ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
「ふぅー、イイ汗かいたv」
一定のリズムで庭に響くそれを背景に、
二郎兄さんは実に爽やかな笑顔で滴る汗をタオルで拭う。
ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
音は止まない。
しかし二郎兄さんは、
一心不乱に続くそれに、やはり爽やかに振り向くと、
音の発生源である大きな穴へと歩み寄る。
「兄さーん、余り深く掘るとカイに怒られるよー」
「そうだな。これくらいにしとくかー。」
穴の中からエコーを含んで聞こえてきたそれと共に、漸く掘り進む音は止んだ。
一体何メートルほどの深さがあるのかと、そっと闇を探るように首を伸ばしたが、
二段ジャンプで穴から飛び出してきた兄さんの、爽快感溢れる笑顔に、
私は、つきつきと頭が痛み出したのを感じた。
軽やかに着地して、やはり爽やかに汗を拭う今ならば、
スコップとツルハシでスタンエッジも可能なのでは…、などと思いながら、
私は無遠慮に掘り起こされた穴を指して、口を開く。
「…今更のような質問だとは十二分に承知していますが、これは一体何のつもりなのですか?」
「「落とし穴。」」
さも当然だというような響きで即答された回答に、
私はあちこちにはりめぐらせた罠を見回して、更に痛む頭を抑えた。
「カイの許可は取ったぞ!」
と胸を張る長兄に、取らせたの間違いだろうにと、
カイの心労を思い溜息を吐いたが、それで解決するわけでもない。
「こんなものに引っ掛かるような輩がいるとは思いませんが…、」
この御時世に、家の庭に仕掛けられた素人製の落とし穴に落ちる、という確率を軽く計算して、
更に溜息を重ねた私に、けれど兄はバカヤロー!と叫びながら、
光速の拳を繰り出してきた。
(ああ、あと半瞬でも反応が遅ければ、私の肋骨が粉砕されたに違いない…、)
そして彼は、
家屋を揺らして壁に減り込ませた拳を引っこ抜くと、
悔しそうに唇をかみ締めて、私を見つめる。
「お前は、兄の貞操を守りたくはないのか!!!」
「貞s…。はじめ兄さん落ち着いて考えて下さい。…相手は、あの、三郎兄さんなんですよ?」
彼の両肩を軽く叩いて宥めながら、
私は、その後ろに仁王立ちする二郎兄さんにも伝わるように、
ゆっくりと続けた。
「間違いも糞も何も、先ずは、あの寝汚さを治さないと、どうにもならないかと。」
暫しの沈黙の後、
、…まぁ、確かに、と同時に呟いた彼等に安堵して、
私は大きく胸を撫で下ろしたのだけれど。
、でも、と、囁いて揺れたのは、
蒼い双眸。
「、あれ、は、駄目、だ。」
その指が、スコップを握りなおして、
その仕草が封雷剣の柄を握っているような錯覚を覚えながら、
私は、その小さな声を追い掛ける。
「あっちも分かってる、俺達は“駄目”だと。きっとあいつらは…俺達と“同じ”だから。」
伏せてしまった顔は、見えない。
でも、その拍子に甘く零れた金の髪が、カイとまるで同質であるように、
話に聞いたその、黒、と、白、の彼等も、
互いが互いに同質であるのかもしれないのだ。
そして、その彼等と、
最近めっきり音沙汰の無い、炎のにおいを纏ったあの男の全てが、
同質であるのかもしれない。
それは、
カイと、私たちの間にある、いくら隠してもけして消える事のない、
オリジナルとアンドロイド。本物と偽者。正と誤。真と偽。
その、境界を、領域を、次元の違いを、意味している。だから、
「だから、駄目、だ。」
そう残した兄さんは、
私の腕を払って、スコップを担ぎながら玄関へと歩き始めた。
その背中からぴりぴりと伝わってくるのは、
もう今では霞んでしまって、それでも消える事のけして無いであろう、
私たち兄弟が、初めて出会った時に、剣を向け合ってしまった、あの空気。その記憶。
「俺はお前達を、あちら側に巻き込むつもりは無いからな。…もう、二度と。」
ばたん、と、おおきなおとをたてて、扉はとじた。
それをただ見つめていた私に、
うふふ、と微かに笑ってみせたのは、二郎兄さんで。
「ってゆーか、あの黒いのツラがアレなんだから、そもそも問題外だよ。僕はね。」
そう言って、やはりうふふと笑いながら、
、お風呂はーいろ、と母家へと戻ろうとする兄さんの背中を見送りながら、
私は止む事の無い、つき、つき、と、頭の裏側からの小さな棘を感じていた。
思わず米神を抑えながら家を見上げれば、
二階には、ここ数日変わらないカーテンの半分かかった窓、という景色がひとつ。
きっと寝ている訳ではないだろう兄を想って、
そして、その理由を知っているのは、恐らく私だけなのだという事を思って、
そしてそして、その事を薄々とカイや兄たちは感じ取ってしまっている事を感じて、
私は頭痛がじわじわと広がっていくことに、
深く、溜息を吐いた。
Merry Christmas, Mr.Lawrence !
