計算外だった、


未だぐらぐらと揺れる頭をなんとかあげて、
パスワードを叩き込む。
思い出すのは炎を纏うその剣、そして殺気。


あんなところで、あんな奴、が出てくるなんて…!



すぐに開いた扉に身体を滑り込ませて、ようやく息を吐いた。

こうして所内の見慣れた景色に触れていれば、
誰かが追ってくることも無いように思う。
結局、此処が僕の生まれてから死ぬまで過ごす家なのだ。

実に不本意なことだけれど、
だがこうやって肩の力が抜けることも事実だ。


信号の余韻がぐらぐらと響く額を、冷えた廊下の壁に押し当てて、
思い切り壁に拳をぶつける。



「くそっ!もう少しだったのに…!」



吐き捨てた声は、乾いた喉のせいで掠れていた。

それすらも腹立たしくて、
僕はもう一度拳を叩きつけて
(壁に凹みが見えたけれど、だからどうだっていうの!)
通路の向こうを睨み据える。



もう少しで、あいつを、この手で…、



「すると、やはり?」


何枚かある扉の内に、一枚だけ明かりの漏れるそこから、
話声が聞こえてくる事に気付いて、僕は言葉を飲み込んで唇を噛んだ。



「ああ、感情中枢に問題があるな。」



僕の話だという事に、
そしてそれに“問題がある”という事に、疑問を覚えて、

思わず気配を潜めながら、そっと扉へと近付く。



「今回は壱号機の“回収”が目的であって“破壊”するなと、あれほど忠告したというのに。」



あまつさえオリジナルと接触を持ってしまったとは…。

顎に手をやりながら、
(いつものポーズだ)
溜め息交じりにそう言ったのは、いつものあの男。

長い白銀の髪は、
大きな画面に映っている映像からの光で、透けてさえ見える。


いつものデータ照合の画面では無い事に気付いて、少し身を乗り出せば、

そこに映っているのは、
建物の影から撮影されたと思しき、


ゆっくりと歩み寄る僕と、オリジナル、そして、買い物袋を取り落とした、あいつ、の姿。



「厄介なことだ。」



男の言葉と、
つけられていたという事実に、
さぁ、と音をたてて体温が落ちていく。



「早急な着工が必要だな。」



男の声が、空っぽの頭にわんわんと響いた。

先程まで襲っていた頭痛とは全く別の、焦燥が、
じんわりと手に汗を滲ませる。



これ以上、僕、に、なにを、する、つもり、だというの・・?



「しかしこれでこの計画から奴を排除する口実は、完璧なものとなった。
そうなれば、私のやり方に反対する者は、誰一人としていなくなる。」



奴の側についていた面々も、私に従わざるを得まい。
そう言いながら振り返った横顔は、
映像が終わり、ノイズが流れる画面にも、はっきりと浮かび上がる。

そうして煌くのは、
挑むような澱みの無い、あの




「そもそも“人形”に感情を与えること自体が間違っているのだ。
現に、奴は、そのせいで自らの立場を失おうとしている。」



その「奴」という硬い音に、頭を過ぎったのは、
僕を造った、というあの男。


混乱するこちらの頭になど気付くこと無く、
彼は言葉を続けた。




「そう、やはり、貳号機の思考ルーチンを初期化すべきだな。」




 今、 この男は、 な ん と い っ た ?





「今の貳号機は感情の起伏が激しすぎるからな…。貳号機の記憶を消去する。」



感情の排除。
記憶の消去。


真っ赤にちりばめられた僕の憎悪。

それを全部けしてしまった時、

ただあとに残るのは塵一つ、傷一つ無い、醜悪な、
だ。





「奴、には、なんとしてでも匣の在り処を吐いてもらうさ。」

「成程。それでは、早速…、」





心拍数の上昇。
思考回路の混乱。
呼吸器官の異常。



僕の震える身体は、
弾かれたように走り出して、いた。





先程開けたばかりの扉にとりついて、
再び抉じ開ける。

そして、
その扉が閉まる瞬間、







「追え。」








白銀の髪を揺らしたその男の、声、が、聞こえた。

























逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ


通路を駆け抜け、窓を飛び出し、柵を乗り越え、ただ、走る。



逃げろ、



ただ頭にあるのはその言葉。

しかし同時に過ぎるのは、
何処へ?、という声。



さっき改めて思ったばかりではないか。

僕にとって、
此処が、家、なのだ、と。
生まれて斬って斬って殺して殺して殺して、そして、壊れてしまうまで。

他に行くところなど、何処にも無い、のに。

それなのに、



助けて、と、



声にはならない、ただ胸の内で、響く悲鳴、は、他ならぬ僕の、もの。



だけど、
それは一体誰に向けられると、いうのだろう。




混濁した意識の中で、
何故この身体は逃げようと必死に足掻いているの?


逃げろ、という、ただそれだけの信号が、
脳から神経を走って、脚へと送られ、
呼吸器官は必死になって酸素を吸収し続ける。




“きおく、を、しょうきょ、する”




記憶が消えたら、この“僕”はどうなる?

これが、
、なの?



「、い、やだ、。」



吐き出された言葉と共に喉へ拡がるのは、真っ赤な味。



あたたかい、肉筋肉骨内臓、を貫いた、
刀身柄指先掌腕筋肉全て、から伝わる“生”の感触。


そして、
それが“死”の感触へと急速に変貌していく、感触。


それは僕が、
こいつの生を奪った
=生体機能の中心核を破壊して生命活動を停止させた

=殺した

という、感触。


あの、“感触”が、僕に訪れて、しまう。






「、い、やだ、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ…ッ!!」






 、死にたく、ない。



そう思うことすら、

小さな希望をもつことさえ、

“人形”には赦されない、のか?




