すべては、
予測していたことだった。

しかしそれは余りに早過ぎた。否、充分に起こり得た事だったのかもしれない。
…起こってしまった以上、それがどちらであれ、最早意味を成さなかったけれど。

「沢田さん…っ?!!」

情け無いほどに動揺した声が出る。
けれどそんな事に構っている暇は無い。

俺の身体は面白い程、震えていた。
どんな抗争だって、絶体絶命の状況だって、ここまで震えた事はない。(その反面、そのスリルに興奮してさえいたからだ)
それなのに。

彼の目は、時間が止まったように、固まり、スイッチでも切れたように、濁り、沈んだまま、うごかない。

なぜこんなことになぜなぜなぜ!!!


今朝、
彼が久しぶりに味噌汁を飲んで、美味しい!美味しい!と言って、たまにそうして厨房に立つ山本が嬉しそうにしてたのが別にどうというわけじゃなかった。否、結構、…少しだけ、気にしている。そんな事は口が裂けても言えなかったが。朝食後、すぐにランチに誘った俺に、彼は可笑しそうに笑って、じゃあ仕事がんばって片付けなきゃね、と言ってくれて。
だから。
見回りと散歩を兼ねて昼寝前の穏やかな街と人波に流されて、何食べますか?と言いながらも、自然行き着けの店へと足を進める俺の視界に、不可解な物が現れて、俺は思わず、足を止めたんだ。


沢田さんが、
何処か貼り付いたような笑顔で俺を見つめたまま、
胸元から酷く不似合いな黒い銃を取り出して、
そうして、
身体ごともたれ掛かるようにしながら、それを俺の左胸へと押し当てて。

、がちり、撃鉄を起こす音。

身体越しに直接響いたそれに、俺は必死に固まった思考を回そうとしていて、
しかし、そのふわふわした栗色の髪が俺の肩に押し付けられた瞬間、
銃口は俺の胸と腕の隙間に滑り落ち。

すべて を理解したのと、 すべて が終わったのは、 ほぼ同時 。




 、ばん、




俺の肩越しから、聞き慣れた音が響き、
遠くで何かが倒れていく気配。(正確な、射撃だ。)
ざわりと空気が変わる。ずる、と彼の右手がずり落ちて、ぶらんと垂れた。劈くような悲鳴。
続くように拡がる恐怖、脅威、興味、感情の波紋。
俺は彼の身体を抱えるようにして、ざわめきの波に乗り、ようやく後ろを振り返る。
獲物と共に建物の隙間から転がっていたその男の顔は、最近問題になり始めていた家のお抱えヒットマンで。
俺はそれだけを確認すると、すぐにケータイを取り出し本部へと繋ごうとして、左手の重み、に、指が止まり。
(早く本部へ連絡しなければ、処理班をはやく、よんで、すべてを、みぎうで、おれの、しごとを、的確に、はやく、はやく、はやく!)
俺の指が叩きだした番号によって、長過ぎる3回目のコール音のあと、
相手はいつもの調子で答えた。

「獄寺ぁー?どした?わりぃけど昼飯ならもう食っちまったぞー。」

ツナに振られたかー?などとケラケラ笑う日本語に、俺の喉はようやく硬直を解いて、
、うるせえ!んなわけあるか!!、と答えてしまった。(否、重要問題だ。)


「…なにか、あったのか?」


こちら側の悲鳴やざわめきを聞き取ったのか、
瞬時に固くなった声に、俺の喉は、再び詰まった。(左腕にかかる重み。彼の熱!)

「…く、…ま…、 くる、ま、を、回せっ!!!」

、・・・はやく、っ!・・・、叫ぶように搾り出したその声に、
山本は、すぐ行く、と答えると、通信を切った。

状況全てを把握出来た訳ではないだろうに、
確かな確信と信頼をもった固い声で答えたその音が、
いつか十代目が、聞くと安心する、と言っていたそれなのだと、少し納得する。癪だけれど。

ケータイのGPS機能ででも、すぐにこの場所は分かるだろう。本部からもそう離れた場所ではない。
けれど脳内では、ほっとする反面、…ここの店、俺と沢田さんだけの行き着けだったのに、なんて事を考えている。

彼が初めて、“此方”へ来たとき、
土地も言葉も立場も環境も、何もかもが不安定で。
俺や山本たちには笑っていたけれど、それでも微かに震えていた右手で俺の手を握ってくれた彼の手を引いて、
この店に訪れて。

…美味しい、と、
久し振りにいつもの笑顔を見せてくれた場所。

あの時もそうだった。
彼の為に何かしたかった。
こんな世界だから、少しでも、美しいものを忘れないで欲しいと。そんな風に思ったのかもしれない。俺のエゴだ。

しかし、すべてが下らないことになってしまった。

もしかしたら今、ありがとうごくでらくん、とあの時のように、昔のように笑って、パスタを食べていてくれたかもしれない彼に、
させてはならないことを、ちがう、いつか、いつかその時が来るとは思っていたけれど、
けしてこのような形にはすまいと思っていたそれを、(かれのみぎてにぶら下がる黒い塊!)ああ、おれが御側にいながら!!!

