ビー、ビー、と鼓膜を揺らす警報に顔を上げれば、
モニターに赤く写った、侵入者を知らせる“INVADER”の文字。
そっと、こちらの肩にもたれるようにして、
寝息をたてている肆号の頭を抑えて、
起こさないようにしてソファを立つ。
監視カメラの画面を切り替えていくと、
写っていたのは、
窓から部屋へと入ってくる、壱号機と、オリジナル、
そして、二手に別れて行動しているのか、
既に廊下を歩いていた、貳号機と參号機のその姿だった。
ふと、
手元のデスクに広げてあった、今朝の新聞が目に入る。
あの、彼、が、牢の中で自殺した、と、
にわかに信じ難い、その記事だったが、
恐らくは、他の人間に殺されたのを、
上の連中に揉み消されてしまったんだろう。
私達のような駒の末路など、こんなものだと分かってはいた。
どちらにせよ、
、彼、は、
十中八九、もう、生きてはいない、だろう。この場合の希望的観測は実に無意味である。
そして、あの彼が私の事を喋るような真似をしない事はわかっている。
他の研究員辺りが情報をこぼし、
そして、長官殿、自ら調査に来た、そんなところだろうか…。しかし、
「意外に早かったですね、」
まさかこんなにすぐ見つかるとは、正直思っていなかった。
最近の警察も有能なものだ、などとぼんやり思いながら、
私はドアへと踵を返していた。
万事休す、
もう、以前のように逃げ失せることは、出来ない。けれど、
ソファにもたれながら寝息をたてている肆号を、
壱号を、
貳号を、
參号を、
彼等を、
護る為ならば、生かす為ならば、
私は喜んでこの身を牢に置こう。(例え、其処で殺される事になろうとも。)
そして、あの長官殿ならば、
彼等を護る事が出来る。
私の最後の希望。
彼が、自ら此処へ赴いてくれたことを、最後の救いと思うべきなのだろう。
私は、ただ静かに、部屋の扉を閉めた。
豪奢では無いが、けして安物ではない、
シックな内装で纏められた、広い洋館。
床は石畳だったが、冷たい雰囲気はなく、
壁にかけられた照明が、
ぼんやりと暖かく照らす煉瓦が、何処か懐かしい気さえした。
「ふーん。なかなか趣味の良い家に住んでるじゃない。」
感心したように呟いた僕に、
少し後を歩いていた弟が、辺りを見回しながら僕と並ぶ。
「兄さんは、こういうの、好きなのか?」
「え?…うん、嫌いじゃないよ。」
ふわふわと泳ぐ赤い視線が、
廊下の窓から覗く、森と太陽を目に入れてしまって、
少し眩しそうに瞬きしているのを見ながら、
僕は少し足を止めてやりながら、言葉を返した。
「お前は?」
「俺も、なんだか、落ち着く。」
こいつが物を好きだとか、嫌いだとか、
そんなことを言ってくれる事は少ないから、
何と無く、嬉しいような思いをしながら、
そう、と頷いて、
そうして、
ふと巡らされた朱の視線が、僕の向こう側で、見開かれて止まる。
何かあるのかとその視線の先を辿ろうと、して。
「お久しぶり、でもないですか。」
優雅、とでもいえるほどに、穏やかに。
石畳を歩いてくるその男の姿が、
いつか、
僕があの忌々しい研究所の中に居た頃に、
僕の部屋の前で初めて会った、あの時の、色温度匂い、を思い出させて。
じりじりと喉の奥から込み上げてくるのは、
あの頃、ずっとずっと感じていた、胸を融かしていく、くろい、塊 。
「ほんの数週間前に、お会いしたばかりですしね。」
そう言って、僕等の前で足を止めたその男は、
もう、白衣を羽織ってはいなかったけれど。
ああ、そうだ、僕と同じ色の、め、が眼鏡の奥から、僕達を映している。
「こんにちは、貳号、參号。」
やはり穏やかに、会釈さえしながら笑まれるその口元に、
僕は、無意識に握りこんでいた掌が、ぎちぎちと音を立てていた事に気付いた。
思い出す、赤、赤、赤、そして、醜悪な、白。
ゆ る さ な い
「お、まえ、…ッ!」
