「だから、そのこのな、こう…きれいな髪とか、きれいな眼とかが、忘れられないっつーか…。」
実に珍しい事というものは、極たまにある。
だからこそ“実に珍しい”訳だが、
要するに、
例えばこの単細胞が、せっかく貰った休みに朝から溜息ばかり吐いているとかそういった場合だ。
また例えば、それに対して気まぐれにでも、俺がうっかり「どうした?」と聞いてしまったような場合だ。
ケーキ屋で世話になっている少女の勧めでやってきたカフェは、
さすが舌の肥えた彼女が勧めるだけあって、
なかなかのものだった。
俺はホットサンドの最後の一口をゆっくりと味わってから、
もにょもにょと手の中で潰してしまい、
せっかくのチーズやらをはみ出させている向かいのそれを見ながら、
呆れた声で言った。
「…それはお前、恋ってやつなんじゃないのか?」
「………こっ!!!?」
奴が、がちゃん!とカップにぶつかったが、幸い中身は少なかったらしく、
テーブルにいくつか模様を作っただけで、事無きを得た。
(店員の目が痛い)
通りに面したテラス席。
いくら賑やかな喫茶店といえど、騒いでいいものではない。
しかし、
色恋沙汰になどまるで興味の無かったこの男が、こんなに動揺するのは珍しい。
一体どれほどの美人だったのだろうかと、
こちらがぼんやりと考えた、その瞬間。
「―――――ッ!!!!」
がたぁんッと騒音を立てて今度こそカップをひっくり返して席を立った奴は、
中に残っていたカフェラテの染みがテーブルに拡がっていくのも全く見えない様子で、
通りを歩いていく人々の一点を、ぴったりと追い掛けている。
みるみるうちに朱に染まっていくその顔と、
熱くなる視線を辿っていけば…。
其処には、
街の喧騒に流れるようにゆっくりと、
やわらかな黒髪と、暖かそうな黒いダッフルコートを揺らす、一人の…―――
「…………男じゃねぇか。」
Merry Christmas, Mr.Lawrence !
on Second Night.
〜青い黒いイナズマ!〜
「こ、こ、こ、こん、にちは…ッ!!!」
聞き覚えのある音(だけどその旋律は明らかにおかしくて)に顔をあげれば、
そこにはやはり、見覚えのある(けれどやっぱり全く違う色をした)顔が、ふたつ。
褐色の肌に、金の髪。
背格好に至るまで、すべて瓜二つのその二人は、
互いに黒と白の服に身を包み、
その服の色のように正反対なかおをして、俺を見ている。
「…こんにちは。」
見慣れた赤を湛えたその目を見返しながら挨拶すれば、
俺に話しかけたらしい、黒のジャケットに身を包んでいた方の男が、ぱぁと顔を輝かせた。
それ(この顔がこんな表情をするなんて)は、あまりにも、あまりにも見慣れない景色だった。
「あ、あ、あの、昨日は、その…有難う御座いました!!!」
勢いよく頭を下げられての言葉に、俺は首を捻る。
背筋を伸ばして、何か必死の形相で俺を見ているのは、“ソル”だった。
否、違う。
その造形はまるで一緒だけれど、
灰色の空に浮き上がる髪は、何度見直しても茶ではなく、鮮やかな金色だし、
真っ赤な顔はしていたけれど、肌の色は褐色だ。
そして何より、
俺の脳髄に仕込まれた、
背徳の炎を知らせるシグナルが、微塵もその針を振らない。
「…誰?」
“ソル”じゃない“ソル”にそう問えば、
真っ直ぐに俺を見ている“ソル”とおんなじ真っ赤な目が、
ガーンという音さえ聞こえそうなほど衝撃に打ちのめされるのが見えた。(新鮮な景色だ、)
すると、
ふらりと一歩後ずさりさえする彼に、
その後ろからもう一人の“ソル”が呆れた顔で声を掛ける。
「お前、昨日の自分の格好、…忘れてるだろ。」
そう言って吐きだされた溜息が、白い線を描いて消える。
その眉間に寄った皺と険しい赤の視線が、“ソル”にそっくりだったけれど、
こちらの彼も全く同じ金の髪に褐色な肌で、
落ち着いた白のロングコートに風を孕ませている立ち姿は、“ソル”とは全然違うものだった。(これも新鮮な景色、だ、)
シンプルだけど暖かそうなコートだな、と思った瞬間、
それに応えるように手前の“ソル”が盛大にくしゃみをする。
…たしかに、
こちらの彼が身につけた黒革のジャンパーは、
首元も開いていて少し寒そうだったが…。
「風邪、ひくよ?」
「だ、だだだだいじょうぶです!!俺、身体だけは丈夫でっくしょい!!!」
更にくしゃみを繰り返した彼にとっては、しかしそんな事は問題では無いらしい。
赤くしたその鼻のまま、やや鼻詰まりの慌てた声で俺に告げる。
「そ、そうなんです!!…あの、お、俺ケーキ屋で、きき昨日、その…」
ぐるぐると必死に急流を逆流しようとしているような赤の視線が、脳裏に甦る。
それは、
この灰色の空を切り取って、
雪と一緒にふわふわと揺れるそれと同じ色の、
「、フーセン。」
俺の言葉に、二人が止まる。
「フーセンくれた、サンタ。」
ちがうのか、と瞬けば、
彼は、本当に、本当に嬉しそうな笑顔を零して。
後ろにいた彼は、やはり溜息を零したんだけど、
ほんの少しだけホッとしたような色が俺に触れたから、
