「眠れないのか?」


突然かけられた声に振り向けば、
ひとつ隣のバルコニーから、こちらを覗き込む、一対の



「お前、最近あんまり寝てないだろ?」


疲れた顔、してんぞ。
そう言ってくれた私と同じ造型の顔は、
だが、心配そうに私を見る。

そうして、
その視線がするりと離れ、
色濃い夜空へと向けられて。


「明日は、裁判、なんだろ?…あいつ、の。」


静かに溢された言葉に思い浮かぶのは、
あの白銀の髪を流した、一人の研究員の男だ。


私は、ゆっくりと頷いて、
バルコニーの柵に置いていた自分の手に、視線を落とす。


「嫌な、予感がするんです。」


握り締めた私の手は、余りにも小さく、
何も掴めないで、震えるばかりだ。
なんと、無力だろう、



「あの男を連行した時、…笑ったんです、少しだけ。」



その
緑の目は、罪を償う事に躊躇いは無く、

何かを悟っていたような、だけれど、何処か安心したような、

そんな色を湛えていて。



ほんの一瞬であったその景色に、私は気付くことが出来なかった。
考えればすぐにわかったはずなのに!



「彼は、研究の
“責任者”、トップの人間として捕えられています。
あの研究が政府によって秘密裏に為されていたのだとすれば、
…彼も、その
“首謀者たち”とは繋がりがあるはずです。
奴等からすれば、彼の口が開かれて、良い訳がありません。」


「カイ、」



私を呼んだその目は、
もう止せと言っていたけれど、
私の口は止まらなかった。

ぎりぎりと握り締めた手が、腕が、骨が、音をたてているのが聞こえる。




「彼は、あの研究の
“首謀者”という名を着せられて、殺されてしまう、…!」




方法はいくらでもある。

相手は狭い牢獄の中。

自殺にみせかけた、暗殺。
毒殺か、刺殺か、何でもいい。

こちらの警察機構内部に繋がる人間がいるならば、更に事は容易いだろう。
(彼についている看守さえもが、息の掛かった人間かもしれないのだ。)



「あの時、私が気付いていれば…!」



吐き出した無意味な言葉は夜に溶け消えて、
私は、無力な此の手に、ただ額を押し付ける。
(閉じた瞼に広がるのは深い闇だ。)
(もしかしたら、もうあの男は、この闇の中に逝ってしまったかもしれないのに!)


と、という軽い音と共に、影が射して、
私は、恐る恐る瞼を開いた。



俯いたままの私の頭を撫でるその手は、

暖かく、

酷く、優しい。




「あいつは、…分かってたと、思う。」




あの研究が始まった時に。…多分、博士、も。

そう、ゆっくりと溢された音は、近く、
私はただ、自分の手と、自分の髪と、バルコニーの柵と、自分の足だけが見える、
小さな視界の中で、
懺悔でもしているかのような心地に囚われる。



けれど、
隣のバルコニーから、こちらに飛び移ってきた彼は、
柵からきちんと足を降ろして、
そうして、撫でていた私の頭を、軽くぽんぽんと、叩いた。




「だから、カイの力が足りなかったせいだけじゃ、ねぇよ。」




…それに、

そう続けた彼は少し笑っていて、
私はゆっくりと顔をあげたんだけれど、
私の視線に気付くと、彼は更にその喉を揺らして笑う。
けれど、




「あいつ、も、博士も、結構しぶといから。」




そんな簡単に、死んだりなんか、しねぇよ。

そう言って笑いながら、夜空を仰ぐ彼は、
彼自身に、そう、言い聞かせているかのようで、

けれど、人は簡単に死んでしまうのだ。
私の仲間達のように。

私の目の前で倒れていった人間達のように。

少し斬られただけで刺されただけで千切られただけで、

あっという間に血を流しながら荒い呼吸さえ無くなって、冷たくなって、いってしまう。


星空を仰ぐ、
は、酷く真っ直ぐに向いていて、
そして微かにその湖面を揺るがせていて。





震えているのは、私だけでは無いんだ。





「はい、」



私はただ、そう答えて、
ゆっくりと頷いた。


















Project of black android.
The first story =the first black.

Black lunarEclipse.


after story.

劃離























真っ白な床。

真っ白な空。

真っ白な、通路の中で、

真っ白な紙が舞い散って、鞄が落ち、ペンが転がり、

真っ白な誰かの髪を手にとった、真っ白なもう一人の指が動いて、



「きれいな、髪ですね。」



そうして、
そのもう一人の声が
いつか何処かで聞いた声、よりももう少し、高い、気がした、)が、


きこえる。




俺はふわふわと闇の中を漂っているんだけど、
誰かのそのまっしろいゆめに触れていた。





これは、だれの、ゆめ、?





