息が詰まったのは一瞬で、
背中にぶつかったソファの感触と、視界に広がる天井に、
自分が男に押し倒された事を知る。

そして、こちらの服に手を伸ばしてきた男に、俺は思わずとも声を荒げた。


「な、やめ・・・っ!」


男を跳ね飛ばそうと動かした両腕の筋肉の軋み、
叫ぼうとした声、そして視界が、

ぐらり、と、揺れる。


これは、なんだ…?




「効いてきたかい?」



にやりと嘲笑う口元が見えて、
殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたけれど、
腕も足も、身体中全ては、ぎしぎしと軋むだけで動いてくれなかった。


「何、を、した…!?」


声は大分震えたが、相手には聞こえたようで。

男は、
優雅にすら見える動作で、こちらの襟元を開く。


「分かるだろう?」


言って、男がこちらを見下ろしてきた。
その舐めるような視線と外気に晒された首が、引き攣って絞まりそうだ。
いっそ絞まってしまえばいい・・!


「君はこの細身の体からは、想像もつかないような強大な力を秘めているからね。」


こんなところも『』と同じだね、

男が愉しそう言いながら、こちらの首に指を這わせてくる。

生温いその温度と、余りの嫌悪感に、俺の身体は僅かに跳ねた。
だが、それすらも微かな動きで、
そして、それすらもこの男を悦ばせるだけなんだ。



「一服、盛らせてもらったよ。」



紅茶は美味しかったかい?と続けられた言葉に、
先ほどのカップに薬を入れられていたという事に気付く。

自分の余りの馬鹿さ加減に反吐が出る!


「さすがに普通の薬では“キミ”には通じないだろう?」


その言葉に息が止まりそうになった。
だが、これで先ほどから必死に働いている、
修復プログラムたちのエラー音にも納得がいく。

…しかし、
そんな薬が易々と手に入るわけがないのだ。

男は、そんな俺の考えを見抜いたかのように、顔をあげた。




「協力的な研究員がいてくれてね。」




そう言われて頭を過ぎったのは、

いつもいつも俺を、そして、博士を睨んでいた、一人の男。




俺自身がよく眼にしている、ということは、
つまり、研究員内でも結構な実力者であるということだ。
俺=貴重なサンプル、らしいので、俺に実験を施したり出来る人間は、
実力順に絞られているのだと、研究員達がぼやいていたのを聞いた事がある。


「色々と、注文をつけて創ってもらったよ。」


そう笑った男が、
、つ、と首から胸へを、指でなぞった。


「、…ぁアッ!」


悲鳴とは違う声が、自分の喉からあがった事に、戦慄が走る。


薬についての“色々と”いうのは、つまり…、


「この・・・っ!」


ありとあらゆる言葉でこの男を罵ってやりたかったのに、
声は、余りの怒りで震えていた。

それは、
男の這わせるひんやりとした掌の感触に、
俺の身体が熱いせいなのかもしれない。
粟立つ自分の肌と、
浅ましい自分の声を抑えようと、
必死に歯を食い縛っていたせいというのもあるんだろう。


殺気を込めて睨み付けると、
俺を見下ろした男は、
その顔を愉悦に歪ませた。



「そう、そうやって、その瞳に私だけを映していればいい!」



高笑いさえあげながら、男が俺の脚を持ち上げて、
下着ごとズボンを引き抜く。

唇が切れたのか、口の中に嫌な味が拡がった。



「君を私だけのものに!」

「離、せ…ッ!止めろォ!!」



身体中を徘徊するこの掌もそれに吸い付くようなこの肌も
耳に付く卑猥な水音を立てる熱い棒を嬉しそうに扱くこの掌も
荒くなるこの息も部屋に響くこの笑い声もいちいち跳ねるこの身体も
全てが浅ましく愚かで汚らわしい…!!





