「なッ・・・?!」
突然、扉から現れた男に声を上げたのは、
白銀の髪の研究員だった。
その男も白衣を纏っているし、
ここの人間なのだろうが、
外の見張りを突破(床に転がされたその人は、ただ眠らされているだけのようだったが)した上、
周りの研究員たちも驚いているところを見ると、
この男は、一体・・・、
「…は、博士…?」
掠れた声に振り向けば、
先程、悲鳴をあげて倒れてしまっていた彼が、
ゆるりと顔をあげていた。
意識はしっかりしている、という事に少なからず安堵して、
だがしかし、
彼が“博士”と呼んだという事は、
この男が、彼等を此の世に産み堕とした、人間だ、と、いうこと。
「何故…、どうやって此処へ…!貴方は追放された筈だ!!」
半ば叫ぶようにして、白銀のそれを乱しながら吐き出された言葉に、
男は、場違いなほどの涼やかな音で答える。
「いやぁ、私も意外に慕われていたんですねぇ。」
何人かの方々が、手助けして下さいまして、
そう続けられた言葉に、
その研究員は、自身の翠の眼を怒りで震わせながら、唇を噛んだ。
「・・・まぁ、そうでない非協力的な方には、少々眠って頂く事になりましたが、」
麻酔銃を玩具のようにひらひらと振りながら、そう言葉を切った男に、
研究員はその掌を握り締めながら、
苦々しく言葉を紡ぐ。
「この期に及んで…っ、まだ私の邪魔をしようというのか貴方は!!」
そう吐き捨てて、
彼は、やはり微動だにしなかい黒髪の、
…彼等の、弟、を振り返った。
「參号!」
「はい。」
主人の呼びかけに顔をあげた光の無い赤い眼は、
本当に人形のようで、
否、そうであるのだけれど、
私には、彼等が、例えそうだとしても、“人形”であるという意識は無いのだ。
博士と呼ばれた男を正確に捉え、色の無い殺気を散らす。
だが、その足が床を蹴るよりも早く、
私は、男を背に庇うようにして、彼との間に身を滑らせた。
「…おや、味方になって下さるんですか?」
「勘違いしないで下さい。」
声をかけてきた男に、すっぱりとそう言って、
視線だけをそちらへ向けると、
男が鮮やかな紫の目をしていた事に気付いた。
私は、その眼鏡の奥からこちらを覗く、
何処か楽しそうなそれに言い聞かせるように、続ける。
「貴方には、教えて頂かなければならない事が、沢山有るのです。」
「成程。そういう訳ですか。」
軽く肩を竦めながらそう言った男は、
だが別段どうという訳でなく、
こちらに一歩足を進めた彼の手に、赤い刀身が宿るのを見ていた。
じり、と間合いを読んでくるその姿に、
男は視線を向けて、両手を垂らしているだけであったが、
その構えには隙が無い。
恐らく、何かしらの武道は学んでいたのだろう。
「余り手荒な真似は、しないで下さいね。」
「善処します。」
にこやかに告げられた男の言葉に、
私は、視線を彼から外さないまま、そう答えて、
“手はもう、打っておきました、”
そう後ろから囁かれた言葉の意味を、聞き返そうとした、
その刹那。
彼が床を蹴って、寸分違わずその赤い刀身をこちらに振り下ろす。
その動きに合わせて、私は半歩前に踏み込むと、
そのまま剣を振り上げた。
静電気を撒き散らしながらぶつかり合った剣は、
ぎりぎりと音をたてて噛み合って。
私は背後で、その男が動いた事に気付いて、
噛み合わせた刃から、僅かに力を抜くと、
その落ちるような勢いのまま、相手の鳩尾に深く蹴りを入れる。
ちょうど、バランスの崩れた瞬間に叩き込まれた蹴りに、
彼は激しく咳込んで、堪らず膝をついた。
「參号。」
それを宥めるように、
男は彼の前に膝をつき、そっと、その黒髪を撫でる。
「辛い想いをさせて、すまなかった。」
囁くように零された声は、
私以外には聞こえなかったのかもしれない。
その男を虚ろな眼で写している紅が、
僅かに動いた気がしたのだけれど、
それはすぐに伏せられて、
しっかりと握られた真っ赤な剣に、そしてそれを振り上げた右腕に、支配されてしまう。
「博士・・・ッ!!」
叫び声と共に、視界の端でその金の髪が揺れたのが見えたのだけれど、
咄嗟に私は、とにかく助けに入ろうと床を蹴って、
そして、
あの紫の眼が、
腕を振り下ろそうとしている彼に、
まっすぐに、
注がれている事に、気付いて。
私が足を止めたのと、
男の右手が閃いたのは、同時だった。
恐らく袖口に仕込んでいたのだろう、
細い針のような物を持ったその手が、
彼の首の真後ろに、刺さる。
其処からピピ、と聞こえた電子音は、なんだ?
