ふと、誰かに呼ばれた気がして顔をあげる。






ガタガタと窓が揺れているのが見えて、
私は思わずペンを止めて席を立った。


カーテンを軽く引けば、
容赦無く雨粒が窓を叩き、
唸るような風が木々を大きく揺らしているのが嫌でも目に入る。


「…酷い天気だな…」


呟きながら、東の方で渦巻く雷雲を見た。
時折、低く響いてくる遠雷に、嵐が近付いてくることがわかる。

降り出しそうな天気ではあったが、
まさかこんな嵐になるとは、思っていなかった。



「この分じゃ明日の朝までに止みそうにないか…。」



明日出勤することを考えると、思わずとも溜息が出てしまう。

しかしとりあえず今は、
机上に積みあがったこの書類を明日までに仕上げなければならない。


気分転換に紅茶でも淹れようと、ドアノブに手をかけた、



その瞬間。





ガタン、と響いた音に、思わず封雷剣を振り返る。





剣が壁に掛けてある事を確かめ、身を硬くしたまま気配を探るが、
殺気らしきものは無かった。


ただ、嵐のせいで、
ぼんやりとしたその気配が何なのか、特定は出来ない。



敵では無い、という事に力を抜いて、
だが、静かに部屋のドアを開ける。



音は玄関から聞こえた。

まるでこちらが扉を開けるのを待っているかのように、
其処からその気配が動く様子は感じられなかったが、

私は、階段を下りながら思わず僅かに首を捻る。



「こんな雨の中―――」



そして、こんな時間に、来客だというのだろうか。

誰も、来る筈など……――――











ひとり。

頭を過ぎったのは、いつも窓から入ってくる、其の男。














「ソル…?」













呟いて、我に返る。




いつも開けておいた窓は、
雨が降るという予報を聞いて、鍵をかけていた。
こんなに天気が荒れるのなら、わざわざ来ないだろう、そう思った。

それなのに。




「まったく、あいつは…!」




悪態を吐きながら、階段を駆け下りて洗面所へ。


適当なタオルを引っ掴むが、
こんな土砂降りでは相当濡れてしまっているだろう。

大きめのバスタオルの方が良いかもしれない。

だが、どうせすぐにシャワーを浴びるんだろうから、小さいタオルでも構わないのかも…




「…ああっ、もう!」



どちらでも一緒ではないか・・・!


半ば叫ぶようにタオルを掴んで(結局小さなタオルを持ったままだ!)、
ばたばたと玄関へ駆け込む。






何をこんなに急いでいるのかなんて、

別にあの男が来たことが嬉しいだなんてそんな事は微塵も無いんだ・・・!







少し錆び付いて来た錠は、こんな時ばかり軋んで上手く開かない。

明日にでも油を注しておこうと思いながら、

錠をこじ開け、ノブを回す。





 ずる、





視界に飛び込んできたのは、
真っ暗な空と、吹き込んでくる雨と風と、



そして、

倒れこんできた、一人の人間だった。





「な…っ」





反射的に抱き止めて、その身体を支える。


その長い黒衣は、体温もわからない程に冷え切り、
こちらの肩に押し付けられた金髪からは、ばたばたと水が滴ったが、
それと同時に荒い呼吸が聞こえて、彼の意識が有る事が分かった。

少なからず安堵しながら、
恐らく自分と同じ歳ぐらいであろう体格の、その男へと声を掛ける。




「もし!?どうなさっ…、!!」




吹き込む風に負けないように声を張り上げて、その肩を掴んだが、

触れたのは、

雨とは明らかに違う、ぬるりとした感触。





(―――血!?)





鼻を突き刺す鉄のにおいに、掌を広げて確かめると、

それは確かに、少し固まりかけた赤黒い液体で。


だが、見たところこの男に大きな外傷は無いようだし、
この衣服への飛び散り方は、自身の傷に因るものではまず出来ない。


ならば、これは・・・?





思い出すのは、ギアと人間の焼ける音、悲鳴、怒声、自分の呼吸、 そして、此の、 におい 。






ゴロゴロと喉を鳴らす雷雲が、

男の唇が微かに動いたことを知らせる。





「…のむ…」


「え?」




掠れたその声は聞こえず、
だが、男は必死な様子でこちらの肩を掴んだ。



な感覚だった。



この肩を掴む男の腕が、
荒い呼吸を繰り返す男の声が、
雨水を吸い込んだ漆黒の長衣が、


覚えが有る、という言葉では表しきれない、


この、“
”としかいえない、感覚は・・・?









男が、ゆっくりと顔を上げながら、口を開く。

(その言葉は、今度こそこちらの耳に届いた。)













「頼む、俺を――」














雷鳴が、轟く。















「俺を、殺してくれ。」
















有り得ない、ことだ。



何とか絞り出したその声も、

雷に映し出されたその顔も、

返り血に塗れたその黒衣も、



すべてすべてすべてが、












 私と、同じ、だ なん て ・・・ !













「、わた、し、?」



鏡像か何かを見ている心地で呆然と、そう呟けば、

男の身体が、ぐらりと傾ぐ。




「もし…しっかりして下さい!」




床に倒れこむところを、もう一度なんとか抱き止めて。


焼きついて離れないのは、
彼が意識を失う直前に微かに浮かべた、





哀しげに、だが安堵したように緩んだ、その 蒼い、眼 。





いつの間にか取り落としてしまっていたタオルで、
彼の頭を拭きながら、これからについて考える。



「とりあえず、着替えか。」



本当は直ぐにでも風呂に入って、
冷え切った身体を温めた方が良いのだろうが、そうもいかない。


私は、彼の身体を何とか起こして、肩を貸すような形で抱えると、
未だ開けっ放しになっていたドアを閉めた。











雨は、当分止みそうにないようだった。
















99.シンメトリー [symmetry]
左右対称であること。均斉。