握り締めていたその中に、掴み慣れた柄を現すのは、一瞬。
僕の意識は、
胸から喉へ喉から脳へと噴き出した黒い其れに、あっという間に喰い尽くされ、
身体の奥から雷撃を弾き飛ばす。
弟の制止の声が聞こえた気がしたのだけれど、
放電したそれによって粉砕させてしまった、照明の音さえ判らない。
僕は、
十歩程度だったその距離を一気に駆け抜けると、
迷う事無く、
真っ直ぐに僕を見返している、恨めしいその紫の目をもった頭を刎ね飛ばそうと、
男の首へ、
真っ赤な刀身を振り下ろした。
低く、
足元から身体に這い伸びてくる、小さな轟音に、
私は、一気に覚醒した。
静寂に包まれた、いつもと変わらない部屋の景色に、
夢か何かだったのかと思い、辺りを見回すと、
自分が寝てしまっていたソファに居た筈のその温度が、
すっかり消えていたことに、気付いて。
「、は、かせ、?」
呟いてその姿を探すが、
その代わりに、
モニターに、時間が経ちすぎて、点滅すらしていない、
だがはっきりと残された、赤い、“INVADER”の、その文字。
「博士…ッ!!」
悲鳴のような音が喉から落ちて、
けれど、それに答えてくれるあの声は、無い。
あってはならない。
あってはならない。
私のこの、世界、が、奪われてしまうなど・・・!
部屋のドアを飛び出せば、
二つの駆けていた足音と鉢合わせてしまった事に気付いて、
私は思わずとも舌打ちをして、
そっと剣を現した。
「…お前は!」
声をあげたのは、初号機。
(隣にいるのが、オリジナル、か、)
先程の轟音は、彼等にも聞こえたのだろう。
または、他機の何かの波を感じたのかもしれない。
恐ろしい程に似ている、その人間とその人形と、
髪や目の色さえ違ったが、造型はまるで同じ、私自身、に、
寒気さえしながら、
そして其れを行ったのは、紛うことなく、彼、なのだ。
私は、
彼等の足元に雷撃を放つと、
すぐに反対方向へと走り出した。
モニタに博士の場所は写っていなかった。
けれど、
喉の奥を焦がすように這い回る、強い強い、くろい、感情波。
段々とはっきりしてくる其れと、
そのすぐ側に在る、哀しんでいるような、けれどやはり強い、もう一つの気配。
それが、貳号機と、參号機なのだろう、そして、
恐らくとも、彼は、其処に居る。
「追うぞ、カイ!」
「はい!」
煙が晴れてしまったのか、
後方から聞こえたその声たちに、
私は、更にスピードをあげて、廊下を走っていった。
「…何のつもり。」
静かに、喉の奥から絞り出すようにそう問えば、
僕の真っ赤な刀身を、
ぴたりとその首に当てられながら、
腕を広げたままの弟が、僕を真っ直ぐに見つめて来る。
その背中に、
何故か、あの男、を、庇って。
「どきなよ。」
低く吐き出されたその音に、
弟は、その真っ赤な瞳をこちらへ向けたまま、はっきりと首を振った。
ずるずると外した赤い剣から、
けれど、ぱちん、と赤黒く弾けさえするそれが、
斬ラセロ、斬ラセロ、と舌なめずりをしているのを抑え込もうと、僕は震える肺で深呼吸をする。
「どけと言っているのが、聞こえないの…ッ!?」
叫んだ声は、
けれど押し殺したように嗄れて、ああ、なんて酷い声だ、
弟は、そのきれいな赤い湖面いっぱいに僕を映しながら、必死に口を開くんだ。
「この人を、傷つけても、無意味だ!」
その湖面は、ただ頑なで揺らぐ事など無く、
僕はそれを振り払うように、剣の柄を握り直した。
そんな僕等を何も言わずに見つめている、あの紫、は一体何を考えているというのだろう。
「…斬られたいの?」
「、兄さん、」
苦しげにその眉を寄せながら、
けれど、けしてその場を動こうとはしない、弟に、
僕はもう一度、
悦びに身を捩り、煙さえ上げている、この剣を、真っ直ぐに構える。
けれど、
それなのに、真っ直ぐに見据えられた、その目。
ああ、カイと同じそれで、きたないぼくをみるな、!
