はんなりと香るベルガモットに、目が覚める。
未だ全身は鈍いリズムを刻んでいて、動いてくれそうも無かった。

けれど、
瞼に広がる温かい闇と、そのやわらかな香りに誘われて、

俺は両瞼をこじ開けた。




「気が付きましたか?」




白い天井に眼が眩む。

ベルガモットにも似たその音が、誰かの声だというのに気付いて、
俺はゆるりと首を巡らせた。

こちらの枕元に椅子を寄せて、
ゆるりと笑んだ、其の男、は…、


たった数回、書類やデータ上でしか見たことの無い、
あの自分と同じ顔をした、
だが自分とは違う、きれいな碧い眼が、俺を見ている・・・!




「あ、」



思わずとも零してしまった声は、
喉を詰まらせて咳さえ引き起こしたけれど、

目の前にいたこの男は、
あろうことか跳ね起きたこちらの背を、大丈夫ですか、なんて言いながら慌てて擦る。


微かに触れたその手が温かかったことに驚いて、
(当然のことなのに!)
それから逃げるように身を引きながら、言葉を吐き出した。



「…お前、驚かないのか?」



だが、
彼の口許は、ゆるりと笑む。
ベルガモットの、におい、だ。)



「驚きましたよ。」



けろりとそう言いながら、
サイドテーブルにあったポットを傾ける。

ふんわりとあがった湯気に、
彼の金の髪が霞んで、歪んで見えた。
(そのまま溶けていってしまうかと思った。)

彼は視線を満ちていくカップに向けたまま、続ける。




「突然の来客だと思ったら、その人は…、」




ゆっくりと差し出された真っ白なカップには、
やわらかな紅を揺らすアールグレイ。


正面から静かにこちらを見るその眼は、

やはり、やわらかな碧、で。


そして、真っ直ぐなベルガモットが、俺へと言葉を紡ぐ。




「私と、瓜二つの姿をしているんですから。」




驚かない方がおかしいでしょう、と。

そう続けてゆるりと笑んだ其の光景は、
まるで小説か何かのようだ。

(こんなこと、どのデータにも無かった。)
(変な、奴…。)




少し震えの残る右手を庇うように、
両手でカップを包みこんで、

一口、含む。

(隣で彼が、本当に少しだけ、俺の手を見て哀しそうにその眉を寄せたけれど、
俺は、それに気付かない振りをしてカップを傾けた。)



俺の視界を淡く包み込むこの湯気のせいで
彼からも俺が見えなくなってしまえばいいのに。




「早速ですが、教えて頂けますか?」




俺がカップを手の中に戻すのを確認してから、そう言って、
彼は、やはり真っ直ぐにこちらを、見る。
(あのきれいな碧からは、こんな俺でも少しは綺麗に映るのかも、しれない。)
(…どうでも良い事だ。)



「昨夜、あなたが意識を手放す前に言っていたことの意味を。」



この包み込む白い湯気の中に、
やはり霞のかかった、意識を手放す前の、記憶が、聞こえる。
(雷鳴と豪雨と風音と、開いた扉から覗いた、彼の、此の声。)


握り締めたカップは、やはり温かく、
喉を通った紅茶はじわじわと体内から震えを奪うように拡がって。



「俺は、」



ゆらゆらと揺れた紅茶に浮かんだ俺の青い目は、
何処も目の前の彼に似ていない。
(あいつらは何処を見ていたんだ?!)


紅と交じり合った俺の青で、
黒髪から覗くあの、紫のいやな、め、を思い出したんだけれど、
だがすぐにやわらかな紅いベルガモットが掻き消してくれた。

俺は、静かに息を吸う。



「存在してはならないモノなんだ。」



その言葉に、
彼が静かに言葉を返してきた。

俺の視界の端で口を開いた彼は、やはり真っ直ぐに俺を、見ている。




「人を、殺したからですか?」




ひゅ、と。
自分の温度が下がった音が、聞こえた。


彼は、
少しだけ眉を寄せて、
(それが慈悲か困惑か軽蔑か好奇心か、俺には判別出来なかった。)
言葉を続ける。



「昨夜あなたが被っていたものは、あなた自身の血ではなかった。」



どういう事なのです。
真っ直ぐな二つの碧が、そう聞いているのがわかった。



こんな真っ直ぐなものが、この世界にあったなんて。
俺はしらない。

俺はきたない。




俺は、自分が身を包んでいるパジャマを指して呟く。



「…この服。」



微かに首を傾げて先を促す彼に、
だが俺はその眼を見ずに続けた。
見れる筈など、無いだろう・・!



「着替えさせてくれた、ってことは、…気付いただろ?」



その言葉に、
ゆるゆると、
彼の真っ直ぐな視線が外されていく。


こんなに汚い俺は、其のきれいなめ、には重い、のか、と。
そう思ったんだけれど、


しかし、
その逸らされた碧に浮かんでいたのは、




微か、とは言い難い量の、 深い、陰。




(微かだったのはむしろ、同情と慈悲の色の方だった。)





「そうだな。」





長い、溜息にも似た俺の声に、彼が顔をあげる。

その事に少なからず安堵しながら、

俺は、
静かに口を開いた。



「お前には知る権利がある。」



ガタガタと揺れる窓の音に、
未だ雨が止んでいなかった事に気付く。


だが、この家にあるのは、
真っ直ぐな彼と、やわらかなベルガモットだけだ。




きれいな、せかいだ。




俺は、真っ直ぐに、彼を見た。

声はもう、震えなかった。
















「教えよう。俺の知っている、全てを…―――。」

























06,ロマネスク [romanesque]
小説のように奇異であるさま。伝奇的な。空想的な。