薄暗い部屋の中で、男が口を開く。
「聖戦。…それは、ギア対人類、長い長い戦いの其の名前。」
その声は、けして広くはないその部屋をじわじわと侵していく。
男の口端は、笑った。
「22世紀、
ジャスティス率いるギアの人類への宣戦布告に対して、
聖騎士団を結成した人類との熾烈な戦争が始まりました。」
無数のコードで繋がれた機材達が、低く唸りを上げている。
男はそれを宥めるように歌うように言いながら、
ゆっくりと歩みを進めた。
「しかしそれは、ジャスティスを次元牢へと封印する事に成功し、終止符が打たれます。
そして、これにおいて大きな活躍を見せた聖騎士団団長カイ=キスクは、
天の使いと偶像視され、人類の希望とまで称されるようになった。」
彼の脇に立ち並ぶ巨大なガラス棺たちが、悲鳴のような気泡をあげる。
彼は、ガラスを軽く指で撫でて、その中で息をする塊に聞かせるように歩いた。
「戦時中、彼の死亡を恐れた一部の人間、
…まあ、各界に大きな影響力を及ぼすような方々は、
政府公認で秘密裏に施設を建設。
そして秘密裏に我々のような研究員を集め、秘密裏に、このような命令を下しました。」
部屋の最奥部。
書類や試験管、コード、ビーカー、機材、…そんな物に埋もれた大きなデスクの前で、
男はようやくその足を止める。
そして、一際響く声で、こう言った。
「カイ=キスクの死亡時の保険として、その“替え玉”を造れ、と。」
男の白衣が翻り、
眼鏡の奥から鮮やかな紫の瞳が微かな光源を拾い、煌めく。
彼は、微かに肩を竦めてみせた。
「すなわち、ブラックテックに因るアンドロイドの製造です。」
そう言い放ち、彼は一つ頷くと、
すぐにまた足を動かし始めた。
デスクの前を通り過ぎ、その横に佇んでいた、一体の人形、に向き直る。
暗闇の中で、ぼんやりと人形の柔らかな金髪と白い肌が浮かび上がって、
それが動き出したのがわかった。
さらりと金髪を零しながら、ゆっくりと首をもたげ、
その蒼い、双眸が、開く。
微かな動きで、だが確かに男に向かって一礼をしたその人形に、
男は、優雅に白衣の裾を引いて礼を返した。
見て下さい。
心なしか弾む男の声に、少し歩みを進めた。
彼はこちらへ人形がよく見えるように示しながら、
だが、彼の神経は全て人形へ向いているようで。
いつもより饒舌なその口は、
更に動き続ける。
「目や髪の色は勿論、声までもを忠実に再現するため、
カイ=キスク本人の細胞を採取・培養しました。」
我ながら素晴らしい出来映えです。
そう言ってにこりと男は笑んだが、人形はつまらなそうに彼を一瞥するだけだった。
それすらも嬉しいのか、男は微かに笑いを零しながら、
人形に触れていた手を放して、自身の眼鏡のブリッジへと持っていく。
「だがしかし、聖戦が終結してもカイ=キスクは死ななかった。
つまりは、稼動することが出来なかったんです。」
“人類の希望”が二人いるなんて、
それはお前達の幻影だなどど言ったところで、流石に盲目の民衆共も騙せないでしょう。
そう言って、ねえ?、と返された声に頷きを返すと、
彼はちらりとこちらへ視線を走らせて、そのまま虚空へと戻した。
「しかし、暫くして再びチャンスがやってきた。
ジャスティス復活の予兆が表れ、第二次聖騎士団が結成されることになった時。
…彼はあの大会に出場した。」
振り向いた男の白衣が閃いて、暗闇に軌跡を描く。
「相手はあのジャスティス。彼等も心配になったのでしょう。
…ようやく、待ち望んだ稼動の許可が下りた。」
言いながら彼の手は、人形、の髪を軽く撫ぜた。
それは恐らく無意識の行動のようだった。
「それなのに、」
笑みを形作っていたその口端が、落ちる。
「機能を停止しろ、と?」
淡々とこちらへ向けられたその言葉に、
