「お二人共、素晴らしいわ…!」



ぱん、と手を合わせて嬉しそうにそう言った少女の目の前には、
絵入りで可愛いらしく説明されたレシピと、
それそっくりにデコレーションされたブッシュ・ド・ノエル。

それから、
その原型すら留めていない、

クリームの残骸。



「…うわっ!お前なんでそんなに上手いんだよ?!」

「お前が下手なだけだろう。」



心底驚いた様子の奴に、俺はやはり長い溜息を吐いた訳だが、
機能的なキッチンの中で、
少女がくるりと俺達を振り向いて、笑う。


「という事で、“上っぽい方”がキッチン担当、“下っぽい方”が販売担当でよろしいかしら?」

「…“上”…?」


背筋を走る嫌な予感を、
まるで払拭するかのように
(それ即ち確信である。)
彼女はにっこりと言った。


「あら、“攻の方”“受の方”と言った方が宜しい?」


コロコロと笑いながら、絶望的な事を口にする彼女は、
、そうね、上下では場合によって逆も充分成り得ますもの、と、
実にどうでもいいことで、
俺達に、ごめんなさい、と謝ってくる。
(笑顔で、)


だが、
げんなりと溜め息を吐き出した俺を他所に、
隣の馬鹿は、
軽く首を捻りながら、


「“攻”の反対は“守”だぞ。」


などと、言うので、
彼女は更に、コロコロと笑い声をあげた。



「…悪いが、コレとはそういう関係では、微塵も無い。」



、微塵も、と強調して言った俺の言葉に、
彼女は、あら、と目を見開いて、
俺達を見やる。



「…違いましたの?」

「断じて違う。」

「私、筋肉は特別好きじゃないけれど、新境地かと思って…、」

「実に、不名誉だ。」

「ちッ!」



唐突に凶悪な顔で激しい舌打ちをした彼女に、
訳の分からない顔で聞いていただけの馬鹿が、
びくりと身体を強張らせて、口を開いた。


「な、なぁ、今このお嬢さん、すんげー怖い顔しなかっ、」

「あらぁ、何か見えまして?」

「……俺、視力落ちたのかな…。」


やはり呆然と呟いた馬鹿と、
今までと寸分違わぬ、可愛らしい笑顔を浮かべる少女に、

俺は、
これからの行く末を思い、
深い深い溜め息を吐いたのだが…。



「でしたら、何とお呼びすれば宜しいのかしら?」



、お名前、伺ってませんでしたね、と笑った彼女に、
俺は、
思わず口を噤んでしまって。


「ちょっと、名乗れない、旅の途中なんだ。」


代わりに口を開いた奴は、
少し苦笑しながら、頭を掻いて、続ける。



「適当に、呼んでくれよ。」



こういう時、
恐らく自覚は無いのだろうが、
奴は、とても口が回ると思う。

すると彼女は、大した動揺も見せずすぐに頷いた。



「では、“シロさん” “クロさん”と、お呼びしても?」



安直ですけれど…、と言って、
俺達のジャケットの色を指し示しながら、
やはりコロコロ笑ってみせた少女に、

俺達は、僅かに笑って、それで良いと、答える。



「呼ばれ慣れている。」



呟いた俺に、
彼女は、やっぱりね、と、笑顔を見せた。


「では、お仕事の説明に入りましょう。明日から、ボロ雑巾になるまで働いて頂きますからね。」


さり気無く恐ろしい台詞を交えて、キッチンを出ていく彼女を見送りながら、

“クロ”が、
苦笑交じりに小さく呟く。


「、う、嘘は吐いてないよな、?」


俺はただ、短く頷いて、
店内から顔を覗かせて、俺達を手招く彼女へと、
足を向けながら、
やはり、小さく答えた。



「名乗る名前が無いんだ。当然だろ。」



肌に触れる甘い砂糖の匂いに、
ほんの少しだけ、

喉が痛んだ。









Merry Christmas, Mr.Lawrence !
on First Night.