on Sixth Night.
〜…きみいろおもい…!〜
玄関のドアの音を耳が捉えて、脳へと送り込む。
その情報が全身の神経へと染み渡っていくのを感じながら、
俺はじわじわと意識が浮上していくのを必死に拒んでいた。
しかし、
布団を握り締めるほど、そのやわらかい布の感触がリアルに感じられて、
俺は諦めて、薄く瞼を押し上げていく。
シャッ、と耳を突く音と共に、
視界に冬の冷たい空気と昼の光が刺さって俺が呻けば、
応えてくれるのは、慣れた気配と溜息の音。
「…いい加減起きろ。」
その声に、何度か瞬いて布団から顔を出せば、
ガラガラと窓を開けているらしい彼の、
久しぶりに見た、白い革ジャケットの背中があって。
冬の冷えた空気と一緒になって俺の鼻をついたのは、
焦げた肉がこびり付いたような、少し懐かしい、臭い。
視界を横切る白の色彩と、鼻を刺したそれに、
俺の眠気は一掃されて、
思わず跳ね起きて、彼を見る。
その傍らに、使い込まれた黒い刃が見えて、
そしてそこから確かにあの臭いを感じて、
シーツに置いた自分の手が、嫌な汗をかいているのがわかった。
「使った、のか?」
「…………。」
その沈黙は肯定。
しかし彼は、
堪らずにベッドから飛び降りた俺が口を開くより早く、僅かに口を開く。
「 “ アオ ” が来た。」
「 “ 青 ” ?…彼には、この前カフェで…、」
「違う。…弟の方だ。」
頭を振った彼の赤が、そう言って睨むように俺を刺した。
それと同時に脳裏に浮かんだのは、
…ちょうど、カイさんと同じような甘い色の金髪の…、
「… “ 碧 ” が?!…な、なんで、まさか、」
俺が喉を引き攣らせて後退るのに、
彼はもう一度、だが今度はゆるりと頭を振って、否定する。
「帰還命令でも何でも無かった。ただの様子見らしい。」
「…そ、っか、あの時逃がした獲物、俺達まだ、」
そのままだったもんな、すっかり忘れてた、
軽く笑いながらそう言って。
俺は、
彼の視線がそっと俺に気付かれないように外れていくのと、
鼻を刺す焦げた臭いの他に、
脳を突く、鉄、のような臭いを知覚してしまって、
言葉を、
失くした。
「…行ったのか?、一人で、行ったのか、?!」
その冷えた白いジャケットを掴み上げれば、
彼の冷静な赤が俺を映して、
俺はそれを焼き尽くさんばかりに睨みつける。
「…………。」
しかし、繰り返される静かな肯定に、
俺はただ奥歯を噛み締めて、手を放すしかなかった。
わかっている、
わかっているんだ、
この、粉砂糖の降り掛けられた、美しく甘いケーキのような世界に、
俺達は乗せられない蝋燭なのだ。
刺してしまえば、皿すらも焼き尽くす、存在、が、
懸命に、砂糖菓子になろうとしている、この姿。
ああ、なんて、滑稽だろうか。
「、ごめん、」
全ては、俺の我儘でこんな事になっているのに。
だが彼は、
いつもの溜息を微かに吐いて、言った。
「すぐ戻れとは言われなかったが、急いだ方が良いだろう。…だから、」
、白黒付けろ。
そう言った赤が、いつもの色で、
俺は、力強く頷いて顔を上げる。
俺達はギアだ。
相手が例え何であっても、
それだけは忘れてはならない事だけれど。
この想いを、続ける為に、終わらせる為に、全ての為に、
こんな所で、こうして足踏みをしていることが、一番いけないんだ。
だから、
俺は先ず、目の前にいた彼に、ありがとう、と言う。
そうして、
あのこにも告げよう。
こんな俺から、フーセンを受け取ってくれて。
それを、忘れないでいてくれて。
たったそれだけの事が、どれだけ俺を救ってくれたのか。
