「はいってこないで。」





じんじんと、弾かれた右手が痛み始めたのは、その言葉が聞こえた後だった。


宙ぶらりんになった俺の情け無い右手は、じんわりと赤く染まり、
その向こう側で、漆を塗ったような美しい眼球が、こちらを酷く睨んでいた。

俺は、それらの景色を、なんだかぼんやりとした気持ちで見ている。
漆のような艶を持つ二つの眼は、
俺のノロノロとした反応に、僅かに熱を滲ませながら、視線を伏せた。


右手の甲がじんじんと熱い、けれど、
それよりも、
その一瞬前に彼の、はだ、に触れた右手の指が、痛いほどに熱い。


おれは、この掌に触れた、
どくどくという早い彼の左胸の下に在る心臓の音が、
この皮膚に焼き付いたような気さえしている。
(そんなことを言ったら、目の前の彼は問答無用で撲り掛かってくるだろうけれど。)


、ふれて、しまった、


その事実が、俺を酷く打ちのめしていた。
ただ、本当に一瞬だった、否、もしくは長い長い長い時間だったのだ。

挨拶だといって、この唇が額や頬に触れることだけは、
許して(、放っておいて、)くれるようになったそれを繰り返して、
偶然にも彼の襟元のボタンがほつれていて、
偶然にも俺がそれに気付いて、
彼が面倒そうに、けれども几帳面にそれを失くす前にと取り去ってしまって…。



しろいくびもと。

やわいはだ。

あついねつ。


ただ、それだけの、事実。




次の瞬間に俺が知覚したのは、
俺の右手が打ち払われた、乾いた音だった。

掌に残る、ばくばくという熱。熱い 心音。
これが彼のものなのか。それとも俺のものなのか。一体誰のものかさえ判らない。


望まないものではなかった。
けれど、躊躇うには十分なもの、で。



彼にとって、俺という存在は、酷くイレギュラーなものだったに違いない。

彼の世界において、俺(=マフィア)という物は、触れるはずの無いもので、
同時に、彼という存在も俺には一生知り得なかったものだ。

けれど。


俺達は、今こうして同じ部屋の中で対峙していて、
きっと彼は俺の手を払った痛みを感じ、
そして俺は掌に残った熱と確かな心音で、彼を感じている。


おれたちは、であってしまったのだ。


彼はなんと平穏な(?)人生を送るはずだっただろう。
大人になって、例えば彼が何処かに勤めるなんて想像出来ないけれど、
どんな形であれ、彼はこの街を守る、秩序、として生きていったに違いないのだ。
それなのに、

ボンゴレの守護者になるという事は、つまり、違う秩序にもなるということだ。
そして、
マフィア、になると、いうことだ。

つまり俺は、彼の世界を乱し、彼の平和を侵し、彼の未来を汚した存在であって、
それ以上でも以下でもない。

そしてその大前提として、

彼は子供で、俺は大人だった。


だから、

例え彼が、俺に対してその線を緩めてくれるような事があったとしても、
それは、ただの、甘え、というものであって、
愛だの恋だのといった次元とは似て非なるもので。
(例え俺がそれを切望していたとしても。)

そして、俺は俺で、
きっと会えない間に想い描いたその姿に恋をしていて、
彼という存在を美化しているに違いないのだ。



「俺はお前に触れたいと思ってる。」

「でもあなた、そんな事してこないじゃない。」

「頑張って我慢してんだよ。」

「嘘。そんな事思ってないくせに。」

「本当だよ。今だって、我慢してる。」

「…そう。でも、あなたは僕に触らないんでしょ。」

「…うん。」


俺は頷いて、ゆっくりと息を吸った。
腕を組んだ彼の指が、羽織った学ランの影で、白くなるほどシャツを掴んでいる。

俺はそれに悦びを感じ、しかしそれを遠く、額縁に嵌めて眺めているような錯覚を覚えた。
俺は、口を開く。


「ちがう、きがするんだ。」


それは、おれのきもちを虚偽ではないと解りながらも否定し、
かれのおれへのきもちを拒否ではなく否定した言葉だ。


彼が俺を射殺すような視線で、吐き捨てる。



「あなたのそういうところ、反吐が出る。」



言って、しかし彼は、俺に触れない。
葛藤するかしないかをすら、葛藤している、のだ多分。

頑な。

だから触れない。

だから、


「はいって、こないで、よ。」


小さな唇がそう囁いて、ちらりと赤い舌が見えた。

それが、
口腔内という狭い粘膜の中で唾液という体液を纏わせながら、一瞬だけ糸を引いて、
掠れたテノールがそこの中て溶けて消える光景に、
心臓がじりじりと炙られる。



誰も動かない。

何も動かない。

もし彼がその手で俺を制してこちらの胸を押し返したら。

もし俺がこの手で彼の唇に触れて彼が反射的に後ろに下がったら。




窓の隙間から薄い風が、俺達を揺らす。

フードのファーが髪に混ざり、

通される事の少ない学ランの袖が、僅かに流れた。



…これいじょう、




そう紡いだはずの彼の声が音になったかならないかなんてそんな些細なこと問題ではないのだから。











粘膜、体腔内は、禁忌。
其    の    、    決    壊    は    、    間    近    。










〜07,12,03

…どんだけ放置していたやら。。。