「お困りのようですわねv」
相も変わらず溜息の尽きない奴と、
静かに朝の仕込みを終わらせたい俺と。
そんな変わらない俺達の背後に、そう言って突然現れたのは、
満面の笑顔を浮かべたこの店の少女だった。
悲鳴をあげて背後の壁まで飛び退った奴を見るなり、
コロコロと笑い出したが、
雇い主である彼女が、仕事中にそれ以外の話をしてくる事は珍しい。
俺の視線に気付いたのか、彼女はするりと笑いを飲み込むと、
しゃんと背筋を伸ばして、口を開いた。
「大体の事情は存じておりますわ。あのクロさんが、恋煩いとか…。」
彼女は少女らしく微笑んでみせ、続け様にカッ!と目を見開く。
「…更にそのお相手が、超絶美青年だとか…!!!」
一瞬我が目を疑いたくなるようなその景色は、幸いな事に瞬きの間で終わっていた。
次の瞬間目の前には、変わらずに可憐な笑顔を浮かべた少女の姿だけがある。
必死に目をこすっている奴の事は見えていないのか、
彼女は薄く頬を染めて、うっとりと言った。
「冬は二人の間を詰める事が出来る最高の季節。
クリスマスを逃したのでしたら、この年末年始にかけるしかありませんわ。」
そして、くるりと奴へ向き直ると、
彼女は呆然としたままの奴に指を突きつけて、宣告する。
「幾多の障害を乗り越えてこそ、本物の愛…!告白をするのですわ!!」
「・・・こ、こここここ?????!!!!!!」
頭部が爆発でも引き起こしそうな顔の奴に、
彼女はやはりにっこりと笑うと、
台所の入り口へ踵を返して、俺達へと向き直った。
「そんなわけで午後はお休みを差し上げます。この一日でモノにしてきて下さいましv」
そうして、実に楽しそうな笑顔が去った後には、
呆然と座り込んだままの奴と、
やはり呆然と立ち尽くした俺だけが残る。
(左手の木ベラから、べちゃりとクリームがボールに落ちた。)
「・・・こ、告白・・・、」
ぽつりと呟いた奴の目に見えたのは、
新たに宿った、希望の光。
俺はただ、
更にややこしくなったこの事態に、溜息を吐くしか、無かった…。
Merry Christmas, Mr.Lawrence !
on Forth Night.
〜Yeah!めっちゃめちゃホリディ〜
告白。
心の中に秘めていたことを、ありのままに打ち明けること。
単語にしてみれば簡単だ。
しかし、それをどうやって実行すべきなのかが問題だった。
あそこまでご兄弟に嫌われて、確か玄関のドアが開いたまでは記憶があるけど、
あの後…、俺挨拶出来たっけ…?(なんか記憶が曖昧だけど何故だろう…)
しかし、それを越えてこその何とかだとお嬢さんも言っていた。
せめてあの子に、お名前くらい聞ければ…と、
ふと目の前を横切った青年の容貌に、意識が止まる。
風に揺れる、甘い蜜色の髪。
寒さで薄く色付いた鼻先が際立つ白い肌は、
あの日、ケーキを買いに来てくれたあの子とまるで同質の色で、
長い青の外套を羽織っていて、体格までは分からなかったけれど、
ちらりと見えた美しい碧眼。それは、
紛う事なき、あの子の兄の・・・
「あ、あの、すみません!」
俺の声に反射的に振り向いたらしい彼が、
驚きに目を見開いて、 、と、呼ぶ。
余りにも小さい声だったから、なんと言われたか分からなくて、
聞き返そうと俺が足を踏み出せば、
彼は警戒した目で俺を刺して、じり、と後退った。
(膨れ上がる殺気は、余りにも慣れ親しんだもの)
俺は慌てて手を振って、
後ろに下がりながら、頭を下げる。
「昨日は突然御宅にまで押し掛けてしまってすみませんでした!!
