がず、と鈍い音を立てながら引き抜かれた剣は、
まるで俺の神経系の絡まったその音の様。
その綺麗な刀身は、
そのまま俺の首にぴたりと押し当てられて、止まる。
「ここでこのまま首かっ切って殺してあげるのも楽しそうだけどさあ、それだけじゃ物足りないよねぇ。」
ひんやりと熱を奪うその赤い刃は、じわりじわりと俺の首へと食い込んで、血を滲ませた。
“彼”は、それに気付いて剣を離すと、
その跡を、すうと指でなぞる。
「甚振って甚振って甚振って、それから死ぬまで犯すってのはどう?」
赤い、俺の体液を付けたその白い指を、“彼”は見せ付けるように、
ゆっくりと、俺の目の前に掲げた。
そして、
その指に真っ赤な舌を這わせて、舐め取りながら、“彼”はくすくすと肩を揺らす。
薄く開かれたその瞳は、あの兇器の色の紫。
「楽には、死なせない。」
その言葉と共に、鳩尾に叩き込まれた拳に、
俺は全く動くことが出来なかった。
「あんたはそこで見学してな。先にオリジナルの方を始末してあげる。」
そう言って踵を返すその姿が、
腹部にじんじんと響く痛みと、衝撃を受けた臓器器官によって、
生理的に浮かんでくる涙で霞んで見える。
「ぐっ、…カイ、!」
何度か咳き込んで、顔をあげれば、
構えはせずに、だがしっかりと“彼”を見据えたカイの、真っ直ぐな、あの碧が、あって。
俺は何故か少しだけ安堵してしまった。
「あんたには手を出すなって言われてるんだけど、」
言葉と共に、ゆらりと振られた紅い軌跡が、ちりちりと光を帯び始める。
「あんたの顔見たら、なんかイライラしてきちゃったから、
『不慮の事故』って扱いにしてさ、殺しちゃっていいよね。」
眼前にまで突きつけられたその切っ先に、
だがカイは微動だにしなかった。
静かに、あの眼、で、構えもせずに、
今にも破裂しそうな殺気に向かって、真っ直ぐに立っている。
そうしてその眼に、
少しだけ、少しだけ、切ない色を。そして影を、降ろして。
一瞬だけ、“彼”が息を飲んだのが何と無く伝わって来たんだけれど、
カイのめ、を、誰か、と、重ねて、見て、いた、ように、思う。
それはすぐに、殺気の海に溶けていってしまった。
「あなたは、」
カイの静かなその声は、
いつだってベルガモットのそれである。
「私と彼を殺せば、幸せになれるのですか?」
ぴたり、と、
その紫の湖面が凍りつく。
「、そ、う、だよ。」
吐き出された声は、今までの流暢なそれではなく、
何か迷うように掠れてしまったものだった。
真っ直ぐな碧を避けるように落とされていった視線のまま、
“彼”は、そのまま憎々しげに呟き続ける。
「あんたらの死に顔を見れた時が、僕にとって、最高に幸せな瞬間となるだろうね。」
その言葉に、
カイの空気が、色を変えたのがわかった。
「それ相応の覚悟は、決めているのでしょうね?」
ぴりぴりと肌の産毛を焦がすような、
やはり真っ直ぐな、闘争心。
「は、僕に説教垂れる気?いい気にならないでよ。」
言いながら剣を構える“彼”に、
カイは静かに、静かに、言葉を紡ぐ。
「私は、死ぬ訳にはいきません。」
それはまるで誓いのようだった。(だけど、いつか昔にもう彼はそう誓っていたのかも分からない)
相手に、自分に、そして“彼”にさえも、たてるかのような、
固い固い固い誓い。
「私の為に命を懸けて戦った、仲間の為に。」
カイの、闘争心はその言葉と共に、更に色を変え、 殺 気 へと変わる。
息をする事も忘れるような、
背筋を凍らせる、冷たく、恐ろしい、空気。
だが、“彼”は、それに退く事は無く、
真っ直ぐにそれすらも切り裂くように、剣を構えて、地を蹴った。
「だったら、今の内にそのお友達と再会した時の、挨拶でも考えておくんだね!」
「、カイ…ッ!!」
一瞬の内に詰められたその距離、