背筋を伸ばしながら何とか口を開いた。
唇は乾いていたけれど、声は掠れずに出すことが出来た。
「ええ、上の方からはそのような指示が。」
こちらの言葉に彼は、ふむ、と呟いて顎に手をやる。
その少し長い黒髪から覗く横顔は、
この計画の研究長にしては若過ぎる男の顔だ。
「ジャスティスが破壊され、替え玉としての価値が無くなった今、
偶像は二つもいらないということですか。」
皮肉ですね。
そう言った彼の口端が、
微かに吊り上がるのが見える。
「戦時中は喉から手が出るほど欲していた替え玉を、こんなに簡単に切り捨てようとは。」
「博士。」
くつくつと笑う彼に声をかけたが、
彼はただ、わかっています、と眼で答えて、眼鏡を押し上げる。
「まぁ、確かに表沙汰にでもなったら大変なことですしね。」
溜め息と共にそういいながら、彼は軽く頭を掻いた。
のろりとした動きとは裏腹に、その眼は一瞬だけ鋭い光を持つ。
「ブラックテックを禁じていた政府そのものが、其の力に頼っていたなど。」
薄く笑う声が聞こえた気がしたが、
それは気のせいだったのかもしれない。
「では、やはり?」
言って人形をちらりと見たが、それは全く興味を示さない。
会話の内容がわからないわけではないだろうに。
確かにこれに関してはまだまだデータを取りきれていない。
今停止させてしまうことは、我々としても非常に惜しい事だ。
しかし、
それのために上に背けばどうなるか…。
それなのに、
彼の口端は、吊り上がる。
「いえ。停止させはしませんよ。」
滑らかに滑り出たその言葉に、思わず言葉を失った。
この男は 今 なんと ?
「し、しかし!」
ひらり、と。
暗闇に浮かび上がったその掌が、
こちらの制止の声を、制す。
「政府の石頭どもに、教えてさしあげましょう。」
其の声は、ゆっくりと滑らかに吐き出された。
まるで蟲毒を彷彿とさせる。
じわ、じわと、
少しずつ、少しずつ、だが確実に蝕んでいくそれは誰にも止める事が出来ない・・・!
「此の研究の、意義を、ね。」
赤く、燃え滾る情熱にも見えるそれと、
青く、忍び寄る殺気にも感じるそれと、
その二つが混じり合った双眸は、
恐ろしい狂気で有り、
兇器で在り。
その事に気付いてしまって。
“恐怖”
只それだけが私の狭い身体を支配した。
忘れるな。
此の男は狂っているのだ・・!
「ああ、そうだ。」
ぱ、と、
彼が白衣を翻すと、
其処にはいつものカオの博士が居た。
何処か見透かすようなその目と、
常に笑みを形作っているその口端と、
いつものカオだ。
そして、自分に向き直ってきた彼のそのカオを見て、
人形の整った顔が、微かに歪むのが見えた。
何故そんなに切なそうな顔をしているんだ?
「なあ、壱号。お前は弟が欲しくないか?」
「…は、?」
思わず聞き返した人形の声も聞こえていないのか、
いや、恐らくは聞こえているのだ。
博士は人形の前髪を指で弄りながら、呟く。
「そうだな、もうオリジナルに似せる必要は無くなったんだ。
目や髪の色を変えてみるのも良いかもしれないね。」
詳しいことはまた明日話そう。
一方的にそう告げられて、
人形は、半開きになっていた口を、
再びきっちりと閉じた。
男が、いいこだ、と言って頭を撫でる。
「今日はもう、おやすみ。」
はい、と微かに返事をした人形は、
静かに私の横を通り過ぎると、すぐに扉の向こうへと消えてしまった。
その微かに寄せられた眉と、伏せられた、蒼いめ、が、何を分析しているのか。
私には解らなかったけれど・・・。
それが、
私が“壱号”の姿を観察した、最後の記録だった。
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24,アンチテーゼ
ある事柄や主張に対して、それと対立・矛盾する事柄や主張。