恋人はサンタクロース?〜















「まっかなおっはっなーのートナカイさーんーはー♪
いっつもみーんーなーのー わーらーいものー…、」


実に調子っ外れな
(、だがとても上機嫌な、)歌声は、
姿を確認しなくても分かる、
はじめ兄さんのそれに間違いなく。

だが、
何故かそこで消え入ってしまった声に振り向けば、
…トナカイさんっ…と言いながら、
貰い泣きをしているはじめ兄さんの姿があって。

私は、
ツリーのオーナメントを握り締めたまま、
脚立の上で鼻をすする兄さんに、
素早くティッシュ箱を差し出す。


「兄さん。そんな歌詞なんかで貰い泣きしてる暇があったら、さっさとやって下さい。
カイが帰ってくるまでに飾り付けなければならないんですから。」

「何言ってんだヨン!トナカイさんは、一生懸命仕事してんのに!み、みんなに笑われて…、くっ!」


目頭を押さえて上を向いてしまった兄さんに、
私が溜め息を吐くと、
代わりに聞こえてきたのは、
るんるんとスキップをしながら、
色紙とツリーに飾る綿を持ってきた、二郎兄さんの鼻歌だった。


「カイ早く帰って来ないかな〜〜〜♪
“…二郎さん!こんな素敵なツリーを私の為に?”“カイが喜ぶ顔が見たくてッ!”…なーんちゃってーっ!!」

「二郎兄さん、綿を振り回さないで下さい。早くツリーに巻いてしまっては?」

「ふふふ…巻くならカイに巻きたいな…ああ、白い肌に白い綿がっ…ふふふ。」


恍惚とした表情で、雪に見立てた綿を、
くるくるとツリーに巻いていく、二郎兄さんは放っておくことにして。

私は、
ソファで紙飾りを作っていた三郎兄さんと共に、
追加された色紙を切り始めた。


だが、
新しい紙を手にしたまま微動だにしない兄さんが、
(もしやこのまま寝ていたのではないだろうか。)
忙しそうな私達をぐるりと見回して、口を開く。



「これって、何の準備なんだ?」

「…クリスマス、の準備、だけど、…。」



ぼとりと。
ティッシュ箱を落とした、
はじめ兄さんの呆然とした声が聞こえたが、

やはり三郎兄さんは、言葉を探すように、
ぐるりと視線を巡らせた。



「クリスマス、って、何?」



暫しの沈黙。


余りの事に愕然としている我々に気付いたのか、
三郎兄さんは、…そうじゃなくて、と呟いて、
私達を見る。



「神様の誕生日なのは、知ってる。」

「なんだーびっくりしたー。…じゃ、何がわかんない訳?」



あからさまにホッとした様子で、聞き返す二郎兄さんに、
彼は、ふ、と自分の手にあった、
バラバラのままの紙飾りへ視線を戻して、
ゆっくりと続けた。


「どうして知らない人の誕生日を、こんなに準備してるんだ?」


その言葉に、
やはり、我々は驚いてしまったんだけれど。

兄さんらしいその言葉は、
いつも通り、棘があるものではなくて、
ゆっくりと、ただ考えた末に産まれてしまった、疑問である、ので。
(いつも突拍子の無い事を聞く、兄さんだけれど、
そういう意味なのだと、最近になってわかってきた。)