そして、
真っ赤な軌跡が、振り下ろされる、その瞬間。
男は、静かに口を開いた。
「“ H O P E ”」
キュイン、と響いた電子音と一緒に、
風を切り裂いたその刀身が、
男の首筋でぴたりと、止まる。
「…あ、」
剣を握り締めたまま、声を漏らした彼に、
男はそっと、その頬を撫でた。
そして、その赤い瞳でゆっくりとまばたきをした彼は、
ずるりと、その首筋に押し当てていた封雷剣を持った腕を、下に落として。
、いい子だ、
そう言って、やわらかく髪を撫でる男を見つめる、その眼は、
先程までの虚ろな赤ではなく、
あの二人と同じように、
鮮やかな光を宿した、それである。
後方で聞こえた鈍い音と悲鳴に振り向けば、
二郎さんが自身を捕らえていた男を気絶させ、
更に、彼の兄を押さえつけていた三人を、
倒しているところだった。
「…兄さん!」
三人目を床に放り出して駆け寄った彼に、
座り込んだままのはじめさんが、ゆっくりと顔をあげる。
「…ああ、大丈夫だ。…すまない、」
微かに笑んで答えた声は、
まだ掠れていたけれど、しっかりとしていて、
ぴんと張り詰めていた、亜麻色の髪から覗く紫の目が、
ほ、と緩められたのが見えた。
「な、何をしている、參号!早くそいつを捕えろ!!」
部屋に響いたその声に、二人の視線が集まる。
銀の髪を乱して叫んだ研究員は、
それでも反応を返さない彼に、尚も声を飛ばそうと、して。
「嫌だ。」
大きくは無いその声が、けれどそれは部屋中にしっかりと染み渡る。
「、何、だと…?」
呆然とした翠のその瞳を、真っ直ぐに見返して、
その鮮やかな、だが、
何故か、切なそうに細められたその、赤で、
彼は、ゆっくりと息を吸った。
「、嫌だ、と、言っ、た。」
ひとつひとつ区切るように、
だけど、それを研究員の胸に突き立てるような事は、
したくないとでも言うように、
迷うようなその音は瞳の赤に沈めて、
彼は、はっきりと、男に向かう。
「もう、お前の言いなりには、ならない。」
操られていた筈の彼が、
どうしてそのような哀しい色で男を見るのか。
それは例えるなら、
“慈愛”という色が一番似合う気がした、けれど、
上手い、言葉が、私には見つからない。
「な…!?」
言葉を失ってしまった、研究員に、
黒髪を揺らす男は、
その紫の目を眼鏡の奥で開きながら、そのブリッジを押し上げた。
「言い忘れていました。」
男は、さらりと音を流しながら、
弾かれたように自分を見る研究員に、
その紫を細めて、口端を吊り上げてみせる。
「參号の核に侵入する為のロックは、“二重に”かけておいたんでした。」
その言葉に、
“手はもう、打っておきました、”という男の台詞が甦って、
私は納得して息を吐いた。
「貴様…ッ!」
怒りと、屈辱か、
絞り出したその声は震えていたけれど、
その怒りに震えていた翠の視線が、
突然響いてきた、
けして少なくは無い足音と、声に、
慌てて扉へと向けられる。
「時間が、来たようですね。」
呟いた私に、彼が弾かれたようにこちらを向いた。
段々と近付いてくるその声、
(各班へと飛ばしている号令だろう)に、
私は、彼に見えるように、
通信用のメダルを掲げてみせる。
「こうなる予想は、大方ついていましたから。
私の方も、“手は打たせて”頂きました。」
その言葉に、
黒髪の男が、面白そうに感嘆の声を漏らしたのが聞こえた。
そちらをちらりと睨めば、
だが彼は、褒めているんですよ、といわんばかりに、肩を竦める。
「警察機構の内部も、全てが腐りきっている訳ではありませんよ。」
そう言って、白銀の髪を垂らした研究員に視線を戻せば、
彼は、私を睨みながら、その唇を噛んでいた。
「罠に嵌まったのは、貴方の方でしたね。」
背後で、今までしゃがみ込んだままの二人が、
ゆっくりと立ち上がった気配がする。
そのことに、改めて安堵しながら、
私は、その震える翠の視線をまっすぐに見返して、口を開いた。
「大人しく、投降なさい。」
そうして、
いつの間にか壁際にまで寄っていた、
黒髪の男にも、視線を投げる。
「貴方もです。」
釘をさした私に、
彼はやはり薄く笑いながら、口を開いた。
「私はもう、この研究所の者では、ないのですが…。」
「そんな言い逃れが、通用するとでも?」
言って一歩彼の方へと足を踏み出せば、
彼は、すい、と更に壁へとその身体を寄せる。
「困りましたねぇ、やはり見逃しては貰えませんか。」
そう言って、何気なく壁に触れたその右手が、
カチリ、という硬質な音を立てた。
そして、
突然、一部の壁がスライドし、
彼は、其処に現れた闇に滑り込むと、ひらひらと手を振ってみせる。
、隠し通路、という単語を脳内が叩き出すよりも早く、
その男の姿は、
音をたてて閉じた壁の向こうへと、消えてしまった。
「開かないよ、コレ!」
慌てて駆け寄った彼が、
今しがた消えた男と同じ色の瞳で、私を振り向く。
「仕方ありませんね、彼のことは後に回すとして…、」
言いながら私が視線を彼へ戻すと、
彼は、力無く、床に座り込んでしまっていて、
だけど、その挑戦的な翠のそれの光だけは、失うこと無く、私を見た。
「…私を裁くか?カイ=キスク。」
響いてくる足音は、その為りを潜め、
それはつまり班の配置が完了したという事だ、
彼の落ち着いた声音は、よく聞こえる。
「貴方を裁くのは、私ではありません。」
言いながら、私はメダルを取り出した。
合図は一度。
その面を、軽く、叩くだけ。
私は、静かに息を吸う。
「法です。」
その言葉と共に、
部下達は、一斉にこの部屋への突入を、
開始した。
→next.
91,楽園