「兄さんは、俺を、斬らないよ。」
「うるさい。」
いつもは面白いほどに寡黙で、食事の時くらいしか口を開かないくせに、
こいつは、
何故こんな時に、饒舌になるの、か。
「兄さんは、この人も、斬れない。」
「…うるさい…、」
僕の目から入り込む、その赤い視線が、そのあたたかな温度を宿した声が、
身体中を暴れ回る、くろい塊、を、
じわじわと抑え付けて、溶かしていくような、感触。
「殺すことなんて、出来ないよ、だって兄さんは、…」
「黙れ黙れ黙れッ!!!」
泣き叫ぶように震える腕を払えば、
掌から擦り抜けた牙が、壁に叩きつけられて、弾けるように消えていった。
それと同時に引いていく熱に、
僕は、身体へと必死に酸素を取り入れて、未だ震えの止まない両腕を抱き締める。
「、な、んで、?」
言いながら睨んでも、
その赤は、怒りなど、恨みなど、嘆き、など、
それら全てを受け入れてそのきれいな湖に溶かし込んでしまった、その色だ。
「お前は、頭にこないの?…そいつがいなければ、僕等は生まれてこなかった!!」
僕等は所詮、紛い物であり、作り物であり、
飾る価値さえも見えない、ただの、造花、なのだ。
人間サマの為の可哀想な、玩具。
教えて貰えるのは、
だれか、を、あいする、こと、ではなくて、
なにかを、壊す、ための術、ばかり。
そして其れは、
兄さんも、この弟も、
そして若しかしたら、四人目、すらも、
目の当たりにしてきたに違いないのだ。
、作り物である、ということの、身を裂くほどの、いたみ、を。
僕が、あの“家”で見た、
絶 望 の 色 を 知 っ て い る か ?
「あんな思い、しなくてすんだ、のに…っ!」
掠れて消えた僕の声に、
一度も逸らす事なくこちらに向けられていた、
影った紫が視界の端に映ったけれど、
僕は睨み返すことすら出来なかった。
けれど、
震える鼓膜に触れた、変わらない、その音。
「、俺は、嬉しい。」
やんわりと空気を溶かしていくその音は、
僕の行く手を阻んでいた両腕をそっと下ろしながら、
緩やかに続けられていく。
「カイや、ソルや、兄さんたちに会えたことが、」
やわらかに赤いおとは、
いつか僕が美しいと思っていた、あのあかとは、全く異質の其れで。
けれどそれは、けして不快な事では無かった。
「俺が今、此処に存在している、ということが、」
それは、
綺麗すぎる“作り物”の真っ赤なグラスアイ。
でも、全ての痛みを知っている深い、深い、色、だ。
「、俺は、たまらなく、嬉しいよ。」
言いながら、僅かに細められて、ちいさな笑顔を作り上げたその顔が、
泣きそうなそれにも見えたのは、
多分、間違いじゃないんだろう。
「兄さんは、嬉しくないの、?」
ゆっくりと問いかけられたその声は、
やはりゆっくりと神経に溶け込んで、僕の全身を巡り始める。
「…僕、は、…、」
だが、
僕がその先を言葉にするより早く、
弾かれたように弟が振り返り、
(それと同時にその足が、こちらへと床を蹴っていた、)
冷たい石畳の床を、鋭い雷撃が、深く抉り取っていた。
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26,やんぬるかな