脚立から降りたはじめ兄さんが、
兄さんの黒髪を掻き回して、笑う。


「ま、要するに、それに託けたお祭なんだ。美味いもん食って、プレゼント交換とかやって…。」

「そーそ。子供には、サンタがプレゼント配ったりしてさ。」

「…お祭…。」


納得したように呟いた兄さんに、
はじめ兄さんはやはり笑うと、
私と三郎兄さんに向き直った。


「そんな訳だからよ、日が暮れる前に買出し頼むわ。」


はじめ兄さんがテーブルにあったメモにペンを走らせて、
クリスマス料理の材料を書き上げる。

手渡されたそれに私が頷くと、
兄さんは目で答えて、
向かいのソファでゆっくり立ち上がった三郎兄さんへと、視線を向けた。



「カイが喜びそうな、美味いケーキ買ってきてくれ。」



その言葉に、
兄さんは、わかった、と頷くと、


珍しく早足で、上着を取りに部屋へと駆け上がっていった。























真っ赤なブーツ、真っ赤なズボン。
真っ赤な上着に、真っ赤な帽子。

随所の裾にあしらわれた白いファーと、
もったりとした白いヒゲが、
帽子から伸びる金の髪と、褐色の肌のせいで、よく映える。


俺は、
右手にチラシ、
左手に商店街のロゴの入った風船の束を握る奴の姿を見て、
とりあえず、口を開いた。


「似合うな。」

「そ、そうか?」

「ああ。何故か違和感が無い。」

「いやーそんなに褒められると…。」


奴は何故か照れながら頭を掻くが、
どうやら付けヒゲが口の中に入ってしまうらしく、
喋りにくそうに、眉を寄せながら、もごもごと口を動かしている。
(その様子が、よりサンタらしいので不思議だ。)


「お前も似合うぞ。なんかパティシエみたいだな!」


既にチョコレートや砂糖が散っている白い作業着に、
菓子調理関連以外の単語をつける人間も、珍しいのでは、と思ったが、

其の言葉に、俺が適当に頷いてみせると、
奴は、そっちもがんばれよ、と言葉を残し、
店先へと走っていってしまった。


その背中は、

昨日まで、獲物を一瞬で炭へと変える、
黒い炎を撒き散らしていたあの姿なんて、微塵も想像のつかないもので。


ふと、
屈託の無いその笑顔も、
実は久し振りに見たのだという事実に気付く。
(あれはいつも笑っているような気がしていたんだけれど、)


「新入りー!こっち頼む…!」


俺は、
キッチンからの呼び声に、声を返しながら、
今から、泡立て器を握るであろう、自身の左手をぼんやりと見詰めた。




そういえば、

俺も、

剣以外のものを此の手に持つ、ということは、
、初めて、なのではないだろうか。




「今、戻ります。」




何処かからの聖歌隊の歌。
街のざわめき。
人々の足音。
笑顔。



ああ、

俺達の初めてのクリスマスが、始まる。

























「サンタさん、ふうせんちょうだい!」

きゃあきゃあと風船をせがむ子供に、それを渡すと、
ありがとう、と返された笑顔に、手を振って。

俺はようやく、
暗くなった空にすら気付かないほど、
時間が過ぎていた事に気付いた。


特設のテーブルを見やれば、
店の外に出していたケーキも残り少なく、
朝から働き通しだった少女が、
疲れた表情で大きな溜め息を吐いていて。

俺は、
朝から彼女が休憩らしいものをとっていなかった事に思い至って、
慌てて口を開いた。


「暫く中で休んできて良いっすよ。ちょうど客足も引いてるし。」

「大丈夫です。クロさんこそ、一度も休憩していないでしょう?」

「いや、俺は全然疲れてないんで。」

「でも…、」


迷うような彼女の視線は、だが確実に疲れの色を見せていて。
(例えば此処で、俺はギアだからこんな事じゃ疲れない、とでも言ったとしてら、彼女はどうするんだろうか)
(こんな下らない事を考えてしまう自体、もしかしたら俺も少しは疲れているのかもしれない。)
(それ以前に信じてくれない気もするんだけれど。)