ぐるぐると回る思考に、頭を振る。

切り替えろ。考えることは後ででも出来る。まだ他に刺客がいないとも限らない。
悲鳴とざわめきの波が大きくなってきた事に辺りを探りながら、俺は小声で俯いたままの彼に呼びかけた。

「沢田さん、すぐに車が来ます、移動しましょう、…沢田さん?」

俺の肩に額を押し付けるようにしたままの彼が、動かない。
息は、しているのが分かる。


「…さわ、だ、…さん…?」


俺の掠れた声に、まばたきすらなかった。
ただ、あの目が、一点だけを、見ている。
その美しい湖面すべてに映っているのは、倒れた男の視線、で。

気付いた時には、俺はその肩を引っ掴んでいた。

「沢田さん!!!沢田さん!!?しっかりして下さい!!!」

がくがくと、いつまでも細いと彼が気にして膨れるその肩が、折れそうな錯覚に陥りながら、
そんなことを思うのに、俺はあのつよい目が固まり続けている事の方が恐ろしくて、
酷く情けない声で叫びながら、彼を呼ぶ。

「さわださんさわださんさわださん!!!おれがわかりますか?!!!」

その目が微かに瞬いた。
けれどそれは眼球の乾きによる生理的なものであり、しかし僅かにその目に光が差した気がして、
俺は何も考えられずに、ただ、彼を呼ぶ。


「さわださん…っ!!!」


悲鳴の、ようだった。違う、ただの悲鳴だった。
今まさに誰かが後ろの方であげて、騒いでいるそれと何ら変わらない、叫びだ。
心臓が、冷えた脈を回している。俺は、恐怖、している。



、…、く、っ、ら…、



微かに鼓膜に触れたその音に弾かれる。

彼の小さな唇が、僅かに開かれて、息が詰まったように震えた。
視線は未だに虚ろだったけれど、その中で必死にこちらへと焦点をあわせようとしてくれているのがわかった、ので。

俺は喉を詰まらせながら、彼の身体をかき抱く。

俺の心臓が煩いほどに鳴っているのに、彼の身体は恐ろしいほどに冷やりとして、静かだった。
その温度に俺は鳥肌さえ立てながら、凍死でもするのかというほどに震えながら、
必死になって彼の右手を取った。

未だに黒い塊を、指が白くなるほどに硬く握り締めた右手は、
まるで、死骸の死後硬直のそれにも、見えて。
俺は泣き叫びたいような衝動に駆られながら、
今もあの牛ガキやイーピンや、街の子供たちを撫でる、やわからい右手に指を絡める。


「、ごく、で、ら、く、」


その震える声が、おれを呼んで、俺は答える代わりにその唇へ噛み付いた。

彼は唇まで凍ったように乾いていて、歯列という名の骨も酷く冷たく岩のようで、
けれど舌と喉の奥からは確かに脈のリズムがあったので、
俺はそれを確かめるように、彼にさえそれを解らせるように、口付ける。

早鐘の心臓。
冷えた脈はどうしようもなく冷たく沸騰したまま、どこへ巡っているのかわからないほどに暴れまわり、
おれはいっそ、自身のそれが彼に移ってしまえと思いながら、髪に、額に、鼻に、頬に、すべてに唇を這わせながら、彼を呼び続けた。
恐怖。混乱。動揺。捨てなくてはならないものばかりが身体を駆け巡り、
俺はただそれを鎮圧することも、捨て切ることも出来ずに、昔と変わらず、彼の前に在って。

余りの不甲斐無さと、その“彼”という名を持った生きた死骸を前にした恐怖と、
すべての感情の濁流に飲み込まれて、俺は目の奥が熱くてしにそうだった。(いっそしんでしまいたい!)

そうして、
何度言ったか解らない、(言った後、いつも彼が、困った顔でどうして謝るの、と言うのに)、…すみません、という言葉を囁けば、
乾いたかれの唇が僅かに開き、
凍ったままの瞳がまたたいて、
その表面に、
俺を、
映して、


、いき、て、る、ね、?


確認するように、そう、息が告げる。
それは、無意識の言動のようだった。
未だ淀んだ眼球が、まばたきを繰り返す肉体の運動。ああ、かれも生きている。
渦巻く濁流の、決壊。


「…、さわ、だ、さ…っ!」


なんて情け無い声だなんて情け無い右腕だなんて情け無い男だなんて情け無い人間だなんてなさけない・・・!
俺は恐ろしく冷たい彼の頬が少しでも温まればいいと願いながら掌を這わせ、
祈るように懺悔のように額を触れ合わせて、ただ彼の名を繰り返す。

その頬が僅かに震えた事に気付き顔をあげれば、
彼の喉がこく、と息を飲み、身体は脈を刻み、腕は熱を持ち始め。
俺は死骸では無いことだけに安堵の息を吐き、もう一度、沢田さん、と呼んだ。けれど。

ぶらりと、垂れたままの右腕が、凍えたように、震えて、いる。



街の悲鳴。
昼下がりの音楽。
慌しいざわめき。
車のクラクション。
店特製のオリーブオイルの香り。
興味本位で群がる人々。
怒声。罵声。囁き。疑問。泣き声。大人。子供。老人。足音。
タイヤが石畳を擦る。
飛行機雲が空を切る音。
廃棄ガスに僅かに咽る。
呼びかけるひと。電話するひと。舌打ちするひと。
誰かに呼ばれた気がする。
車のドアを閉める。重なる足音。
警察の声。
に扮した処理班の到着。
再び誰かに呼ばれた気がする。

彼の白い首筋から、いつか俺が送ったコロンと、硝煙が、香った。









す  べ  て
(俺の視界すべてが五感を襲い、おれはまた縋るように彼を抱く。/恐ろしく/広すぎる/青空/に/殺/され/る!/そうして、かれの悲鳴がせかいを裂いた。)












〜07,10,05 すべて
めちゃめちゃあまあまな話になってしまったと思ったけど、
つっこみどころがそこじゃない事になっていたと今気付いた。
まだ、詰め込み足りない。。。精進。