…もう、きらわれてしまったのかもしれないのだけれど、
一言でいい。
あのこに伝えたいんだ。
、ありがとう、と。
その悲鳴は、見事なものだった。
どざざーとカモフラージュの床をぶち抜いて、
“ぎゃーーー!”という典型的な声をあげながら、
段々とエコーに霞んでいくその音。
そして、暫しの間のあと、
再び聞こえてくるそれは、
…ああ、せっかく脱出したのに、別の穴に落ちたのか、と、
状況を実に分かり易く伝えてくれる。
私は、二回目の悲鳴が消えていくのを聞きながら、
読みかけの本に栞をいれて、
自室から一階の書斎へと、誰にも見つからないように、こっそりと移動した。
そうして私が、裏庭に面した金具の錆びた窓を開ける頃には、
ちょうど彼は、必死に穴から這い上がってくるところで。
「貴方が、“ サンタ ”さん、ですか?」
突然掛けられた声に驚いたのか、
穴から覗く金の髪が、ふさふさと揺れて、
こちらからは、まるで金の草がそこから生えているかのようだった。
彼は、褐色の腕を伸ばして地面を掴み、
ようやく頭を外に出してほっと息を吐きながらも、
不思議そうに私を見上げる。
「え、と、」
きょとんと私を見るそれが、
現状を不理解のまま、けれど確かに私の先の問いに頷かれたことに、私も頷いた。
「では初めまして。兄がお世話になっております。」
しかしまさか、これに掛かるとは思いませんでしたよ、と淡々と続ける私に、
我に返ったらしい彼は、赤いそれをやはり何度か瞬かせる。
「幸い兄さんたちは夕飯の支度をしているので、まだ貴方に気付いていません。
もしくは、掛かったのが分かってせせら笑っているかどちらかです。」
「…………。」
さー、と青褪めていくその顔から、今までの長兄次兄の所業が窺い知れたが、
私はそれに気付かない振りをして、更に続けた。
「聞いて下さい私は一度しか言いません。」
「…は、はひ!」
穴から頭を出したままびしりと背筋を伸ばす彼に、
そのまま落ちやしないかと思いつつ、
私は、彼が聞き漏らさないよう、はっきりと告げる。
「明日の夕食後、表門側の橋の上で待っていて下さい。」
暫しの沈黙の後、…へ?と聞こえた間抜けた音に、
私は台所かリビングにいるはずの兄たちの気配を探りながら、
畳み掛けるように彼へと言葉を落とした。
「はじめ兄さんたちは、新年の花火大会を見る為に、自室のベランダ…裏庭側に席を設営する筈です。
つまりその時間帯、表門側は手薄になるという事。…そこを狙います。」
「え、いや、」
「宜しいですか?YES?NO?」
「い、い、イエス、!!!でも、どうして…、」
その赤が、
自分のように兄達に嫌われている者の味方をして、
私が兄達を騙すような事をして、裏切るような事をして、
それによって怒られてしまわないのか、
…ただ、それだけを心配してくれているのがわかって、
その余りにも単純な会話構造に、逆に私は困惑して、眉を寄せる。
「別に貴方の味方という訳ではありません。私は、…兄さんに味方しているんです。」
その意味を、きちんと彼が理解したのかは、分からなかった。
けれど、それを理解するよりも早く彼は、私が“兄さん”と言った事に首を捻る。
「…あ、あの、?ご兄弟は四人のはずじゃ…、」
私は、それには答えなかった。
ただ、やはり彼のその質問は、何らかの意図や疑惑から来るものではなく、
ぽんと浮かんでしまった普通の疑問なのだというのが表情からすぐ分かって、
なんだかそれは、
三郎兄さんが、考えて考えてぽとりと口にする質問と、とても似ている気がして、
私は、この二人の噛み合っているのかいないのか分からない会話のキャッチボールを想像して、