「君には、」



男が、
俺の耳に舌を差し入れながら、囁く。





「替え玉としての役目が終わった今、こうする事位しか価値が無いだろう?」





耳を冒すその音、と、言葉が、
思考回路をぐるりと一周、して。



 “ こうする ”こと、の、 価値 、と は、 な ん だ 。



だが男は、
項から首にかけて舌を這わせながら、
博士から聞いたよ、と続けた。




「どうやら君を元にもう一体素体が造られているそうじゃないか。」


「…な、ん…だと、?」




俺が知らなかったという事に、
男が顔をあげて、薄く笑った。



「いつかはその子も私のモノにしてあげよう。
君と一緒に、ずっと私のモノとして可愛がってあげるよ。」



そう言うと、男は俺の膝裏を抱え上げる。



「この、変態・・・ッ!!」



後孔を探られる指の感触に、
吐き気さえ催しながら叫ぶと、

男は口端を吊り上げて手をそこから放し、
その代わりに熱いモノが宛がわれる、感触。






悲鳴は、声にならなかった。






がっしりとこちらの腰を抑えて揺すられる律動に、
初めて自分の目から涙が垂れ流れていることに気付く。


「いつまでそんな憎まれ口を叩いていられるかな?」


ぎ、ぎ、と耳元で音を立てるソファの軋みと一緒に、
男の薄い笑いが聞こえた。


「ひ、ぁア・・・やめ・・・ッ!」


俺の喉から漏れる無意味な音に、
男の声が混じる。



「君は、」



それは、
全身の骨や筋肉や全ての悲鳴やけたたましく頭を掻き立てるアラートや五月蝿く軋むソファや最早垂れ流される俺の声や
そんな実に憎々しい雑音たちの中を、


ゆっくりと、掻き分けて、聞こえてきた。







「所詮、人の手によって造られた“人形”でしかないんだよ。」







 いきが、できない。







「“人形”は、主人の言うことを聞いていればいい。」






 “人形” 
反芻するその単語が何かを変える訳ではけしてない。
しかし其れはけして変える事が出来ない確固とした事実である。
今こうしてこんな男にこんなものをこんなところに挿入られて
こんなことを言われてこんなことを考えている俺が居ること
も、確固とした、事実、だ。

だが、




「そうだろう?」




男が、裏に何か含ませたあの笑顔で、問う。





事実、事実、事実、全ての事実の上に今この俺がいる、けれど、けれど、俺は、






おもいだすのは、眼鏡の奥にある紫の、が、俺をみる時の、せつないひかりだ・・・。












、俺は、 お れ は 、














 “ こ ん な こ と ”の 為 に 生 ま れ て き た の か ? 















瞬間。

俺の視界は、真っ白に爆ぜた。










































がたん、と。


真っ暗な廊下からそんな物音が聞こえれば、
誰もが思わず足を止めるだろう。

僕も勿論例外ではなく、
思わずとも足を止めてそちらを見てしまった。


その音が聞こえたのは、
すぐ脇に伸びる廊下の、…恐らく、二つ目の部屋だったと思う。

別にこれが他棟の廊下だったりすれば、気になどしない。
けれど、



この通路の奥は、あの
“玩具箱”だ。



使用不可とされたこの通路の部屋を、
わりと従順な壱号が無断で使うとは考えられない。

広いこの所内は、同じような構造が多いから、未だ迷う人間も多い。

もしも僕の班の人間だったら、また減点されてしまう。
ようやく壱号の実験班に加えてもらったのだから、それだけは避けなければならない。


とりあえず、
口煩いチーフに見つかる前に…。


そう思い、僕は部屋の扉のキーを解いた。



「誰かいるのか?」



明かりが点いていた事に、入った瞬間、目が眩む。
やっぱり誰かが使っているのだ!


「この部屋の使用は…、」


思わず目を庇ってしまった腕を下ろしながら、注意しようと、して。








床にソファに壁にまで飛び散った、
真っ赤な、血、と、

先程、博士と何か話していた筈の御偉いさん(服と髪の色を見るに)の恐らく、
死体、と、

それを見下ろす、返り血に染まった、
壱号の姿に、



僕はただ、硬直してしまった。

この鼻を突く鉄分(Fe)の臭気はなんなんだ・・・!?