カイに向かって、寸分違わず振り下ろされる深紅の閃光が、見えて、
俺は悲鳴のような声をあげたんだけれど、
それはカイの危険を案じるものでは無かった。
カイ、が、“敵”を、殺してしまうだろうという事に。
そして彼はそれを絶対に後悔してしまうだろうという事に。
けれど、
そのあかい刀身をがっちりと受け止めたのは、
あかい、あかい、あかい、
炎を纏ったあかい、剣。
「、ソ、ル、。」
カイの驚いた声が聞こえて、
もうその目はいつものその色だった。
“彼”はがっちりと組み合った剣を、振り払うと同時に大きく退った。
霧散したそのカイの殺気に、
ソルは、
ほんの少しだけ安堵の色を灯したその眼で、
“彼”へと視線を突きつける。
「…背徳の、炎、!」
苦々しくそう吐き捨てた“彼”は、
次の瞬間、苦しそうに頭を抑えた。
キュィイイ…、と脳髄を締め付けるかのように響いてくるこれは、
“彼”の『背徳の炎』に対する危険信号が、俺にまで影響を与えているのだろう。
だが、それほどの拒絶反応を取り付けるなんて、
俺の時もあんなに反対していたというのに、
博士は一体何をしているんだ…!
「くっ、」
小さく呻いた“彼”は、路地裏へと消えていく。
余程苦しいのか、少し足を縺れさせながら走る姿に、
俺は思わず口を開いていた。
「追うな!」
舌打ちを残して、駆け出そうとしていたソルの足が止まる。
「追わないでくれ、…頼む。」
情けない、声だ。
ずきんずきんと繰り返し拡がってくるのは、
“彼”に掴まれた、右肩の、痛み。
「大丈夫、ですか?」
顔を上げると、心配そうなカイの視線が下りてきていて。
ああ、俺は、
カイに“彼”を殺させてしまうところだった。
「…カイ、すまない、」
震える身体は喉まで震わせて、
俺は、彼に何を謝罪していいのか、何を言っているのかも、よくわからない。
「俺、身体…いうこときかなくて、お前が、危険な目に遭ってたってのに、俺…、」
がちがちと震えの収まらないこの身体を支配しているのは、
、恐怖、だ。
俺が一番、懼れていた事が現実となってしまった、その事への、衝撃だ。
「、俺は、…!」
俺は、
強く強く壊れ易い色をした、あの、紫、に、
“ 弟 ” に 、
おれとおなじ、おもい、をいだかせてしまったんだ・・・!
「いいんです、」
耳元に落とされたやさしい音が、じんわりと拡がっていく。
カイの腕が、
やはりいつかのように、ゆっくりと俺の背に回されて、
俺の震えを押し込めるように力がこめられた。
いいんです、
それはけして、赦し、では無い。
だけどその音は、確かに俺の想いを理解しているものだ。
「私は大丈夫ですから。」
そっと俺の頭を抱え込んで、
背中に置いた手がゆっくりとリズムを刻む。
ことん、ことん、と、
それは彼から聞こえてくる、心臓の、音、と一緒に拍を刻んで。
「大丈夫ですから。」
俺の耳に寄せられた唇が、そう囁いて、
微かに見上げると、すぐにあの、きれいな碧、とぶつかった。
ゆるりと細められたその眼に、
強請るように背中へと腕を回すと、
彼は、ゆっくりと繰り返してくれる。
だいじょうぶ、です。
まろやかなミルクが溶けていく、
琥珀色のアールグレイのそれの様。
やわらかな匂いに包まれて、
俺の神経は蕩けていく。
だけど、
忘れるな。
あの闇を、あの紫を、
俺の見た景色、居た場所、聞いた声、嗅いだ臭い、触れた温度、感じた味、
そして、
“彼”の掴んだ、この、右肩の、痛み、を。
俺は、彼に頷いて、自分の口をこじ開ける。
胸が、喉が、骨が、この右肩が、俺の身体全てが、
そして、“彼”が、
、悲鳴、をあげている。
「、いたい、よ、」
掠れ出たその声に、
カイは、
俺を、強く強く、抱き締めた。
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78.過剰反応