少し、笑う。
それに対して、彼が更に首を捻ったのが見えて、
私はすぐに笑いを飲み込むと、再び淡々と告げた。
「…ただ、私も貴方を疑ってはいます。」
その一言に、とんでもない衝撃で打ちのめされたらしい彼を眺めながら、
私は、やはりその光景を新鮮だと思う事に驚きながら、正直に続ける。
「だって今まで“私達”に、貴方のように触れてきたひとは、いないのですから。」
カイやソルも、今では当たり前のように接してくれるけれど、
一番最初は、けしてそんな事は無かった。(そしてそれは至極当然の事である。)
だから、
この彼の、真っ直ぐな、真っ直ぐな、落とし穴さえ道とする彼のようなひとに、
どう向き合って良いのかが、解からない。
多分、ただ、それだけのことなんだろう、と。
、兄さんたちは、過敏になっているだけなんです。
そう呟けば、彼はやはり、真っ直ぐな赤で私の会話をしっかりと聴いていてくれて、
私はその事に、妙な安堵感を覚えながら、小さく頭を下げた。
「気分を悪くさせたのならば謝ります。でも出来るならば、」
明日は、来て欲しい。
その言葉に、
力強く頷いてくれた目は、
確かに、彼と同じ造型をしたあの炎と、確かに同じ光なのだと思わせるそれで。
私は軽く頷いて、
今もまだ開くことのない、カーテンの掛かった部屋を見上げながら、
ゆっくりと続ける。
「兄さんも多分、貴方のような人が嬉しいのだと思います。」
「…え、それって、も、ももももももしかして、」
「はい…良き、お友達が出来たと。」
ずるりと、
真っ白に風化しながら穴へと舞い戻っていく彼を見送って、
とりあえず私は、よいおとしを、と言い残すと、北風の吹き込む窓を閉じた。
そうして私は、
やはり微妙にエコーの含んだ悲鳴が着地するのを、
窓硝子越しに耳にして、再び少し笑ってしまう。
ああ、多分、
あの三郎兄さんが、私に相談してまでも頑張っている理由が、なんとなく、なんとなく分かった。
明日の降水確率が低い事に安堵しながら、
私は、やはり来た時と同じようにこっそりと、二階の自室へと戻った。
、あのこと約束を取り付けた、という話をした瞬間、
相方は実に、この世の未知にその謎の全てにぶち当たったような顔をしたんだけど、
弟さんが、協力…?してくれる、っぽい、と続ければ、
それはすぐさま納得したようないつもの表情に戻った。
(ど、どんだけ、俺駄目なんだよ、!)
「良かったじゃねぇか。据え膳食わぬは…と、お前はそれ以前か。」
雑誌を捲る手を休めて、やはり何か納得したように呟いた彼は、
テーブルに転がっていたマーカーを手にとって、壁に掛かる目標に向かう。
「え、据え膳、?」
「据え膳じゃないだろう、そもそもお前は、膳が据わらない。」
分かるか?、と真顔で聞き返す彼の真摯な声は、
なんだかそれがそうなんだ、と思わせるような音を孕んでいて、
俺は反射的に頷いてしまった。
そして、
俺がその膳について永遠と首を捻っている間に、
きゅ、きゅー、とマーカーの音が紙を滑って…、
今月の目標 :初日の出に誘う膳を据える。
「…ちょ、お前、なに書いてんだよっ?!!」
「真実だ。」
「……………。」
思わずとも沈黙してしまった俺に、
…ああ、弾んだ会話、とかがよかったのか?
なんてからかう(否、これは真面目な顔だ…、)(余計凹んだ…!)相方はいつもの通り彼で、
俺は、更に書き足されていく目標と、
見えない明日を思って、
そして何より、あのこを想って、
ばくばくと止まることを知らない、
自分の心音を聞きながら、立ち尽くしていた。
今年も、残り、
あと 一日 。