そのまっしろい景色が途切れて、
だれかが瞼を開く。
(ああ、目を覚ましたんだ。)


黒い格子、
黒い床、
黒い壁、
黒い天井。


預けた背中から熱を奪っていく、冷たい石の壁の上部には、
小さな窓のようなものが見えるが、
そこにも黒い格子がかけられ、
黒に切り込んだ淡い月光が、
真っ黒い石の床に、十字模様を描いている。


その誰か、
、は、
ぴた、ぴた、と何処かから滴る水音を聞きながら、
ただぼんやりと、
自分が見た、まっしろいゆめ、を思い出している、ようで。



「…今更、」



ぽつりと零した彼の声は、酷く掠れていた。
(ここに入れられてからというもの、何も口にしていないようだった。)


、何故、今更、あの頃の事など思い出しているのだろう…、


ぼんやりと溶けていくその声は、
ゆめの声とは、また別の声だったけれど、
やはり何処かで聞いた
、で、

そして、
こうして俺に触れるこのせつない色に、俺は痛いほどに覚えがあったから、

俺は寝ぼけている頭を回そうと、必死になっていたんだけど。




やわらかいあの白、あの光、

同じ高さにあった、

あの、紫。




さっきの夢の場面がばらばらと流れてきて、
断片的なそれらが、すこしずつ固まって、絵を描く。



真っ白な廊下を歩いているのは、
肩までしか無い、白銀の髪を揺らした、
意志の強そうな
翠の瞳はそのままの、少年の頃の彼だった。


そして、向こうから歩いてくるのは、
少しクセのある黒髪から、
影のある
を覗かせる、やはり少年の頃の、あのひと。
(ああ、この時はまだ、眼鏡はかけてなかったんだ。)



、未だ、同じ師についていた頃、

ぼんやりと蕩けていた俺の意識が、彼の意識に溶け込んでいく、ような、感覚。
俺は、おとぎばなし、でも聞いているような気になって、
ぐるぐるとゆっくり融かされていくそれに、身を委ねた。





あの頃から彼は、天才であった。


著名な両親。有力な家。優秀な成績。約束された将来。


対して私は、成績も下から数えた方が早い人間で、
彼の目に留まることなど、否、眼中に入る事すら無い人間であった。


だが、私は、あの目を、見てしまった。


全てを持ったはずの彼が、

私がずっと目指してきた彼の、あの目、が、


あのうつくしいものしか目に入れた事の無いはずの紫が、



汚いものばかりを撫ぜたような、
切ない
のない交ぜにした、微かな光だけを湛えた其れである、などと…!




何故今更、思い出す、んだ、




その白い指の間から、さらさらと零れる銀の糸。

それを、
あの
のレンズに映りこませながら、

ゆるりと、嬉しそうに、笑う、



彼。




「きれいな、白、だ。」




彼は、
そう言って私の髪を、
汚いと罵られてばかりいたこの髪を、
するりと、その指から零しながら、

まるで、
生まれて初めてみた美しいもののように、


笑ったのだ。






何を、今更、・・・、





「貴方が有名な、“クロロシス”さん?」


クロロシス。
(1)マグネシウム・鉄・マンガンなどの元素の欠乏のため、
植物体にクロロフィルが欠けてほとんどカロテノイドだけの色調になること。黄白化。
(2)多くは遺伝的に、動物の皮膚・毛髪・目などに色素を生じない現象。白化現象。


植物の講義で扱ったその単語は、あっという間に私の不名誉なあだ名として広まった。


あたまがしろいから、あたまのなかまで、まっしろしろ。


特に五月蝿いクラスメートだった奴等の笑い声が浮かんで、私は唇を噛む。

だが目の前で私を覗き込んだ初対面のこの男の目を見れば、
それが揶揄した言葉ではなくて、ただの確認の意味で発せられたものだとわかっていたのに。



「…うるさいッ!!」



叫んで立ち上がった私に、

彼は驚いた顔で、きょとんとこちらを見上げていて、

だけどそれにすら私は腹が立ったんだ。



「覚えておけ!私は、」



私の見ている小さな世界の全てを手にして、
その一番高いところを歩いているはずのこの男は、
何故こんなにも、濁った目をしている。



まるで、

世界に絶望でもしているかのような、沈んだ瞳。



そんなことは、許さない。

そんな、


哀しいことは、ゆるさない。




「私は、いつか、貴方を越える男だ…っ!」




忘れるな。

私が、貴方を追っていることを。


忘れるな。

貴方は、素晴らしいのだということを。



忘れるな。

世界には、うつくしいものだって、あるということを…!





「…ぷっ、くく、」

私の言葉に吹き出した彼は、
その肩を揺らしながら、ついには大声で笑い出してしまった。


そうして、




「それは、楽しみです、ね。」




人を食ったような、
だがやはり可笑しそうな、笑い顔で、


そう、言ったんだ。






ああ、それなのに、






私は、

このままこんなところで死んでしまうのか?






「…い、や、だ、」





思わず絞り出していた声は、酷いものだった。

体が震え、
私は自分を掻き抱きながら、必死に“それ”を、押し戻そうと力を込める。
(けれど、震えは、そして“それ”は、膨張するばかり、で、)


自分が、死ぬ、ことへの、覚悟は出来ていた。
自分が、此の世から、消える、という事への、未練、は無かった。
(この研究に携わった時から、
ナンバー2という名を与えられた時から、その心積もりなら、していたのだから)



けれど、




私は、彼、を超えられずに、終わってしまう。


もう二度と、その機会が、絶たれてしまう、もう二度と、
 




、彼、の、あの
に私が映ることは、無い。




暴れだしてしまった“それ”は、

紛う事無き、戦慄を覚えるほどの、




“恐怖”、だ。





「、し、にたく、ない、」





掠れて微かに漏れ出た息のようなその音は、
ぎりぎりと軋む私の腕の音に覆い被され、そして、




「そういう訳にもいかねぇなァ。」




正面から聞こえた下卑た笑い声に、私が顔を上げるよりも早く、



小さな牢獄の中で、



どす、という、鈍い音が、



響いた。







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