で、でも俺分かって頂きたいんです、俺は、ただ、…あの子を…、……?」
叫んでいく内に、目の前の殺気が霧散どころか消し飛んでいる事に気付いて
俺は思わず口を噤んでいた。
ちらりと盗み見るようにそちらを窺えば、
彼が、確かに俺を鬼のような形相でにらみつけたあの顔が、
困惑と余りにも大きい驚愕に満ち満ちた色に染まっている。
違う。
ちがうのだ。
俺を玄関先で怒鳴り散らしたあの彼と、
今目の前にいる、この彼は。
確かに、まるで同じ人物、だと思うのだけれど。
空気が、違う。
「…あの、?」
呼びかけて、ようやく瞬きをした彼が、
もう一度、 、と言って確かめるように俺を見たけれど、
俺にはその意味がよくわからないし、やっぱりよく聞こえなかったから、首を傾げて瞬いた。
彼は、やはりまだ呆然とした顔で、だけれど何か納得したような顔で、失礼ですが、と言った。
「人違いをなさっているのでは?」
、え、と足を止めた俺に、彼は苦笑交じりに、恐らく、と続ける。
「貴方がお会いになったのは、私の…“兄”かと。」
「…え、じゃあ、貴方が、!」
脳裏に思い出されるのは、あと二人いるらしい、という相方の言葉。
昨日ちらっと会った(ような気がする)亜麻色の髪をした弟さん?と、
この目の前の彼を合わせれば、丁度四人。合点がいく。
こちらが納得したのが伝わったのか、
彼は少し安心したように表情を緩めると、申し遅れました…、と軽く足を引いて。
優雅に小さな礼をした彼は、
あの子のお兄さんと全く同じ顔をして、“カイ=キスク”だと、名乗った。
「三郎さんのご友人だったんですね。」
時間があると言った俺が、彼の買い物を手伝って、
その御礼にと、お茶をご馳走になっての、帰り道。
何とも下手糞でしどろもどろだった俺の説明に、
何と無くの事情?は分かってもらえたのか、キスク、さん?が頷いて笑う。
こちらを見上げたその口元に、小さなエクボが見えて、
あの子もこんな風にエクボを作って笑うのかなと思うと、
心臓が頭に移住して爆発するんじゃないかというくらいになったので、
俺は慌てて視線を逸らして、前を向いた。
(左には雑貨屋の露店、右には酒場があって異常無し!…あ、あのきれ
いな石の飾りはあの子に似合いそうだなあ…イカンイカンしっかりしろ俺!)
「い、いやご友人だなんて未だそんな!!!」
俺が慌てて首(と手と頭とか色々)を振って否定すると、
彼は可笑しそうに、だけど静かに笑った。
その笑いに引かれるように、俺の手足も動きを引っ込めて。
ぽろりと、先程の彼の台詞が蘇り、その違和感が溢れる。
「…“三郎さん”…?」
今の台詞から言って、あの子の名前である事に間違いは無いんだろう、
え、しかし、…三郎?さぶろう?三と郎を足して三郎???あんなかわいい顔をして、三郎…。
脳内で“紅白の舞台で高らかに歌う北島○郎氏”という相当昔の外国のデータが解析を開始していたが、
そんな俺の混乱が分からない訳では無いだろうに、彼は涼しい顔で、はい、と頷いた。
「そう呼ばれていますよ。」
「…は、はぁ…、そう、ですか…、」
、三郎、さん、と未だ口の中でもごもごとしている俺に向かって、
彼は足を止めて、静かに俺を見る。
パンや雑貨が入った紙袋が、がさりと無遠慮な音を立てて、
彼の、綺麗な碧眼から容赦なく突き刺さる、細い、糸、
のような(けれどそれは絶対的に切れないような強靭さと逃れられない色をもった、)殺気に、悲鳴を上げた。
びりびりと皮膚に触れる空気は、俺達が慣れ親しんで親しんで、
この数日間、ほんの少しだけ、忘れかけていたそれだ。
…ああ、あの子とおんなじ線を描いた、彼の唇が、開く。
「貴方は、何と?」
…でしたら、何とお呼びすれば宜しいのかしら?…
耳の裏側から聞こえたのは、少しだけ困った顔をしたお嬢さんの言葉で、
俺は、
あの頭の良い相方が、こういう時にばかり、口を閉ざしてしまうのを思い出して、
すこし、笑った。
「 “ クロ ” と、呼ばれて、います、」
ただ真っ直ぐに、そう言えば、
するすると、ゆっくりと解けていくのは、細い糸。
了解したように頷いてくれたカイさんの碧眼は、やはり静かに笑んでいて、
川沿いの小さな道で止まっていたその足は、
ゆるりと進み始めた。
「彼とは、最近顔を合わせていないんですよ。」
ややあって、カイさんがそう言ったのが、