真っ赤な返り血を映したその、
蒼い眼が、こちらを、見る。








「お、お前は…!」

壱号、と呼ぼうとしたのか僕自身わからなかったけれど、
とにかくも、ただその一瞬の間に、
壱号はひらりと僕の懐に飛び込んで、鳩尾に一発拳を叩きいれ、

僕の意識はそこで途切れてしまった。




























「させない。」










無音になってしまったその部屋で、誓う。



ぱたぱた、という音に、
自分が未だ
を垂れ流している事に気付いたんだけれど、
頬に飛んだ
返り血を洗い流したそれは、

床に落ちた時には、
そこら辺に散った汚い血と、見分けさえつかなかった。

泪が美しいなどと言ったのは誰だった?
こんなにもこんなにも汚いというのに・・・!


引き攣る呼吸器官に、空気を入れる。






「これ以上、俺のような存在を造らせは、…しない…!」






俺は、
倒れている研究員のポケットからカードキーを抜き取ると、
震える脚をもつれさせながら、

研究室へと、走り始めた。




























研究室とは名ばかりで、
今ではこの研究の書庫のようになっている第三研究室のロックは、
俺の指紋照合と、盗み出したカードキーで難無く開いた。

最初は研究にも使われていたそうだが、
今では、書類やデータディスク、培養途中のサンプルなどが、ひしめき合っている。


幸い部屋の中は無人で、

部屋の最奥にある、
マザーデータが収められたマシンが鎮座しているのが、よく見えた。


部屋中を這い回るコードたちに足を取られながら、
俺は、ゆっくりと腕をかざす。




「封雷剣、」




ばちばち、と答えながら手の中に、それ、が収束し具現化してくれる、感触。

暗闇に浮き上がった黒い刀身は、ちり、と静電気を走らせて俺を呼ぶ。

俺は、
その少しの安堵感に笑いすらしたかもしれない。
短く深呼吸をして、グリップを握り締めた。







「力を、貸してくれ。」







その言葉にまるで頷くかのように、


封雷剣は、吼えた。
























響き渡る轟音。
部屋を蹂躙する雷撃。
燃え散るディスク、灰と化すサンプル、解け落ちる水槽、塵になったコード。


「これで、マザーも含めて全てのデータは破壊したはず…、」


ぐるりと辺りを見回しながら呟いて、
こちらへ近付いてくる複数の足音に気付く。




「何があったんだ?!」

「爆発音がしたぞ…!」

「一瞬でしたが、第三で火災警報が!」




段々とはっきり聞こえてくる研究員たちの声に、
俺は封雷剣を握りなおして、
外に面した壁へと、一気に振り下ろした。














爆音と共に飛び出した空は、美しいほどの黒い闇だった。


それに溶け込んだ雷雲に呼応するように、
封雷剣が一瞬、青白い雷影を空に飛ばす。
















そして数秒の浮遊感の後、
着地の際、膝を曲げて衝撃を緩和したけれど、
俺の身体はぐらりと傾いだ。




あそこだ…!、という振り向くと、
壁に開いた穴から覗く数人の研究員たちの姿と、









その向こうに見える、

真っ赤な満月と、眼が、合って。












突如、激しく響いた雷鳴に、

俺は弾かれたように走り始めた。


















ぱたりと肌を叩いた水に、空を見上げる。


時折、稲光を煌かすその雷雲は、俺を追うように風に流れていて、
直ぐ其処にまで迫ってきていた。


走る速度が段々と上がってくる脚に、
薬の効力が切れてきたのだと知る。


だが、
身体の節々や神経や回路が悲鳴をあげている。


ばたばたとあっという間に降り始めた雨が顔を流した。


そして、


俺の黒衣に埋もれたバックルが、
赤黒いそれを洗い流され、

空を駆ける雷光に、


煌く。






 “ H O P E ” 






皮肉に浮かび上がったその文字が、俺を嗤って、いる・・・!













「何が、“希望”だと、いうんだ・・・ッ!」















絞り出されたその悲鳴は、
雨音と雷鳴の笑い声に、すぐに呑み込まれた。

























next.










30,ラストソング