“僕”というちっぽけな存在が消えてなくなる。
ただ、それだけの、ことだと、いうのに。














 
 こ  わ  い     















突然響き渡った、聞き慣れてしまった咆哮に足をとめる。


六本の脚。
背中から奇異な方向に生え出た翼。
裂けた口から生えるのは、巨大な牙。


「合成獣ッ!?」


唸り声と共に飛び掛ってきた長い爪を、寸での所でなんとか避けて。




息を吸え。


敵を見ろ、

核を刺せ!




かざした両手に宿るのは、熱い熱い雷光。


大きく一閃させた腕から発生した雷は、
断末魔の悲鳴を残して、獣の四
(五か六か、正確な数はわからない)肢を、
体液と共にバラバラに散らした。




「あいつら…、こんなものまで持ち出すなんて…!」




郊外とはいえ、民家や人目が全くない訳では無いのだ。
てっきり、所内の敷地さえ抜けてしまえば、易々と攻撃はしてこないだろうと思っていたのに…。


建物の影から飛び出してきた一頭を蹴り飛ばし、
背後から噛みつこうとしてきた二頭目を避ける。
そして、背中を預けていた建物の、その屋上から飛び掛ってくる三頭目。



「ハッ、核以外は、どうなっても構わないってわけね。」



人目についてしまうことも、
僕の身体が傷つくことも、

どうなっても、構わない。





これは、あの男からの、宣戦布告だ。





「上等だよ…ッ!!」





叫ぶと同時に現した封雷剣を振り下ろす。


いつもの
真っ赤な閃光は、
柄まで熱くなるほどの
青白い帯電によって、、に染まって。



吹き飛ぶ肉片。

焼け砕けた骨と内臓。

飛び散る赤、赤、赤、赤、赤、


嘶け、封雷剣。


もっと、もっと、もっと、もっと・・!









あとに残ったのは、
焼け焦げた炭となった部位と、


ところどころ何か判別がつくような、獣の破片。



「は、嘗めないでよね、」



吐き捨てて、死体の間を通りぬける。

辺りの気配を探ったが、この他にはいないようだし、
もう少し行った所は、もうパリの市街地の入り口だ。

そこに入ってしまえば、
向こうでも、こんな追っ手はもう出せない。


そう思った、瞬間。





がぶ、と響いた鈍い音。

それが、獣の牙が肩に根元まで食い込んでいるせいだと気付くまでに、半瞬。


そしてそれが、
先ほどバラバラにした頭部だけが、僕の肩に齧り付いている、

=こいつの核は、頭にあったのだと、いうこと

に、気付くまでに、更に半瞬。




「ぐ、あぁあああああああ!!!」




めきめきとその顎が僕の肩を噛み砕く音が、身体越しに聞こえてきて、
僕の喉は悲鳴を上げたんだけれど、
そんなことはどうでもいい。




「消えろォッ!!!」




その頭を左手で鷲掴み、ありったけの雷撃と共に振り払う。


声に成らない声と共に吐き出された雷光は、
その首を炭化させるだけでは飽き足らず、辺りの建物を這い回って、破裂した。
元々廃墟だったのか、
それとも開店前の店かなにかだったのか、
人の気配がしないのだけはわかった。

少し、安堵した。










狭い路地裏に左肩を押し付けながら、ただ、歩く。

古い石畳の地面には、
獣から浴びた
体液と、
僕の右肩から垂れ流れる
真っ赤な液体が、
ぼたぼたと模様を描いていた。



足がもつれて、壁にぶつかり、座り込む。







じんじんと動かし続けた足が疲労を叫び、

傷を受けたこと、

制御せずに力を放ってしまったことによって、

全身が上手く動きもしない。



そして、
みっともない油断で、ぼろぼろになった、右腕。





苦しい、痛い、





「こんな目にあっても、助けてくれない。」



ぱたりと視線を落とせば、
こちらを見上げているのは、白々しく輝く
“HOPE”の文字。





「…笑わせないで。」





僕が欲しかった、
唯一つの望みすら、叶わない、のに。






「そんなもの、有る訳無いんだから。」





ぼんやりと、霞む視界の中で思い出すのは、

あいつの、

僕の“兄”である、あいつの、


笑顔。


夕飯は何にしようか。
そんな話をしながら、楽しそうに買い物袋を抱えて歩くその姿は、
隣を歩く人間であるオリジナル、
すれ違う人間たちと、

寸分、違わない。












ああ、そうか。






僕は、

羨ましかったんだ。











僕が決して手に入れることのできない、
“自由”をもった、あいつが。







なんだか納得してしまったこの想いがおかしくて、
そして余りに自分が情けなくて、愚かで、とても滑稽だ、と、笑いさえ零れてくる。



「くやしいなあ。」



前髪を左手で握り締めて、呟いた声は、ぽとりと落ちた。







僕は人間じゃないけれど、

この“僕”が死んだら、

僕が今まで斬ってきた動物たち、も、

天国とやらにいけるんだろうか。






「いや、地獄かな。」


それでもいい。





早鐘のように叩いていた心拍は、落ち着き、そして、今では微かな動き。
もう右腕はぴくりとも動いてくれなかった。


身体が、冷えていく、


僕がいつも触れていた、あの、急速に変貌を遂げていく、あの、感触。





真っ黒なのはこの服なのか、
出来てしまった血溜まりなのか、


ぼやけていく狭い視界では、もう判別出来ない。



僕は、ゆっくりと瞼を閉じた。







天国でも地獄でも、今より楽になれるのなら。














  さ よ な ら 















まぶたの裏にひろがる闇は、


あたたかく、やわらかな色を、していた。




















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71.自殺未遂