俺は、
今何処にいるかはわからない、おんなじ造形をした彼が、
いつか、カイの前で、こんな風に笑えればいいのにと、思った。
カイ・キスク
少しの間考え込まれるようにしていた唇が、ややあって紡いだその名前。
それが家主だと聞いた瞬間、俺は思わず脚を止めていた。
人類の希望。聖戦の英雄。世界の騎士。
そして現在は警察機構の長官だったはずだ。
実際にその姿を見た事は、
最近外に出たばかりの俺達が出来るはずも無かったが、
その名前には嫌というほどに聞き覚えがある。
今も裏の方では躍起になって調査が進んでいると聞く、
公にはなっていないものの、当時は相当騒がれたであろう、その事件。
…アンドロイドと呼ばれる、ギアとはまた違う、(だが同じ、)
人間では無い人形を、保護しているだとか、隠していると、いうもの…。
詳細までは分からないが、何らかの形で関わっているのは事実なのだろう。
そんな人間に、“俺達”の存在が知れてしまったらどうなるか。
目の前で相も変わらず吃りながら、
右手右足を一緒に出して歩いているこの馬鹿は、
気付いていないのか…?!(そもそも話を聞いているかさえ、問題だ)
兎に角も、
このままノコノコとそんな人間の家に近付くのは、得策では無い。
俺は、適当に言い包めてこの辺で別れようと、口を開いて、そして…――
「ただいまー。」
言いながら、ドアノッカーを二回鳴らしたのは、
奴の隣を歩いていた、黒髪の青年。
扉の向こうからは、間髪置かずに返事が聞こえ、
ぱたぱたと大きくなってくる足音と共に、
この馬鹿が緊張したように背筋を正すのが見えて…。
「おかえり、今日は早かったな!」
笑顔でドアを開けたのは、
この黒髪の青年と双子かと見紛うほどの、金髪碧眼の青年だった。
その不自然なほどに類似した造型は、まるで、
まるで…――
、俺と、奴と、の、其れ、のようで。
「ただいま、兄さん。」
、兄、というには、余りにも不似合いな、
その蒼眼が、奴に向き、確かめるように俺に向く。
そうして、唇が誰かの名前を微かに象ろうとして、飲み込まれたのが見えて。
「…お前等、何者だ、…」
言ったのは、硬い硬い硬い音。
き、とこちらを睨む、綺麗過ぎてまるで人形のようだ否、そのものかもしれない蒼い双眸に、
俺は肩を軽く竦める。
「、じゃあ、あんた達は、?」
質問に質問で返せば、それは、ぐ、と言葉を飲み込んで、
俺から逃げるように視線を泳がせて言葉を探していた。そして、
「…カイの、“従兄弟”、だ。」
確認するかのようにそう紡がれた音は、地に落ちる。
俺はただ、
それに何を言うでもなく、へぇ、と呟きにも似た返答を零して、…じゃあ、と続けた。
「、俺達も、“従兄弟”だ。」
、なっ、と思わず零してしまったらしい音はそのままに、
だが、続ける言葉が出てこなかったのか、
彼は何度かぱくぱくと口を動かした後、憮然とした顔で押し黙る。
「お、おにいさま、ですか…!!?」
しかし、突然割り込んだ緊張感の無い(本人は緊張しきっていたが、)声に、
きつく俺を睨んでいた双眸が瞬いて、
その声の主、俺の隣にぴしりと直立不動で立っていた、奴へと向く。
「お、俺、その、昨日、弟さんに、…、」
「………ほう、」
、ケーキを売って云々、と続けようとしたらしい音をぶちりと切って、
単なる相槌の意をもつ筈の音が、まるで毛色の違う低音で繰り出される。
、きょとん、と、奴が瞬いたのが気配で分かった。
それと同時に、あの双眸が俯いて、じわじわと地面から這い登るような怒りに染まっていることも。
「…お前、うちの弟をたぶらかそうって、そういう事なんだな…あァ?」
ギロリ、と
静電気で揺らめき始めた金の髪の隙間から、
奴を突き刺したそれは、今までの蒼では無くて。
その瞳の中で渦巻く殺気の“赤”に、俺の脳内が共振し始めたが、
俺はとりあえずとも足を動かし、
被害の及ばないであろう、門の外へと身を移す。
「え、あああの、お、おにいさま、落ち着いて下さ、おれ、!」
「…“お義兄様”と、呼ぶなぁああああ!!!!!!!!」
怒りに満ち満ちたそれが、黒い雷を叩き落とし、
慌てて必死に弁解する奴の声が、あっという間に断末魔へと変わっていったのは、
灰色に染まったこの冬空に、高く、響いた。
眠そうに響いたノックの音に、どうぞと答えると、
入ってきたのは、珍しい事に、きちんと起きた三郎兄さんであった。
「どうしました、兄さん。」
「これ。」
そう言って出してきたのは、一冊の本。
確か、随分と前に皆で古本市に行った際に買い込んできたもので、
今まで書庫のどこかに埋まっていた、と思ったのだが…。
「兄さん、これ、探してきたんですか?」
髪に埃がついていますよ、と言いながらそれを払うと、
兄さんはそんな事構わないというように、
更にその本を私へと差し出して、こう告げる。
「作り方、教えて欲しいんだ。」
私は、ただただ、驚いてしまって。
寝ぼけている訳ではないらしい赤の双眸と、
その手に握られた、『誰でも簡単☆編み物講座!』と謳う本の表紙を、
暫くの間、代わる代わるに見返して、いた…。