「大丈夫っすよ。何かあったら呼びますんで。」


笑ってそう言ってみせると、
彼女はやっぱり疲れた、けれど嬉しそうな笑顔を見せて、

、ありがとう、と言って店内へと姿を消した。



「そういえば、」



思わずとも零れていた小さな呟きが、
白く上ぼり、イルミネーションに溶けて消えていく。

小さな手。
小さな身体。
溢れる、笑顔。
あたたかな、その、いろ。




「…だれかに、ありがとう、って言われた事なんて、初めて、かもしれない、」




ぎゅ、と剣を握っている筈の左手に力をいれれば、
視界の端で揺れるのは、
赤い風船達。

それが映る店の窓から中を覗けば、
休憩に入るとでも声をかけているのか、少女の姿と、
それに答えながら、ケーキを箱に詰めている、
相方の姿があった。


例えば、本を読んでいるときも、剣を握っているときも、
いつも何か別の事を考えているような目をしていたあいつが、
作業着が汚れるのも構わずに、
真剣な目でケーキを作っているなんて。

それは、酷く信じ難い光景であり、
また、きっと酷く滑稽な姿なんだ今の俺達は。
けれど、俺はその事がたまらなく嬉しいと感じている。




ああ、ゆめのような、この街。

…そして、




「すみません。」

「あ、はい!」




寝惚けたように、薄く掠れた声に慌てて振り向けば、

薄く雪を積もらせた黒髪から覗く、
一対の、
あかいめ、が、
俺を、見ていて。




「ケーキ、ください。」




俺や、相方と同じはずの其の色は、

あわく、あまく、

そして何処までも、あかく。




其れが、
怪訝そうに瞬きした瞬間、俺は体内で風船が割れたように、我に返った。


「あ、は、は、い!おひとつで!!?」


ゆっくり頷くその動きに、何故か俺も一緒に頷いてしまって、
やはり再び我に返って、慌ててケーキを一箱袋に詰める。

袋を手渡そうとすると、
そこには既にきっちりの代金が揃えて置かれていて、
俺はなんだかとにかく慌ててしまったんだけど、
とりあえず、ケーキを揺らさない事だけに神経を集中させた。


「ちょ、丁度、おあずかり、します!」

「…レシートください。」


そういって財布を開けたまま待っている、その赤に、
家庭的だ…!と感動に似た思いが胸を駆けるが、
俺は慣れない手つきでレジのキーを叩く。



「…ど、どうぞ、」

「ありがと。」



レシートを受け取り、ぺこりとお辞儀をしたそのこに、
俺も思わずお辞儀を返して、

そして、その柔らかな黒髪がするりと雪の粒を零していくのを俺は見送って。




「あ、あ、あの!!」




どうして、

声を、かけてしまったのか、も、わからずに。




ただ、
ゆるりと振り向いたその触れたら溶けてしまいそうな、
あか、が、
俺を捕らえた事に、俺は息が詰まって、

俺は、今日一日何回繰り返したか分からない程反射的になった滑らかな動きで、
左手から一本、絡める事なくそれを抜き取り、
右手に移し、
そのこの前へと、突き出した。





「、メリークリスマス、!」





訳も分からずに、
ただ混乱してわんわんと煩い脳内に対して、
ただ俺は、しっかりと右手を差し出して、はっきりとそう言っていて。

そのこの、
あか、が、
ふんわりと視界の上端で揺れる、
あか、いふうせんを、とらえて。



冷えた指が、
手袋越しにほんの少し、触れる。





「…メリークリスマス…。」





掠れたその一言だけを残して、
今度こそ、そのこ、は、街の喧騒の中に、消えていってしまった…。






















兄さん、と呼ぶ声に振り向けば、銀の髪を揺らしながら駆け寄ってくる弟の姿。

「よかった、遅いからまた何処かで寝てるかと…それは?」

怪訝そうに留められた金の視線を追えば、
俺の頭上でふわふわと赤く揺れるそれにぶつかって。

白く煙る空を赤く切り取るその色は、まさに先程これを渡してくれた、
あの目の色だ。



「ふうせん。サンタがくれた。」



俺の言葉に、けれど弟は訳が分からないという顔で首を傾げ、

俺はなんだかそれが、
分からない事が当然であるのに、
嬉しいような気分になってしまって、
弟の頭を撫で回して、帰ろう、といった。













→ next day !