段々と流れてくる景色が、見慣れたそれに変わってきた事に、
俺の背中を、灰色の指が撫でていく。
だが、案内を続ける男は、
迷い無く研究所の奥へ、奥へと俺達を連れていて。
その足が、見慣れ過ぎた、その通路へと、踏み出す。
ただ一本の長い廊下。
両脇には何枚かの真新しい感のあるドアが見え、
普段使われていない、しかも来賓用なのだから、当然だ。
そしてその最奥は闇が座り込んでいて視界を阻んでいたが、
そんなものが無くても、ありありと浮かぶ、その景色。
最奥に浮かぶ一枚の“ドア”は、
俺達のような大きな玩具を、仕舞っておく、箱、の“蓋”、だ。
隣に並んだ弟が、小さく舌打ちをした音が聞こえたが、
その怒りに歪んだ顔は、まるで泣きそうな子供のそれにも見える。
「こちらです。」
その言葉と共に開かれたその扉は、
廊下に入って、二枚目の、
背中に触れる灰色の指が、
俺の骨にまで触れて、撫でて、締め上げる音・・・!
俺は、僅かに足を下げたように思う。
けれど、扉は開き、進み始める周りの足音に、俺の身体は従った。
、忘れる事など、出来ない、出来る筈も無い、
軋むソファ、忌々しい紅茶の乗った机、血塗れた床、血潮の飛んだ壁、嘲笑う天井、ああ、そのすべて・・・!
「御足労、感謝致します。」
静かに響いたその声に、カイと弟が顔を上げる。
ゆっくりと近付いてくる靴音と共に揺れる、長い白銀、
そして、
「お会い出来て光栄ですよ、カイ=キスク殿。」
いつもいつも俺を、そして、博士を睨んでいた、
そして、たった一粒の薬で俺のすべてを狂わせた、
あの、鮮やかな、翠。
「ようこそ、“禁断の領域”へ。」
そう言って優雅ともいえる仕草で会釈をして、
その眼を細める彼に、
弟が殴りかかろうとした事に気付いて、
俺は、その肩を掴む。
「落ち着け。」
その言葉に足は止めたものの、
彼は、殺気も剥き出しにしたまま、その白銀の髪を揺らす男を睨み付けた。
周りに控えていた白衣の連中が動こうとしたが、
男はそれに気付いて、
微かに笑って部下たちを手で制し、カイへ向き直る。
その様子に再び弟の殺気が膨れ上がってしまって、
俺は強くその肩を掴んだ。
「さあ、どうぞ。お掛けになって下さい。」
「申し訳ありませんが、そんな悠長に話をする気はありません。」
ソファを促したそれをすっぱりと断って、
カイが伏せていた目を開いて、真っ直ぐに男を見据える。
「貴方の目的を、聞かせなさい。」
その澱みの無い、澄んだ、ただ真っ直ぐなその視線に、
男は微かに目を見開いた。
けれど、
それはすぐに、張り付いた笑みによって消されてしまう。
「・・・なるほど、よかった。私も前置きを長くするのは、嫌いですから。」
そう言った男は、カイを促した腕を自身へ引き寄せて、
その口元に一度戻しながら、(いつもの癖だ、)
確認するように続けた。
「貴方をお呼びした理由は、いうまでも無い。」
言って、その視線をカイへと向け、
にこりと笑んだ。
「壱号機と貳号機を、返却して頂きたいのですよ。」
ぴく、とカイの眉が微かに動いたのが見える。
それをただ見つめながら、男は更に言葉を重ねた。
「その二体は、元々この研究所が所有しているアンドロイドです。
研究所外の非関係者に、いつまでも預けておく訳にはいきません。」
聴覚に触れていくその台詞たちに、
カイの、微かに動かされた眉はそのままに、
だがその碧に、段々と違う色が現れてきたのがわかる。
隣の弟は元より、心底嫌そうな顔で男を睨みつけていた。
けれど男は、それをにこやかに見つめている。
(こいつは、こんな奴じゃ、なかったのに、)
その笑みを模った唇が、再び開く。
「・・・それに、」
すぅ、と音を立てて開かれたその翠が、その唇が、
いつも俺が見ていた、
鋭い色を帯びて、俺達を見据える。
「“これ”の成長の為にも、二体は必要ですので。」
その言葉と共に、
静かに男の許に歩み寄った、のは、
知っていた。
三人目の存在は。
その三人目自身からシグナルを送られたのだから。
それなのに、
喉が、かわいて、うごかない。
「、お、まえは…、」
引き攣った俺の声に、
だが、男はいつものあの俺を見る眼で笑うのだ。
「そう、參号機です。」
俺達を、
否、ただ正面を真っ直ぐに見つめるその赤は、虚ろに光り、
見慣れ過ぎた黒衣と共に揺れる黒髪が、
この部屋の闇を引き連れ、其処に鎮座している。
隣の弟も、
唇を噛んで“彼”を見ていた。
男が、
ゆるりと首を傾けて、
白銀が白衣を滑り落ちて行く様は素直に綺麗だと思うけれど、
そうして、
俺達の目に浮かんでいるであろう、絶望、を、
慈しむように、
愛しむように、
やわらかな音で、続ける。
「私が完成させた、最強のアンドロイドですよ。」
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15.錠剤。