あの子の話題と分かって、俺は首を捻る。
喧嘩でもしてしまったのか、と顔に出ていたらしい俺に、
苦笑交じりに手を振って、彼は続けた。
「最近なかなか自室から出てこないらしくて…、多分寝ているんだと思うんですが。」
、私の方が、最近忙しくて…、と言って、
言葉を切ってしまった彼の顔色は、少し疲れたそれで。
「…ここ数日、変質者が出没しているという通報が、相次いでいるんです。」
ようやく彼のその長い外套が、警察機構のものだと思い至って、息を飲む。
それが、その事件の記事を読んだとでも思ったのか、
彼は何やら頷いて、溜息交じりに続けた。
「何やら、風船を飛ばした少年を助けたり、酔っ払いに絡まれた女性を助けたりはしているのですが、
その余りにも不気味な格好と、そこに必ず残される“S”という焦げ跡に、謎が謎を呼び…。」
「………………。」
「目撃証言によれば、箱を被っているだの、全身を麻袋に包まれているだの、
…ついには、ストッキングを被っているという証言まで現れる始末です!」
「………え、ええと、」
「被害者は未だ出ていませんが、変質者には変わりありません。早く手を…、どうしました?すごい汗ですよ。」
「い、いや、ええと、そんなひと、いるんだ、なー、みたいなあはははは。」
「ええ。身長は、…貴方くらいでしょうか。筋肉質な男で、赤い革ジャケットとズボンを着用。髪は確か…、」
「ね、年末は事件も多いでしょう!!た、大変ですね!!!」
彼の言葉によって組み上がっていく想像図が、俺に親指を立てて白い歯を輝かせて笑うが、
それは紛れも無く“ アカ ”と呼ばれた俺の先輩で。
俺は、カイさんの言葉を遮るように(そしてその想像を振り払うように)、
言葉を接いで、はと気付く。
そんな事件続きでは、ここ数日は朝も早く、夜の帰りも遅かったのではないだろうか。
自然、家人たちとも顔を合わせる時間が減っていたのだと悟って、
俺は、今日のように早く帰れる貴重な時間を無駄にさせてしまったと、
思わず頭を下げようとしたんだけれど、
それすらも読まれてしまったらしく、俺が口を開くよりも早く、
彼は、だから今日は楽しかったですよ、と笑ってくれた。(お、俺のアホ!!!)
「あ、あの、“寝てる”って、あの子、どこか悪いんですか…?」
微かに聞いた、最早記憶の中で風化し始めて、けれどけして消えてくれないあの子の声は、
確かに、寝起きのように少し掠れていたように思ったけれど、
まさかあれは、病気で喉がやられていたのが理由だったのでは…、とそこまで考えて青褪めた俺に、
カイさんは俺の顔色を見て少し噴出すと、
彼が寝ているのはいつもの事だ、起きている方が珍しいのだと、説明してくれる。
「…とは言っても、あまり部屋に閉じこもりっきりというのも、身体に悪いと思って。」
何処か、気晴らしに連れて行ってあげられればと、思ってはいるんですが…。
そうして苦笑した彼の高い襟元に光るのは、この国の治安を護る銀の獅子。
その綺麗な、にんげんらしいあおい目が、
ふうと、あたたかいその家の煙突から、ゆらゆらと登る煙を見付けて、緩む。
見送りは此処までだ、と自然に足を止めた俺の腕から、
御礼と共に買い物袋を受け取って、
、よいおとしを、
そう言って、
ほんの少し早足で家の門をくぐってゆく、ひとのめの、
なんと暖かいことか、!
ああ、
呟いた俺の言葉は音にならずに、白く昇る。
沈んでいってしまう太陽は、冬の澄んだ空気の中で、
最後の最後まで美しく、この景色を彩っていた。
どたどたどた、といつも以上に五月蝿い足音で、
部屋の扉を開け放ったのは、そちらを見ずとも分かる、奴に違いなく。
俺が何かを言うよりも早く、
奴は更に足音を立てながら、俺の寛いでいたリビングへと侵入し、
(ああ、玄関の施錠と、蹴散らした玄関マットくらい整えろ…。)(そして軽くでもいいから、靴を拭け!)
上着も脱がずにバン!とテーブルに両手を付いて、
叫ぶ。
「今月の目標…!」
鼻頭を赤くしたまま、
きらきらと目を輝かせた奴は、更に続けた。
「初日の出を、一緒に見る!!!」
何がどうなったのか、さっぱり分からなかったが、
事態が更に悪化の一途を辿っている事だけは、痛いほどに理解出来た。
俺は、がんばれーおれ!負けるなーおれ!!、と何やら一人でエールを送っている奴を一瞥して、
まだ来ない明日を思い、一人溜息を吐いた…。