「頼む、助け、助けてく、」
五月蝿い命乞いに突き刺した剣を、さっさと引き抜く。
それはすぐに真っ黒に爆ぜて、炎の中で崩れていったけれど。
「手間ァ、取らせやがって。」
炎に塗れた男が、吐き捨てるように呟いた。
男は、
死体の確認をするのも面倒くさいといった感じで、
そして、その時間すら勿体無いという苛立った表情で、くるりと踵を返す。
彼は、赤どころか青い炎にさえなったそれを撒き散らしながら、
灰の舞う中、足早に消えた。
Project of black android.
The first story =the first black.
Black swallowtail.
after story.
〜邂逅〜
郊外に佇む、静かな一軒家。
既に明かりは消え、
漂うのは微かな夕餉の残り香だけで。
ふんわりとやわらかに鼻をくすぐるこの香りは、シチューか何かだろう。
しかしあいつの味付けはいちいち塩気が足りない。
煮込む時に牛乳を入れすぎているんじゃないか。
今日こそはいい加減言わなければなどと考えたところで、ふと我に返る。
こんな、ことを考えるのは、愚かだろうか。
愚かどころの話ではない、のだろう。
“忘れるな、化け物”と囁く化け物の声が、喉の奥で燻っている。
時折、そう正に今のこの瞬間のように、
この家を全て燃やし尽くしてしまいたいような衝動に駆られる。
文字通り、灰すらも遺さないように。
身体の奥の奥で燻り続ける、けして消える事の無い、恐ろしいほどの、衝動だ。
けれど、
この家の中で、ひとつだけ錠のかけられることが無くなった、見慣れた窓。
警察の人間が無用心だと、何度か口にさえ出したというのに、
締めようとしないここの家主は、何処までも頑なだった。
同じように彼は、
何度も俺に玄関から入るよう言うけれど。
そうなればあの馬鹿は始終玄関を開けておくに決まっているんだ。
そんな事を言いながら、
いつでも俺が来れるようにと開けられた窓は、
実に彼らしいサインだと思う。
しかし、
彼は俺に合い鍵を渡さない。
俺もそれは望まない。
それは俺達が、恋人なんかじゃない、という証だ。
それなのに、
ただいま、といって、おかえり、と返す。
それが当たり前と思うことも、
俺がおかえりと言った時に返された、あのゆるりとした笑顔、を、
一人の時に思い出してしまうことも、実に下らない事だ。
例えば、この感情を、恋だとか愛だとか呼ぶのかもしれない。
もう、そんな感情など、とうの昔に忘れてしまったんだけれど。
この微温湯のような、家に、空気に、生活に、そして彼に、
慣れてきてしまっている自分に戦慄が走る。
もしかしたら此れが、“HOME”なのか、“HOPE”なのか。
どちらにせよ、俺には無縁の代物だった。
そして全ては赦される筈など無い。あってはならない。
だが、それでもこの脚が止まる事は無かった。
いつものように庭木の幹を踏み台にして、二階のバルコニーへと飛び降りる。
微かにカーテンを揺らす窓から身体を滑り込ませると、
後ろ手にそれを閉めた。
音は、させない。
明かりの消えた部屋には、
きちんと机の端に揃えられた書類が鎮座する机と、本棚。
壁にかけられた封雷剣が、鈍く輝いて挨拶をくれる。
あれは実に主人に似ていると思う。
視線だけでそれに答えて、足を進めた。
ゆっくりと上下している布団が見えたのに、なんとなく肩の力が抜ける。
月明かりの射さないベッドの中では、
布団から覗く金の髪もくすんで見えてしまうが、それはそれで良い色だと思う。
明かりを点ける事を嫌がる彼の為に、
そして自分も明かりがあっては眠れない為に、
この部屋の景色はいつもこんな色だった。
これから起こすというのに、起こさないように、というのもおかしい気がするが、
気配を殺し、
足音を立てず、
静かにゆっくりとベッドへと足を進める。
大きく3,4歩で距離を詰めると、
俺は、やはりゆっくりと彼へと手を伸ばした。
布団の中でやや丸くなるように眠って、
こちらに背を向けている彼は、
もしかしたら何かにうなされてしまっているのかも分からない。
「坊や。」
いつものようにそう呼んで、
その肩に触れた、
瞬間。
跳ね飛ばされる布団とシーツ。
弾くように床を蹴って、壁際へと飛ぶ自分の脚。
そして、
飛び起きた勢いのまま反対側へと退る、彼。
「誰だ。」
静かに、
だが殺気さえ滲ませたその声も、
隙の無いその構えも、
窓から射す微かな光で浮かび上がったその白い肌も、
寝癖のついた甘い色の髪も
少し色の薄い唇も手も足も身体も全て。
全てが、彼、と同じだった。
逆光で光る蒼い目の色が相違しているのかまでは判らなかったが。
そんな事は、どうでもいい。
どうでもいいのだ。
こちらが答えないことと、
恐らく膨れ上がっているであろうこちらの殺気に、
彼、が、右手を突き出して、そこに黒い封雷剣を現す。
静電気を散らすそれすらもどうでもいい。
そう、問題なのは…。
「ひとつ、聞く。」
全身の血流がふつふつと音をたてながら熱を上げる感覚。
身体の芯から噴きあがった熱が、
皮膚を舐めあげそれを突き破りこの部屋の床壁天井を這っていく。
喉を突きあげる凶暴な焔がその身を捩りながら悦び、
脊髄を燃やし脳髄までをも喰らい始める。
彼の封雷剣が共鳴して青白い電気をあげているがそれすらももう見えない。
此処は彼の家であり、
あの窓が開いており、
この場所は彼の部屋であり、
あれは彼のベッドであり、
そして其処に、彼は無く、
代わりに彼ではない、
彼の容をもった何者かが、我が物顔で占領している。
それの意味するところは、つまり。
彼、はもう、いない、という、こと。
「カイを、如何した。」
低く低く吐き出した声と共に、封炎剣のグリップを握る。
彼が一瞬、その表情を怪訝そうなそれに変えたが、それすらもどうでもいい。
こちらが踏み出した足に、
向こうも押されるように構え直した、
次の瞬間。
「どうしました…っ?!」
ばた、ん!と、
盛大な音をたてたのは扉だった。
そして、それと共に駆け込んできたのは、紛れも無い、彼。
「「…カイッ!!」」
同時に彼へと向けられた互いの声に、
思わずとも互いに相手の顔を見、そして確かめるように彼を見。
ただ彼だけは状況が飲み込めたらしく、
だが、なんと言ったら良いのか困惑しているようだ。
互いに構えを解かない双方の間に割り入って、
なんとか口を開いた。
「二人共、とりあえず剣を収めて。」
説明を、させてください。
その言葉に、向こうはこちらをやや睨んだまま、
(しかしそれも、訳がわからない、といった顔だったが、)
剣を消して、構えを解く。
「坊や。」
やや強い調子でそう問えば、
彼は、グリップを握り締めたままのこちらの左手を、
やんわりと押し返した。
その緩い掌の熱と、僅かに浮かべられた微笑に、
大丈夫だ、と、無言で告げられて。
俺は、舌打ち一つで、剣を収めると、
その手を首に回して、軽くその骨を鳴らした。
炎は既に、鎮火していた。
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52,ハードロック
〜05,04,16