼はぱさりと書類を机に置いて、ついと俺を見る。
「あなた、ボスなんだよね。」
そう聞いた彼の眼が、
何を突然そんな(今更な、)事を、という俺の目を見止めて、きつく絞られた。
「、秩序、なんでしょう。」
その言葉に、
何も言わない俺の沈黙を肯定としたのか、
彼はやや早口で、今来たばかりの俺を追い立てるように続ける。
「何してるの?早く帰りなよ。」
動けば崩れる。
どんな強いものも、端の端からぱらぱらと剥がれ、ひび割れ、崩れ、ついには崩壊していく。
「“力”とは、そういうものだよ。」
彼のすべてをりかいしたような声が、淡々と俺にそう告げて、
俺はその的を得た言葉に、
自分がこんな風にペンを握って机に向かっていた時代に、
こんな音でこんな言葉をこんな人間に吐けたかなと考えた。
だけれど。
「だいじょうぶ。」
俺は無意識にそう答えていた。
彼の目が興味無さそうに、けれど俺の確かなその音に僅かに驚いた光を乗せてこちらを見て、
俺はそれに笑い返しながら、答える。
「その為に“ファミリー”なんだろ。」
しかし、俺の口から発せられたその単語は、
彼の耳には合わなかったらしく、
きれいな柳眉はこれでもかというほどに寄せられてしまった。
(毎度ながら勿体無いなあ、と言いそうになった事は我慢した。)
「群れるなんて、無意味だ。」
硬い机の上で、とんとん、と書類が揃えられる硬い音が響く。
俺はそれが鼓膜に刺さるのを感じながら、
やはり硬い革のソファから立ち上がって、彼の居る机へと向き直った。
「“群れて”るんじゃない、“触れて”んだよ。こうやって、向き合ってんだ。」
「…群れてるよ。」
俺の履き潰したスニーカーが、きゅ、と床を踏みしめた音に、
俺は机の下できちんと並んだ、いつも綺麗に磨かれている彼の革靴を眺める。
「…まあ、そうだな。」
いい加減に靴買い換えようかな、と頭の隅で考えながら頷けば、
彼の書類を揃える音が、どんッ、と一際響いた。
(、ちゃんと喋ろ、と刺す視線、!)(…すまん。)
俺は誤魔化すように小さく咳払いをしてから、きちんと彼を見る。
純然たる白と黒で構成されたその目は、
いつもと変わること無く、真っ直ぐに真っ直ぐに、俺を刺し。
おれは、ただその事で、
かれという存在が今確かに目の前に在る事を改めて感じて、
おれという存在が今確かにかれの目の前に、この世界に在る事を、改めて感じて。
俺は酷くそのことに安堵して、
気の抜けたような笑いを浮かべて、彼を見る。
「でも、だから俺は強い。」
その言葉に、音に、彼はほんの僅かに驚いたようで、
ふうと開かれた目を一度瞬くと、
今度はそれに楽しそうなぎらぎらとした色を乗せて、俺を見返した。
「僕も強いよ。」
にいと笑ったそれは、今にもペンの代わりにトンファーを握りそうで、
俺は可愛いげのカケラも無いそれに溜息を吐いて答えた。
「………そうだな。」
否定出来ない俺に満足したのか、
彼は、滅多にみれない綺麗な笑顔で無言の肯定をして、視線を書類にもどす。
(こんな顔して愛の言葉でも囁いてくれたらいいのに。絶対的に有り得ないけれど。)
俺は深い溜息を吐いて、再び、硬い革張りのソファーに沈んだ。
隅に薄い染みが浮かぶ、だがまだまだ汚くはない白い天井を仰ぐ。
けして新しくはない校舎だが、
丁寧に掃除や修繕を繰り返し、
そして彼が、汚すことも壊すことも赦さぬことで、
護られたこの空間を、俺は素直にうつくしいと感じた。
それは、海の向こうにある、もっと空の色も日差しの色も濃い、
俺の家の手入れの行き届いた庭園を眺めている時の気分に酷似していた。
そんなことに思い当たって、
俺は今まで感じていた既視感に納得しながら、
この、並盛、という名の箱庭を、護り続けようとしている彼を見る。
その未だ小さな背は、
秩序として、力として、君臨する雄々しい存在であり、
そして何より、
自らが括った籠の中で、そこから見える景色をうつくしく育てようと、
箱庭を整理するように、手を加えてゆく、子供のそれ、だ。
それは、
酷く傲慢で、横暴で、凶悪な行いであり、
同時に、とてつもない、よわさ、を感じた。
自分が無ければ動けない世界を作ろうとして、いるのか。
自分が手を休めれば、枯れてしまう庭のように、
、雲雀恭弥、という存在を、
この世界に確固たるものとして、
確かに、深く、だれもかれもの中に存在させる為に。
そして、彼自身にも、その存在をまざまざと感じられるように。
カリカリと応接室に響き渡る、少し神経質そうな硬いペンの音で、
視界にその姿が無くとも、俺が彼という存在を感じているように。
「俺には、お前が必要だよ。」
彼のシャープペンが、パキリと芯を折った音と共に止まる。
やがてそれは、
苛々としたように先程よりも硬まった音で、カチカチと芯を繰り出して滑り出したけれど、
俺の口は、それに気付かない振りをして続けた。
「風紀委員の連中にだって、必要とされているじゃないか。」
生徒の大半や街の連中だって、怖がってはいるが、
その反面、最強としてこれ以上もないほどに信頼をおかれているというのに。
「 … う る さ い 。 」
それは、唇が動いた事に気付けないほど小さな音だった。
俺は、その空気の揺らぎに、首を捻り、彼を見やる。
「、う、る、さ、い、」
俺の眼球を突き刺した黒が眼前に迫り、気を取られた一瞬のうちに、
俺は口を塞ぐように顎を掴まれたまま、容赦無く後ろに引き倒される。
つまづいたソファに倒れ込めた事にホッとしながらも、
俺は固いソファに息を詰まらせた事に文句の一つでも言おうとして…。
「あなたに、何が解るっていうの?」
低く囁かれた音と共に、さやさやと黒髪が雨のように降り懸かる。
蛍光灯をその背に隠して、
俺が今分かるのは、
俺の身体に乗り上げた彼の重みと、
頬に額に降り懸かる彼の髪の黒と、
深い影の掛かった顔と、
俺の口を塞ぐように顎を掴んだ、彼の右手の皮膚の感触と、その体温と脈拍だった。
少し早い脈と共に、闇の中で彼の眼球がぴかぴかと光っている。
幼い頃、何処かに失くしてしまったビー玉を思い出した。
「 僕が、あなたを、何一つ、理解出来ないっていうのに。 」
混沌とした黒が、俺を見ている。
その色は、俺が知り得ない彼の世界によって塗り重ねられたものだ。
酷く美しい黒。
単純に、純粋に、ただひたすらにそれしか知らない色だというように、黒を塗り重ねただけのカンバス。
そこには俺の祖国に見る、鮮やかな海も、賑わう市も、荘厳な寺院も、
静かな郊外も、色付く空も、たおやかな雲も、人々の笑顔も、…無い。
俺にはそれを理解する事は出来ず、
その黒いカンバスに、様々なものを思いつく限り描き足したくて仕方がない。
しかし彼には俺の多色のそれを理解する事は出来ないし、
きっと彼は彼で、俺の雑多なパレットを蹴散らして、
ごちゃごちゃとしたカンバスを、黒で塗り潰したくて仕方がないに違いないのだ。
だからこそ、知ろうと、してくれている。
意図的に。
または、無意識の内に。
かれが、おれを、知ろうと、している。
「なにわらってるの。」
「いや、」
表情はやはり見えないが、いつものように眉を寄せているのが分かって、
俺は更に笑みを濃くしながら、(そしてそれが俺の口を抑える彼には如実に伝わっているに違いない)
両腕を伸ばして、彼を引き寄せた。
、雲雀恭弥、という熱に触れる。
久し振りに触れたそれは想像よりも温かくて柔らかくて、
俺が思わず、ぎゅうと抱きしめると、重いよと彼が文句を言った。
「乗ってんのお前だろ。」
彼の右手の下で笑いながらそう言えば、
俺の腕の中の彼が、くぐもった声で、…おもいよ 、と囁く。
剣呑な音でそう繰り返したが、
その重さが俺から擦り抜ける素振りはなかった。
俺が今、安心してゆっくりと息が出来るように、
こうして距離を詰めることは、難しい事だ。
実際においては勿論、精神的には、もっと。
ああだけど。
こちらの顎を掴んでいた右手が、呆れたようにずるりと離れる。
俺は自由になった唇で、感謝を込めて、こちらの首に埋もれた彼の黒髪に口付けた。
そうして、
きょうやは、かわいいなあ、と言い終わる前に、
溝尾にどすりと躊躇い無く拳を叩き込まれるのは、いつものことであったのだけれど。
我等、絶対的平行線につき。
さ あ 、 終 わ ら な い 問 答 を 続 け よ う 。
〜08,01,12
くっつけないふたりにゆめをみすぎています。